17 王様の昨日と今日


 ありったけの家具や調度品で寝室の扉を塞ぐ。

 窓はあらかじめ塞がれているので、逆にありがたい。

 扉にはクガイがありったけのシンボルや、間に合わせの儀式で魔術的にも封じてある。僕らが警戒しているのはカミーユだ。いかにも寝込みを襲ってきそうなキャラクターだから、交霊会うんぬんが無くてもバリケードは張ってただろうな。

 準備が済むと、クガイはサイドテーブルに二つの小瓶を叩きつけるように置いた。


「そもそも交霊会なんてこれっぽっちも楽しくなさそうに思えるけどね」


 本音を言えば、蘇って来られると困る人物と、とっととくたばって欲しい人物が多すぎる。


「魔術師たちが会いたがるんだから、普通じゃないさ。少なくとも何か儀式があると思ったが、それもなしで情報がない」

「執事の話によると、眠るも眠らないも自由、とかだったよね。薬が眠るのを助けるものだとすると、薬を飲まなくても何かが起きるってことかも」


 クガイは頷いた。


「実に魔術師らしい発想だ」

「会期は七日間……さすがに眠らないで過ごすことは難しいね」

「いつか出くわす事態なら、気力体力が十分なうちに体験しておくのは悪くない。さて、君は平均してどれくらい眠る?」

「…………最近のまとまった睡眠は、三時間とかかな」

「思ったより忙しそうだな」


 言いたいことはわかる。

 でも、いろいろあって、睡眠を取ってる暇がなかったんだ。


「実は俺は物音でしょっちゅう目を覚ますタイプだ」

「眠ったあとに何か起きるとして、睡眠不足かつ若さゆえに長時間、眠りこみかねない僕にだけそれが起き続ける可能性があるね」

「公平を期すために、薬は飲むとしよう。お互いにな、リリイちゃん」

「寝首をかいたりなんかしないよ。むしろ、ここまで来たら協力する」


 いくら目の前にいる人間がいずれ魔人になるとしても、ここで彼を傷つけるわけにはいかない。歴史が変わってしまう恐れがある。

 それよりもっとありそうなのは、ここで僕がいつもの不運に巻き込まれ、歴史の塵になって消えるシナリオだけど。


「薬は五分後にきっちり飲み干す。その前に、こいつを開封しとこう」


 クガイは懐から、ルニスから渡された招待状を出す。

 すっかり忘れてたけど、あったな、そんなもん。

 クガイはコインを手に乗せる。

 その意味はわかってる。

 僕も彼も、なんとなく嫌な予感がして手をつけてなかったんだ。

 むだに長い親指に乗せられたコインが宙を舞う。


「………………裏」


 広げた掌の下で、コインがきらめく。

 心の底から残念だ。表だった。クガイが無言でうなずいた。

 招待状を手にとり、明かりに透かしてみる。

 さほど分厚くもないはずなのに、中身が透けて見えることはない。

 不用心に開けてみる気にはなれない。ドアを開けたらゴーレムが出てきたことがあるから。

 蓋を開けずに中身をみてみるとなると、オルドルに頼るしかない。

 僕はリリアンのカバンを寝台に引き上げると、雑に揺すった。


「リリイちゃん、だましたことは怒ってないから僕の杖を出して」


 留め金が外れて、乱暴に金杖が飛び出してくる。

 何か怒ってるらしいけれど、自分とは会話できないから理由はわからない。

 杖を握って集中。オルドルは反応してくれないけれど、魔法の手触りを感じる。


「《昔々、ここは偉大な魔法の国》…………」


 やり方はリリアンの収蔵庫を覗いたときと同じ。

 心の手のひらが封を切り、そこに描かれているものを感じる。

 そこにあるのはひとつの図像だ。文字の羅列じゃない。

 白い紙片の中央に三角形が五つ。それは五芒星の形に組まれている。

 星の中央には炎を灯す瞳…………。


「…………」

「どうした?」

「いやぁ~…………うーん………まさかとは思うんだけど、えっと」


 もう一度集中し、読み取った図柄が見間違いではないことを確かめた。


「これは……僕の目がおかしくなったわけでなければ、そう、《エルダーサイン》ですね…………」


 まちがいなく異世界転移先で見つけるとは思わなかったもののひとつだ。





 秘色屋敷は荒廃した風景の只中にあった。


 紺青の空色の下、石くれの転がる広大な庭と明かりをともした玄関アプローチがはるかかなたに見える。


 門は開け放たれていた。

 開け放たれていたというより、めちゃくちゃな破壊の痕跡がみえた。

 超番からねじ切られ、前後に倒れている。

 門衛はいない。けれども、ずっといなかったわけではないだろう。

 彼らが来客を待ち構えていただろうところから、何か大きなものを引きずった跡が、庭園に伸びていた。

