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 時間経過とともに魔人は数を増やしていた。

 最初は校内にチラホラと徘徊する影を見る程度だったのが、今やゾンビサバイバルアクションゲーム並の出現率だ。

 しかも奴らは何故か僕たちの姿を見るとそれまでにしていたことを中断し、こっちを追いかけて来るのだった。


「何故!? なんでこんなことに!? 僕、また、なんかしちゃいましたかね、無意識のうちに!?」


 口から出てくるのは異世界転生者のあるある台詞だが、こんなにうま味のない状況で使うことになるとは思わなかった。

 合計四体の魔人に追跡された僕を抱え、徒歩移動も撃破も完全に諦めたヒギリとイチゲが飛翔する。

 リリアン曰く魔人が撒き散らす《呪い》とは可視化された不運や悪運の塊であり、汚染を受けすぎると悶え苦しんでのたうち回り、全身の血を体中の穴という穴から噴出させて死ぬとのことだ。


「とりま、ドアを開けて来るぞ! 先にそのウスノロ迷惑教師を放り込め!」


 マスター・サカキの研究室の扉を視界に収めたヒギリが、光そのものと化して突撃する。ただし両開きの大きなドアはその前に自然と開かれ、ヒギリの鉄靴がタイルの床に着地した。

 僕はイチゲによって内部に放り込まれ、三回転し、三回天井を見上げ、そして最後に僕を見下ろしてくる青ざめた顔を見つけた。



「マスター・サカキ!!」

「ようこそ、歓迎しますよマスター・ヒナガ。それに三大魔女、リリアン殿。エンレイ、オクナ、チドリ、アカザ……私がいいと言うまで防御陣を張り、魔人をここに近づけないように。できますね」

「応!」


 四人がほぼ同時に抜剣し、五角形の防御壁が合計二十枚、部屋の前面を覆い尽くすように展開する。

 マスター・サカキの教え子たちの得意技は攻撃よりも防御だ。しかも揃っている面子は校内戦のときも顔をみかけた選りすぐりである。

 魔人の攻撃はその表面で反射し、全く受け付けない。


「この子たちは少し力が足りないので、ヒギリ、イチゲ、あなたたちも協力してください。できれば絶版の秘蔵書は焼かないように……。ヒナガ先生とリリアン殿はこちらへ」

「や、僕はみんなを援護してから行くよ」

「それはできません。時戻しの術を使いに来たんでしょう」


 僕は面食らってまじまじとサカキの顔を見つめてしまう。


「何故そのことを……? 魔人のことも知っているみたいだったし……」

「いいですか。いつでも一歩、誰よりも深く踏みこまなければ適切な解は得られません。魔術師として、そして教師としてキミに教えられるのはこれくらいです」


 書棚と書棚の隙間に扉がある。

 サカキはそちらを手で示した。



*



 扉を入った先は円形の空間だった。

 壁際に並んでいるのは、今度は箱に入った宝石たちだ。

 扉を潜るときに菫青家の屋敷で感じたような重たい空気を潜った気がしたから、ここも何らかの魔術で防御された空間なのだと思う。扉を閉めると戦闘音はまったく聞こえなくなる。

 室温は外気よりも涼しくて、サカキにとってあまりいい空間ではないだろう。彼は自動で動く車椅子の上でひざ掛けで自らをくるみ、何度か咳き込んだ。

 リリアンは部屋の中央に鞄を置き、開いた。中から鈍色に輝く台座と、万華鏡が現れる。

 

「今……この学院の中で、貴方と別れたプリムラとオガルも魔人に狙われて襲われています。彼らだけではない。教官たちすべてです。彼らはじきにそのことに気がつき、生徒たちを逃がして籠城戦に持ち込もうとするでしょう……分身体が相手ならともかく、本体が出てくるとなるとまずい。ここから先は、時間の問題ですねぇ」

「まるで見てきたように言うんですね」

「まあ、天才ですので。というのは冗談ですけど。最初からわかっていたんですよ。貴方がここに来ることも、魔人が私たちをねらうことも。だから、あなたを呼んだんです。事態が悪くなる手前の地点でね」


 全く冗談とは思えない。

 この空間に入ってからタブレットは全く使えなくなった。

 それなのにサカキはどこか遠くを見通すような表情だ。

 以前は人形としてしか対峙していなかったからわかりにくかったけれど、こうして人間の体を得たサカキの雰囲気は同じ学院の教師なのにオガルやプリムラとはちがう。武闘派のカガチとも違う。

 どちらかというと……マージョリーや……キヤラに似てる。痩せ細った体のむこうに、天性の何かがあると感じる。そう、何か人にははかりしれないものが。

 サカキには、そう思わせるだけの何かがあるのだ。


「僕が先にこっちに来ていたら、ここまで事態は悪くならなかった、ということ?」

「さあ、どうでしょう。しかし事態を穏便に収束させたいと思っているのなら、方法を提供することはできますよ」

「なんですか」

「いささか乱暴で単調すぎるやり方ですが、これが一番効果を発揮する。魔女がいうところによると、人がそれに価値を見出すからこそ利用せざるを得ない。つまり、私をこの場で殺すことです」


 サカキはじっとこちらを見つめながらいう。


「そうすれば魔人は学院からすぐさま退去するでしょう。これはあなたの使い魔がマージョリーを押さえ込んでいる今だからこそ使えるお得な方法ですよ」


 もう、こっちの事情を知っていることは驚くまい。

 遊びや冗談で言っているのではないことは表情を見ていればわかる。

 サカキがそうだと言うなら、そうなのだ。彼は僕の知らないことを知っている。

 疑問は色々ある。なんでそんなことをしなくちゃいけないんだ? なぜ、マスター・サカキを殺すことと、魔人が関係するのだ?

