15 エデンの蛇
飲み物と食事が並べられている。立食形式のパーティだった。
晩餐会は交霊会が行われる一週間のあいだ、毎晩開かれる。
今日はその三日目だ。
ホールには絵画が飾られている。
風信子イキシアと思しき女性の肖像画だ。
少女といっていいだろう……。屋敷の空を覆っていた宵の空のような色をした髪に、くすんだ灰色の瞳をした、暗い表情の。
現在のイキシアは齢八十を越えているので、絵はずいぶん若かりし頃の姿ということになる。
クガイの話によると、彼女は昔から《
三大貴族の傍流、ということもあって、陰鬱で奇異な趣味も、派手な催しも、経済的にはなんら影響を与えることなく、三年前に病没したはずだった。
「さあ、どうぞ」
クガイが腕を差し出してくる。
「どうしてもくっつかなくちゃだめ?」
「たぶんこれが、俺たちが一緒にいるせいで発生する不要な質問や余計な詮索を退ける唯一の方法だぜ。美女と色男が親密なようすでいれば、恋人関係にあることはまちがいないんだからな」
「女王の騎士がそんなことしていいの」
クガイは何にも堪えていない顔つきだ。
「乙女様は聡明な方だから、自分の騎士がどんな奴かは承知の上さ。それに世間の誰も、女王陛下の本命の相手が俺だとは信じてないだろ」
「本命とか、義理とかがいるわけ? 信じられない、不潔だ」
「伴侶が三人以上いることのほうが……いや、それ以上は口にするまい」
僕はこれ以上ないほどの仏頂面で、彼の腕に掴まった。
僕が現在、真っ白なグローブと、藍色の結婚式みたいなドレスを着ていることも、髪の毛をアップスタイルにして、うなじに後れ毛が一筋垂れていることも、とんでもないハイヒールを履いていることも、男と腕を組んでいなくちゃならないことと比べれば些細なことだ。
体は女性で中身は男性というのはラブコメの基本だけど、実際にやってみるとすごく微妙だ。体が女性になったからといって女性にモテるわけではないし、こうして男性にエスコートされるはめになる。
ドレスアップしたクガイは僕の心のうちがわかるらしく、隣で笑いを噛み殺している。きちんとしているとちゃんと貴族っぽいし、天藍ほどじゃないがハンサムだし、モデル並みの高身長でムカつく。
「俺たちはなかなかお似合いじゃないか? 少年」
「それ以上しゃべったら、奇声を上げて走り回るぞ」
広々とした広間に、秘色屋敷に招かれた客たちが集まっている。
晩餐といっても僕とクガイをあわせて十名ちょっとの小さな集まりだ。
全員、イキシアが三年前に死んだことなどどうでもいいみたいだ。
最初だけ、少しだけ注目された。僕のほうには好奇心、クガイのほうには――なんだろう? 恐れや羨望の眼差し、侮蔑が多い。
そして口元を覆ってひそひそ話ってところか。
「魔眼って、そんなに嫌われてるんだな」
「ここに集まってる連中はみんな魔術師だから、能力を盗まれるのを警戒しているんだ。魔眼は遺伝だから、習得するのに何の努力もいらないと思われてるってのもある」
「そんなわけないのに」
僕は眉をひそめ、溜息を吐いた。
こっちの世界にきて一番の学びは、どんなに強い魔術を持っていても《意味がない》だ。そういうのが有利になるのは、せいぜいが一対一の殺し合いになった瞬間だけだし、普通の社会に殺し合いが占める割合は限りなく少ない。
便利で強い魔術ひとつでイージーモードになるほど人生は楽じゃない。
「そういうときはな、少年。笑って鼻歌でも歌ってやればいいのさ」
クガイは言いながら、僕の腰に手を回し、さりげなく体の位置を入れ替える。
振り返ると、脂肪分のたっぷり乗った太い指が僕のいた空間に、無遠慮に伸ばされていた。
「これはこれは、今夜の主役じゃないか」
赤ら顔の中年男がやり場のない手を引っ込める。
肌は浅黒く、髪は強くウェーブしている。
どこかで見た顔。思い出せないけど。
「お美しい恋人だ。ちょっとした悪夢のようですな」
ねっとりした視線が絡んで来る。
好奇心。しかもすごく嫌な性質の。
「かの魔眼の尖晶家、その当主が恋人連れでいらっしゃるとは。イキシアもなかなか遣り手だ」
「あなたも魔術師で?」とクガイ。イヤミな奴だな。
「ああ。あんたのように正当な魔術師もいれば、藍銅から呼ばれた俺のようなのもいるし、生まれながらの魔女も、もぐりもいる。ここに魔術捜査官がいたら、まあ、さぞかし喜んだことでしょうなあ」
それは問題だ、と僕は考えた。
この時間軸でクヨウが何をしているのかは知らないが、絶対に会いたくないことだけは確かだ。
「いつも優秀な魔術師が集められるのですか?」と僕は聞いてみた。
「今年は特別、ずいぶんとまあ、腕のいい魔術師がそろってるな。イキシアは自分の屋敷にこもりっぱなしで社交界にもろくに顔を出さない。だから招待状を真に受けるやつのほうが少ないさ」
「みんな、交霊術が目当てで?」
「こっちが聞きたいよ。あんたたちこそ、交霊なんてものに興味はなさそうな気がするけどなあ。あんなのは子供だましさ」
「じゃ、どうしてこんなところに」
「タダ飯が食えるからな」
男が手にした皿には、たっぷり料理が盛り付けられている。
彼はここで飯と酒を食べたあと、交霊会には参加せずに客室に戻るつもりだ、と言った。
