14 大魔女の罠



 昔々、サルイシアという名のお姫様がおりました。


 心細やかな姫君の関心ごとはお城の奥深くで物語を読むことでした。

 美しい宝石もドレスも、美食も恋も、愉快なお友達でさえ、物語ほど魅力的には思えないのです。

 けれどもサルイシアの穏やかな日々はそう長くは続きませんでした。

 ある日、姫の父君は騎士たちを引き連れて竜討伐に赴き、二度と帰ってくることはありませんでした。

 それから独り身になったお妃さまは隣国の王様と結婚し、三月後、夕食のテーブルで血を吐いて倒れました。

 そして王様の次の妃に選ばれたのは、誰あろう、サルイシアだったのです。

 母君を毒で殺したのがいったい誰なのかに気がつき、嘆きましたが、もはや何もかも手遅れです。


 彼女にできることといえば、お城の塔にこもり、本のページを開いて、美しい物語に溺れることだけ。


 そして彼女は、義理の父親との間に三人もの子をもうけました。

 王様は何度もサルイシアの夕食に毒を盛り、もうそれほど若くはなくなった妻を殺してしまおうとしましたが、ふたりは末永く幸せに暮らしました。


 めでたし、めでたし。




*****





 ここは過去の世界で、僕はリリアンを通して世界をみてる。

 しかし語り掛けてくるのは例の《青海文書》に潜む何ものかだ。

 知らなかった。というか知りようがなかった。彼らの過去に《青海文書》がかかわってるなんて。


「残念ながら、あそこにコチョウがいるって可能性が消えない限り、戻るって選択肢はないよ」


 クガイはなぜか満面の笑みだ。

 目の前にある超絶怪しい屋敷がネズミの遊園地に見える奇病にかかってるのかもしれない。


「ですよねぇ~~~~…………」


 何しろこいつは自分をゴミのように見下してるとわかってる相手のためにここにいる。この最低な旅行計画をさらに下回ることが、この先に待ち受けていると考えるのは中々レアな思考だ。クガイは僕がどれだけ警告しても行くだろう。

 なんなんだその限りなく消極的な理由による積極的な行動力は。


「どうしてそこまで星条コチョウにこだわるんですか?」

「長引きそうな会話で足止めする作戦もナシだよ」


 やりにくい。今、僕は美少女のはずなのに……。これだけの美少女力があれば、おじさんたちは自分の身の上話をしたくてしたくてたまらなくなるはずなのに。ガワだけだからなのか。

 あっという間に玄関にたどり着く。

 見た目は普通の田舎の屋敷って感じだ。

 めちゃくちゃ広くはあるんだけど、華美な装飾とかはない。

 庭も噴水があって、ただそれだけ。


「お待ちしておりました、尖晶クガイ様と特別なお連れの方。私は当家の執事です。ルニスとお呼びください」


 少しくたびれた僕たちを、高身長とすらりと長い手足を燕尾服に包んだ使用人風の男が出迎える。格好は執事なわけだけど、首につけてるアクセサリーが異様だ。真っ黒な革の、どうみても首輪。合わせ目に銀色の錠までついている。

 イキシアとやらは、限りなく薄い金色の髪と青い瞳がお似合いの美青年に首輪をつける趣味があるのだろうか。考えると憂鬱になる。

 それに、さっきから何かがヘンだ。

 少しだけ感じてた文書のケハイも今はなりを潜めてる。

 魔術の力も感じない。

 なのになんだか、気持ちが悪い。秘色屋敷を見ていると、すべての景色が嘘くさく見える。目の前には貴族の屋敷があって、田舎の風景が広がってるけど……なんだかちがう。あえて言葉にするなら、《嘘くさい》だ。


「てっきり招かれざる客かと」とクガイ。

「いいえ、当屋敷の主人はあなた様の来訪を殊の外お喜びです。魔眼の尖晶家当主にして、女王陛下に望まれたお方。女王国の盾となられるお方。私共にはいつだって招待状を差し上げるご用意がありますとも」


 執事がそう言って親指と人差し指を九十度に広げ、両手を四角く重ねあわせると、そこに白い封筒が現れる。魔術ではなく、マジックだ。

 差し出された封筒をクガイは簡単には受け取らなかった。


「ここに星条コチョウが来たはずだ」

「確かにいらっしゃっております。交霊会の招待状を差し上げました」

「彼を連れ帰りたい。コチョウの無事が確認できさえすれば、俺たちはここで帰るよ。何もせずにね」

「つかぬことをお伺いしますが、もしも無事が確認できなかったとしたら?」

「大暴れするかも」

「それはそれは恐ろしい……しかし、クガイ様。私ども使用人はただお客様の手足になって仕えるのみの存在です。ましてやコチョウ様はみずから望んでこの屋敷にいらっしゃるのですから、お客様の意思に反することなどできようはずもありません」