 だがすべてをひっくるめて、僕の結論は決まりきっている。


「できるわけがない。貴方は校内戦のとき一緒に戦ってくれた。そして戦いの果てに何があるのかわからなくて迷っていたとき、その果てで待っていてくれた貴方を傷つけることなんてできない」

「それは君の本心と言えるだろうか。状況が切迫していなければ、君は《戦い》という手段を取るような人間ではないように見受けられる。今でも迷っているだろう」


 そうだ。魔人の腕も切り落とすことのできない臆病者、それが偽らざるところの僕自身だ。


「それでも。それが唯一の方法だったとしても、そうではない方法を探したい」


 別の方法を探そうよ、と言った僕。

 ただひたすら甘くて、何にもわかっていなかった。

 今は少しだけ状況がわかるようになってきて、全てがハッピーエンドで終わるわけじゃないということも身に染みて理解しているつもりだ。

 それでも。

 それでも、今でもずっと、別の方法を探している。


「こちらの支度は全て滞りなく完了しております、マスター・ヒナガ」

 

 リリアンが部屋の中央から呼び寄せる。

 いつの間にか椅子まで登場していて、万華鏡のレンズを覗き込んでいる状態だ。


「それって収蔵庫にお邪魔したときのやつだよね」

「そう、リリアンとこの魔道具は一心同体。むしろリリアンがこの魔道具の付属品、と言えるかもしれません」

「これで過去の世界を《見る》ってわけか。マージョリーみたいに」


 万華鏡で覗き込んでいる光景が壁面一杯に投影される。青や薄青、緑や黒、朱や赤、様々な光と色とが模様を作り、壊れ、輝きながら変化していく。


「マージョリー・マガツの性能と比べたら下位互換にもならないでしょう。しかし彼女にはできないこともリリアンにはできる。正確には、今やろうとしているのはリリアンが見ているものを貴方にお伝えするものです」

「君が《見ているもの》?」

「簡単に仕組みをお伝えしておきましょう。そのあたりに、石ころがありますね」

「石ころではないけど……」


 リリアンが壁いっぱいの宝石たちを指で示す。

 マスター・サカキは黙ってこっちを見つめている。


「石ころには、意識があると思いますか」

「いや、無いと思う」

「そうです。人の定義するところの《意識》というのは、生命だけが持つものです。そして人間の意識は、何故だか《現在》しか認識することができません。で、あれば……《意識》を持たない石ころは? 彼らは現在を意識することはありません。不可逆であるはずの《時間》を認識することすらないでしょう。生命の無い《物体》には、時間を持たない彼らには、意識はない。つまり、過去と、現在と、物体が破壊されるまでの未来、その全てにと言えるのでは?」


 僕はリリアンの途方もない詭弁に圧倒されていた。


「リリアンは収蔵庫の管理人、そしてその鍵、そしてまた、その魔術理論の実現のために生み出された美しき人形なのでございます」

「つまり、君は過去も、現在も、未来も同時に認識してるってこと……?」

「区別がない、という意味です。いわばリリアンは遠眼鏡のレンズ。レンズは遠くを見渡すけれど、見渡しているという《意識》はない。これは魔術なのです。リリアン・ヤン・ルトロヴァイユという名前の術式なのです」


 リリアンがもう一度、レンズを覗き込む。

 そして万華鏡の本体に、金色のピンを打ち込んで行く。

 様々に変化していた鏡の像はひとつに結ばれ、扉の《絵》になる。

 その木製の簡素な扉を見たことがある。ウィクトル商会を訊ねたとき、暖炉の隠し通路を通って訪れた場所。リリアンがいたのどかな場所の、素朴な家。

 その扉だった。


「ウィクトル商会、その収蔵庫に秘匿されたその最たるものをマスター・ヒナガにお見せできること、嬉しく思います。さあ……」


 声に誘われ、僕は扉に手をかける。



*



 扉の向こうに少年の姿が消えた後、リリアンは呟いた。


「感謝します、マスター・ヒナガ。これで商会はマスター・サカキという顧客を失わずに済みます」


 車椅子に腰かけ、何か重大な悩み事が頭をもたげているかのように俯きながら、サカキは皮肉げな表情をみせる。


「可哀想に……」

「なぜです?」


 リリアンは不思議そうに首を傾げる。


「ずうっと思っていたんです。《このような、つまらない、ひどく退屈なものたちのために》八つ裂きにされる少年が、かわいそうだってね」


 この部屋に、時は流れない。

 ただただ重苦しい過去と、混乱する現在と、そして脅威が訪れようとしている未来の、その足音がどこからか聞こえてくる。その予感だけが横たわっていた。

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