16
カミーユの登場以来、場の空気がとてもじゃないが愉快なものではなくなり、それが異常であることくらいは察せられた。
みんながカミーユにぺこぺこしだしたのだ。
誰も彼女には逆らえない。
跪いて足を舐めろと言われたら、今すぐにでもそうしそうだ。
「まさか教団の連中が出てくるなんて、なんだかめちゃくちゃになってきたな……」
これも僕の不運の成せる技か。
僕たちは大広間を抜け出して、屋敷を探索していた。主にクガイが、コチョウを探して、だが。僕はそのあとをついて行っているだけにすぎない。
あのホールに留まっているのは気分が悪いし、いじめっ子気質のカミーユが何かしてくる気がした。
屋敷はしんと静まりかえって、使用人ひとりすら見かけない。人の気配があるのは広間だけだ。ほかはすべて薄暗く、ひんやりとした空気に包まれている。
あまり散歩していて楽しい雰囲気ではない。
「君はカミーユを知ってるのかい」
「いや。でも金曜の奴とその娘は知ってるよ」
もちろん、使徒ヘデラとルビアのことだ。
知っている、といっていいのはルビアのほうか……。かわいそうな娘だった。
「クガイは?」
「大昔に勧誘を受けたよ」
「教団の?」
「ああ。尖晶家に生まれると、基本的には尖晶屋敷からは出れないからな」
「出られない……って、どういうこと」
「なんだ、そこまでは知らないのか? 簡単にいうと監禁だよ。俺は魔術学院に入れたから半分くらいは自由の身だが、父も妹も、生まれてから一度も敷地の外に出たことがない。ま、生活は国が面倒みてくれるからいいんだけど」
一生、生まれた屋敷だけで暮らすことを強制される……。尖晶家が居住区の指定を受けてたっていうのは知ってたけど、そんなに厳密なものとは思わなかった。
クガイはあっけらかんとした表情だが、それがとんでもないことだって、馬鹿でもわかる。
その家に生まれたから……なんていう、本人にはどうしようもないところで、生き方が決定されるなんて、いいはずがない。
「そこで教団が俺と妹を研究対象として保護すると申し出たんだ。かの有名なマージョリー・マガツと同じにな。教団は女王府が魔法生物保護にかける予算よりも巨大な資金力があるから、少しはマシになる。使徒の付き添いがあれば、外出もできるし」
昔は違ったらしいが、魔術禁止時代が到来した現在、魔法生物の保護にかけられる予算は年々縮小されてしまい、尖晶家の人間が外出する際に監視をする人員――もちろん魔術師――を手配する資金がないのだそうだ。だから、買い物ひとつですら自由にならない。働けないのだから、買い物をする金だって女王府が頼りだ。
クガイは魔術学院に入り、卒業後も研究員として在籍し続ける道を選んだ。
しかし、教団ならば、宣伝塔になってくれる魔女や魔術師にかける金に糸目はつけない。それ以外に生きる道が出てくる。
「残念ながら親父殿が突っぱねたがね」
「教団に行きたかった?」
「とんでもない。カミーユを見ただろ、使徒たちはたいていが自分を神か何かと勘違いした変態だ。教団という狭い環境の中で信者たちの一方通行な崇拝を受け続けたら、権力意識が性格を歪ませてしまい誰でもそうなる。さっさとコチョウを見つけて退散したいところだ」
「他人への人物評はそれだけ鋭いのに、自分のことは無頓着なんだもんなあ……」
クガイはコチョウのこと以外は非常にニュートラルな人物なのだ。
幼少時から監禁されていたとはとても思えないほど聡明だ。
「少年、さっきから、気がついてるか?」
クガイは窓に近づいていく。
「何……?」
窓の外の風景に目を凝らし、ぎょっとする。
そこには、僕たちが屋敷に来たときと《全く同じ風景》が広がっていた。
空は、今にも暮れようとする宵の色だ。
僕も同じように隣の窓に近づき、開けようとするが、びくともしない。
それほど強固な窓ではない。窓枠も鍵も華奢で、ガラスも薄い。けれども押し返す力は、頑丈な鎧戸のものだ。
「まさか、魔術で閉じ込められたの?」
「閉じ込められたのは大正解だが、これは《映像》だ。そんな大したものではない。ほかの客たちも気が付いてるだろうな」
クガイは皮肉げに笑う。
「――でなければ、魔術師たちもカミーユにあれほど好き勝手させるわけがない」
ほかにも、勝手口やら使用人たちが使うスペースやらを一通り探索してみたが、外に通じる出入口は換気口に至るまで外側から施錠されていた。
これが普通の晩餐会なら、不都合な人物がいたとしても屋敷を出ればいい。
けれども、閉じ込められた状態なら、あの不気味な鎧を連れた客人を下手に刺激しないほうがいい。それがわかっていて、カミーユはあのように傍若無人に振舞っていたのだ。
客室に一旦もどり、クガイは屋敷の見取り図を書いて広げ、紙の上に華奢な鎖を垂らした。鎖の先には小さな赤いスピネルが下がっている。ペンデュラム・ダウジングに使う振り子だ。
反対の手には銀色の何かで編まれたブレスレット。
「これはコチョウの髪で編んだ呪具だから、屋敷の中にいれば反応するはずだが、しないな」
「それって効果あるの?」
「試してみるかい」
クガイの手のひらが僕の髪の毛を一本、引き抜いていく。
振り子が揺れて、僕たちのいる客室を示した。
「…………じゃ、コチョウはこの屋敷にはいないってこと?」
「それはない」
「振り子は反応しないんだろ」
「あいつとの付き合いは齢一桁のころからだ。なんでもわかってる。コチョウは必ずここにいるはずだ」
「あと、見ていないのは客室くらいだけど」
「魔術師の部屋に無断で立ち入るのはさすがに危険すぎるが、交霊会に出ても見つからないなら考えないといけないな」
クガイはソファに深く背を預けると、疲れた顔で煙草を咥えて火をつけた。
「君も、自由にしていたらいい」
そういわれても、僕にはやりたいこともできることもない。
せいぜい寝室に引っ込んでぼんやりするくらいが関の山、というところだ。こんな調子で魔人の目的がつかめるんだろうか、とか考えながら。
金杖もない。オルドルの声も聞こえない。姿はリリアンのもの。
僕はここでは何ものでもない。ただの傍観者だ。
少しだけ開けた扉からクガイの後頭部がみえる。
それから、鼻歌が聞こえてきた。
彼は何を考えているのだろう?