「返してほしければ、直接行って本人と交渉しろと言うんだな」


 ルニスは恭しく頭を垂れ、右手で玄関を示してみせた。


「どうするの?」

「招待を受けるしかないな」


 クガイは白い封筒を受け取り、僕のことをちらりと見た。


「彼女はどうなる?」

「招待状をお持ちの方は、誰であろうと歓迎いたしますとも」

「僕は招待状なんか持ってないけど……」

「いいえ、お持ちのはずです。このルニスがお客様を間違えるはずがありません」


 ルニスはそう言って、みているほうが薄ら寒い気持ちになりそうな笑みを浮かべた。

 招待状って、どういうことだろう。

 戸惑っていると、提げていたカバンの留め金が外れて、何かが滑り落ちた。

 それをクガイが拾いあげる。


「――――君の招待状だ」


 白い封筒を受け取る。開いた革カバンは自然と閉じて、また留め金がかかる。

 封筒には見覚えがある。図書館の僕の部屋に、リリアンの手紙とともに届いたアレだ。


 なぜ、交霊会の招待状が僕の部屋に……?


 僕は愕然としていた。これは罠だ。

 招待状を滑り込ませたのは、リリアンに違いない。

 彼女はこうなると知っていて、最初から知っていて、僕に接触してきてた。

 僕をこの時間、この屋敷に呼び込むためにだ。


「ようこそ、秘色屋敷へ」


 ルニスが扉を開く。

 ここで起きたことは、全てが過去に起きたこと。

 それなのに――その先に何が待ち受けているのか、たった一通の手紙で全く見えなくなった。


 魔女には近づくな、というオルドルのいつもの忠告は、悔しいけど、だいたいいつも正しい。





「ご滞在中は、こちらの部屋をご自由にお使いください。七時半から大広間にて晩餐会が、そして九時から交霊会が開かれる予定です」


 客室が左右にずらりと並んだ廊下で、ルニスが言う。

 案内された部屋はダニやノミなどいっぴきも見当たらない隅から隅までピカピカ、フカフカのベッドつきの部屋で、しかも寝室がふたつ別についているという豪華仕様だった。


「コチョウの部屋は?」

「私の権限では、お教えすることはできません。しかし、たとえどれだけ失礼なやり方であろうとも、隅から隅までノックして回るということを、禁じているわけではありません。皆様、優秀な魔術師でいらっしゃいますからオススメしませんがね」


 用があるときはベルを鳴らしてくれ、と言いおいて、ルニスは扉を閉めた。

 部屋の真ん中にテーブルがあり、ティーセットとチョコレート、そして金色の小さなベルが置いてあった。

 僕はそれを取り上げたが、チリンとかすかに鳴るだけで、とても廊下にまで響きそうにはない。ましてや、この広い屋敷の中で、どうやって音を拾うつもりなんだろう。それとも、魔術的なものなのだろうか。


「まさか、君も招待客だったとはね」


 クガイが溜息まじりに言う。


「説得力皆無だろうけど、言い訳をさせて。僕も知らなかったんだ。あれが招待状だったなんて」


 あれが過去から届いた招待状だったとは……。

 いや、想像できるわけないだろう。そんなの。


「ここに来るまでにいろいろあって……めちゃくちゃなことが。で、ポケットに押し込んだままになってたんだ」

「おいおい、それでも魔術師か? 不用心だな」

「自分でもそう思うよ。それで何度も死にかけてるし」


 振り返ると、クガイは着ていた服を脱いでいた。

 僕は女子ではないので悲鳴を上げたりはしない。

 ただ、肩に傷跡を見ただけだ。鋭い刃物で刺された傷口。黒ずんで、禍々しい魔力を放ってる。あれは……魔人の気配だ。やっぱり、ここは、すべてが終わったあとの時間だ。目の前にいるのは、魔人の過去。彼は本物のクガイじゃない。

 クガイの写しだ。


「君も着替えたら?」


 クローゼットには女性もののドレスと、燕尾服、小物類が一通りそろっていた。

 


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