 門衛の亡骸は噴水の中に叩きこまれていた。

 何が起きたのか確認したくもないが、水面が真っ赤に染まっている。


 屋敷の内部もまた、惨澹たるありさまだった。


「お客様だ! お客様がいらした! 久しぶりのお客様だぞ!」


 燕尾服を着た若い男がそう叫びながら、屋敷の中を練り歩く。

 金髪に緑の瞳をきらめかせた、人懐こそうな若者が廊下の床を、泣き叫び、血を流した若い女を引きずっていく。

 薄いベージュと濃い茶、そして朱色のグラデーションに、新しく鮮血が混じる。


「おい厨房、食材が届いたぞ! じつに柔らかそうな肉だ。今日のメニューを覚えているな。黒シチューにチーズスフレ、パイにプディング。フランベで仕上げるのを忘れるんじゃないぞ!」


 ルニスはパントリーへと、半笑で女の体を投げ入れる。

 瞬間、ひと際甲高い悲鳴が廊下に響き、鈍い音と鮮血が噴出して、ルニスの白い肌を汚した。

 彼は心の底から嫌そうな顔で頬の汚れを拭う。

 代わりに受け取った、湯気を上げる寸胴鍋を片手で支えてまた歩き出す。

 鍋の端からは漆黒のジャケットを着こみ、緑玉の指輪をつけた男の腕のようなものがはみ出している。


「またお客様がひとり減った。悲しいな。脆いっていうのはじつに悲しいことだ。しかし、天下に名だたる魔術師だと名乗るくらいなら、もう少し耐えてみせてくれないものかねぇ。最近のはほんとに品質が悪くなってきた」


 ぶつぶつと文句を言いながら、寸胴鍋を大広間へと運びこむ。


「さて皆々様、お待ちかね――」


 皆まで言うことなく、鍋は吸い込まれるように広間の中へと消えて行き、汚い咀嚼音が響いた後、灰色の骨と赤黒い残り汁が廊下へと吐き出された。

 男は額から残飯を拭い落としながら天を仰ぐ。


「クソッ! 連中、こっちの世界じゃ原典がないから、堕ちるのが早すぎる! もしもわたしが風信子家の当主だったら、ああいう質の悪いゲストは追い出してやるのに!」


 そう言って、眉をひそめた。


「あの少年、はやく来てくれないかな~。今のところ、この腐った状況を打開してくれそうなメがあるのは、かわいそうな我々と同郷の彼だけなんだけど……」


 今度は落ち着いた足取りで図書室に向かう。

 壁の三方を、高い書棚で囲まれ、光りの差さない部屋だった。

 無数のろうそくが立てかけられ、炎が揺らめく。

 書見台には一冊の書がある。革表紙の書が確かにそこに、誰にも触られずにあるのを確かめると、緑の瞳の化け物は、ゆっくりと部屋の一隅を見やった。

 そこには、異世界から持ち込まれた楽器が置かれている。

 黒々とした鍵盤楽器の前に若い男が腰かけていた。


「俺の友人を返してほしい」と、そう言った。「そのためなら、何でもする」


 ルニスは血反吐で汚れながらも、使用人然とした態度で恭しく傅いてみせる。


「お客様――私どもでお力になれることであれば何なりと。しかし友人とは、誰の事です? 知る限り、貴方に友人などいない」

「風信子イキシア様にかけあってくれ。この屋敷にいるはずだ」

「おかしなことを。この屋敷に人間はもういないのですよ。この屋敷に住んでいる化け物どもが、みんな、食べてしまったのですよ」

「いや……いるはずだ」

「きみも食われたいようだ」

「俺が食われることで、それで友が返ってくるなら、迷わずそうするよ」


 若者は心からそう言っているらしい。その瞳は澄んでいる。澄み渡っていると言っていい。


「そんなに大切なのですね、そのご友人が」

「ああ、大切だ。彼がいなければ、この世界に意味はない」

 

 叫び声はいまだに続いていた。

 何か見えないものの狂乱もだ。

 若者はそれらを救おうだとか、そういう大それたことは微塵も考えてもいないようだった。


 そう……。ただ、澄んだ瞳をしている。

 

「この食べカスのような世界にお客様の助力になりそうなモノがあれば、ご自由にお持ちください。――しかし、全く人間というものは理解しがたいよ、星条コチョウ。傲慢な人間も友人という言葉を知っていたとはね」


 ろうそくの光を、まばゆい銀の髪が照り返す。

 桃色の瞳はまっすぐに執事を見据えている。

 マスコミの視線にさらされているときのような、余裕と、世間を斜めに構えて見、どこか飄々と、そしてどこかで見下しているような眼差しではない。

 必死に、ただひとつ垂らされた希望の糸をつかもうとしている、ひとりの人間の顔をしていた。

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