その先はあまり考えないようにした。
未来で戦う相手だ。
*
交霊会は図書室で開催される。
会場は光が入り込まないよう、窓には暗幕が垂らされている。不思議な香りがたちこめている。
部屋の中央には円卓があり、客の数だけ椅子が置かれ、椅子の前には小さな小瓶が置いてあった。
円卓に座っているのは、カミーユと、付き添いの女性がひとり。
ほかの参加者の姿はない。
それと、小瓶がない席がひとつだけあった。
入口近くでルニスが出迎えてくれた。
「秘色屋敷の交霊会へようこそ、クガイ様」
うながされ、着席した。
「今宵は素晴らしい体験をお約束いたします」
「なァにが素晴らしい体験よ。子供だまし。詐欺よ。薬だけ貰っていくからね」
カミーユは人差し指と親指、二本の指で緑色の液体が入った硝子瓶をつまみ上げ、そのまま席を立つ。
それから、こっちにねっとりとした視線を向けてきた。
「あんたたちはこれ、飲むの?」
僕は小瓶を取り上げて、蓋を外す。
意外に無臭だ。
「これ、何?」
「ただの睡眠薬よ、睡眠薬。あんたたちは途中参加だから知らないだろうけど」
ここに御座いますのは、とルニスが説明しかけたとたん、カミーユが口をはさむ。
「とくに幻覚作用とか後遺症はないわ。着色してそれっぽくしてるだけ。飲んだらキッチリ九時間後に目が覚めるの。あたくしたちはすでに体験済よ」
ルニスは苦虫をかみつぶした顔をしている。慇懃無礼な態度をなんとか維持しようとしているが、顔に「さっさと消えてくれないかな」と書いてある。
カミーユとシスター服の女性は、ひとつずつ薬を手にして去っていく。
「では、気を取り直しまして……最高の体験にご招待いたします。とても信じられないでしょうが……」
うん、ちょっと無理があると思う。
出だしでこれだけかき回されてしまったら、雰囲気はズタズタのボロボロ。もう駄目だ。
「睡眠薬を飲んで、ぐっすりと眠るのが、秘密の交霊会の内容なの?」
「それとも、眠ってる間に何か細工されるとかかな」
僕の問いにかなり穿った見方を付け加えたクガイも薬瓶を手に怪訝そうな顔だ。
「いえいえ、私どもから皆様に提供するのは睡眠薬だけです。さきほどカミーユ様が仰られた通り、飲み干してから九時間後に目が覚めます。飲むことを強制することもありません。逆にいうと、眠らないでいることもご自由です」
「眠ったら、何が起きる?」とクガイ。かなり厳しい表情だ。
ルニスは曖昧な笑みで応じる。
「――――それは、参加される皆様がお確かめください。保障いたしますのは、いかなる神霊、いかなる神秘の存在にも、当屋敷にご滞在中の皆様は《お会いになれる》ということ。風信子イキシア様が長年かけて研究した神秘をご覧ください」
奇妙な交霊会だ。
降霊術も、怪しげなシャーマンも、何もなし。
ただ薬を飲んで、眠るだけ……なんて。
僕たちは薬をもらって客室に戻ることにした。
「お待ちください」と声がかかる。僕にだ。ふりかえると、ルニスが相変わらず何を考えてるのかわからない顔で立っている。
「お名前をまだ聞いていませんでしたね」
「ああ、僕の。えっと、リリイとでも呼んでくれたらいいよ」
「素晴らしいお名前です。では改めまして、ルニス・トォーマと申します」
「そう……発音しにくそうだね」
妙なタイミングの自己紹介だ。
表情から内心を探ろうとしたが、完璧な美貌が邪魔をしていた。
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