「それじゃ、この会場で星条コチョウの姿をみてない?」
「なんだなんだ、奴もこの屋敷に来てるのか!?」
おじさんは大げさに驚いていた。
大きな身振りではあるけれど、その表情は心からのものだ。ウソだとか、何かを隠そうとしている風ではない。
「そういう噂を聞いただけで……来てるかどうかまではわかりません……」
答えると、おじさんはがっかりした顔だ。
「そりゃそうだ。来てたらすぐに話題になるはずだ。有名人はな。三人も来るわけない」
クガイは質問を僕に任せ、何か考えている顔だ。
パートナーが考え事をしている間に、おじさんはジリジリとこっちに近づいてきている。
やめろ。いたいけな少年と鼻息の荒いよっぱらいおじさんじゃ絵面がまずい。外見が美少女なのはさらに一層まずい気がする。その層のことはよく知らないが。
「ええと、三人って? クガイと、誰です?」
僕は少し遠ざかりながら、訊ねた。
「ああ。天使だよ」
そういう、ふんわりとした愛らしい単語を口にした瞬間、男の首が飛んだ。
脂肪の巻きついた喉にまっすぐな線が入り、血を噴き出しながら分断されて、そして頭部が弾けて、中身をまき散らす。
一連の出来事は、やけにスローモーションに見えた。
僕は遠慮の塊のような作り笑いを浮かべたままだったし、何よりクガイが、驚きに目を見開いたまま、テーブルに並べられたグラスが血で満たされていくのを見つめていた。
反射的にその場から離れる。硬直してるクガイを突き飛ばすようにして、距離をとる。手慣れたもんだ。
椅子が倒れる音が響き、ワンテンポ遅れて客たちがどよめき始めた。
杖を手に取ろうとしたけど、今の僕には金杖がない。
「皆様ごめんあそばせ~。支度に手間がかかって遅れてしまって……ほんとに申し訳ありませんの」
ホールにひとりの女が入ってくる。
背が低く、僕より年下に見える。
甘ったるいツインテールに、両耳にはピアスの穴が派手に開いていた。
そしてこれでもかというくらい短いピンクのミニスカートから、緑の蛇の刺青が入った太腿をむき出しにしていた。
どう考えても、この場にはそぐわない人物が、僕らを居丈高に睥睨している。
何より異常なのは、彼女の後ろに、体長二メートルほどの赤い鎧が片膝を突いていることだ。鎧は手に剣を携え、それが血に濡れていた。
「あたくしの名はカミーユ。《火曜日の使徒》、カミーユよ。風信子イキシアの招きに応じ、参上いたしましたぁ!」
「使徒…………!? 循環の七使徒教団か!?」
「その通り。上流階級ごっこも楽しいものよね」
カミーユは胸元から、金の鎖に下げられた五角形のペンダントを見せた。
それは、見間違えようがない。世界的に有名なカルト教団のエンブレムだ。
こんな場所で出会うとは思わなかった!
おじさんが言っていた天使とは、彼女のことだろう。
だが、天使という呼び方は語弊がある。
彼女を遣わしたのは神なんかではない。地獄の大将軍か何かのはずだ。
「ヤバそうな教団だってのは最初から理解してたけど、一応聞く。何故、その人を殺したんだ!?」
「ふうむ。楽しい問いかけだけど、殺してない」
「はあ? どう考えても現行犯だっただろ!」
「やだやだぁ、誰も殺してないんだからこれは犯罪じゃない。ただの、あたくしとそのオッサンの楽しいじゃれあいなの」
カミーユは、両手を顔の近くで組み合わせて、ぶりっ子のポーズ。うしろの鎧も軋む音を立てながら同じように動く。
どう考えても陰惨な殺人事件だろ、と発言する前に、異変に気がつく。
死体が横たわっているはずの場所に、何もない。
飛び散ったはずの血も綺麗に消えている。
そして少し離れた窓際に、一頭の羚羊がいた。
羚羊は居心地が悪そうに身じろぎしたあと、体をぐにゃりと歪ませた。蹄のついた足が人間の足に、前足が手に、だんだんとオッサンの姿に近づいていく。
みごとな変身術だ。さっきの死体も、見せかけだけか。
「やれやれ、お嬢さんの悪ふざけは寿命が縮むよ……、もっとお手柔らかにお願いできないものかね?」
おっさんはカミーユに笑顔を向ける。
じゃれあいだ、と言ったのは本当かと納得しかけたが、おじさんの様子がおかしい。彼は青い表情で、汗をかいている。
「あたくしの遊びに付き合えないなら、次は今度こそ殺すからね」
次の刹那、膨大な魔力を感じた。
カミーユから、というより、カミーユの背後から、現実を捻じ曲げる魔術師の力が働いているのを感じる。
「あたくしが合図したら、すかさず爆死してみっともない死にざまを見せて。一秒でも遅れたら、本物のミンチにしてあんたをハンバーグにするんだから!」
その表情はイジメっ子のソレだ。
標的にされているおじさんをよく見ると、首に真一文字の傷が残っている。
ほかの客はカミーユを遠巻きにしている。あからさまに、恐れている。
彼女はこの場を支配する赤の女王は私だ、と言わんばかりに、堂々とホールの真ん中へと進んでいく。その後ろを鎧と、ベールをかぶった細身の女が続く。教団の信者だろう。何故か、顔の上半分を仮面で覆っていた。
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