10 後ろ向きに時を駆けろ


 会話を成立させるために必要なものは、信頼や優しさ、親切心や気遣いだ。それが削がれた瞬間、コミュニケーションは成立しなくなる。


「人形も突然、頭おかしくなったりするの?」


 体調不良につき、僕の言葉からは親切さや気遣いなど、相手を思いやる感情が根こそぎ削ぎ落されていた。

 タイムトラベルよりもまだ神の実在のほうが信じられる。

 リリアンは無言で真顔のまま、両手を顔の前に持ってきてゆるく握りこみ、大きく口を開けてみせた。獰猛なライオンのモノマネのように見える。

 控え目であざとい怒りの表明だ。


「空中に話しかけている魔術師に言われたくありません。過去に戻るといっても、《跳躍タイムジャンプ》ではなく《覗き見》に近い方法です」

「それを使えば、魔人の本体が何を探してるのかわかるんだな?」

「可能性がある、という程度ですけど。いつだってそのようなものでしょう」


 ガシャン、と硝子が割れる音がする。リリアンとふたり、冷や汗を流しながら振り返ると、案の定、魔人が硝子窓を叩き割って突入してきたところだった。


「そのプランAには何が必要なのかな!?」

「私は狂人なのでは?」

「根に持たないで! 持久戦向きじゃないんで!」


 無限残機と言えば聞こえはいいが、しかしそれは『心折れぬ限り』の限定モノだ。


「必要なものは《絶対に安全な、魔術的に防御された結界》です」

「君もシェルターに逃げ込みたい気分だったとは、奇遇だね!」

「あまり人目に触れないほうが良いでしょう。違法行為ですので」

「そんな都合のいいところは」


 ない、と続けようとしたところで悪魔的発想が閃いた。

 凄い。

 人間、生存を賭けていると思うと、無限にアイデアが湧いてくるみたいだ。


「ひとつだけ候補がある。ここを切り抜けられたら、って話だけど……」


 魔人は悠然と歩いてくる。

 僕たちはジリジリと後退していく。

 模倣の能力を恐れて、手の内を見せられない。

 奴のことを以前よりも不気味だと感じるのは、《目的がわからない》からだ。わかるようで、わからない。コチョウを見つけてどうするつもりなのか、何をするつもりなのか……。


「僕たちはお前の敵じゃないぞ……!」


 尖晶屋敷で遭遇したときは、魔人には明確な目的があった。だがここにはマツヨイはいない。アマレと共にこの地上から永久に消え去ったんだ。呪いを撒き散らす、という厄介な性質はあるが、根本的に敵対しているわけではない。

 魔人はじっと僕らを見つめ、それから。


「リリアン、下がって!」


 地面を蹴って、ひと息にこちらに近づいてくる。

 魔術は使えない。なら、防御して殺す。

 それしかない。

 一撃死しなければ、勝機はある。

 金杖を構えて、衝撃に備える。

 一撃死しなければ……したとしても、肉片からオルドルが再生してくれるはずだ。

 そのとき、僕の横を足音が駆け抜けた。


「覚悟決めるにゃまだまだ早いぜせんせぇ~~~~っ!」


 足音は僕の少し後ろから途切れ、学院の廊下に鳥の翼の形をした大きな影が落ちる。

 僕の肩口をすり抜けるように飛び上り、魔人に向かってダイブ。飛翔の魔術によって飛んだまま、地面に対して横向きに寝た体を高速回転させることによって、硬質化した竜の翼を魔人に叩きつけた。

 吹き飛んだ魔人の体はコンクリートを突き破り、名も知らぬ教室に叩きこまれていく。

 魔術が解除され、大きな翼が光となって消えると、そこには視線を魔人に向けたままブイサインを掲げる頼もしい五鱗騎士の姿が現れる。


「いい女は見えないところで努力をするもの――良妻に相応しいこの冴えた技をとくとご覧あれ。むふふ。よっしゃ来いっ!」


 イチゲは両足を広げて重心を低く構える。魔術と鍛練によって鍛え抜かれた肉体と、それがもたらす安定感は、あくまでも女子高生然とした可愛い容姿に比してどことなく相撲をほうふつとさせる。

 机やいすの残骸を跳ね飛ばし、稲妻の速度で飛来する魔人を、イチゲは全身で抱えこみ、拘束する。


「来いっ! ヒギリぃ!!」


 まさに瞬きの間だった。イチゲの合図の数瞬後に、僕の鼻先には金色の鋭い爪が突き立てられ……かけていた。

 わずかに遅れて破砕音がして、状況を悟る。

 ヒギリが竜鱗魔術で校舎の外から突撃し、魔人だけを拳で打ち抜いたのだ。

 黄色い光沢をまとう鉄甲に装着された刃。爪と爪の間には、真っ黒なガラス光沢のある石のようなものが挟まっていた。


「あ…………ありがとう、ヒギリ」


 竜騎装をまとったまま、ヒギリが石を潰す。その途端、魔人は人の体を失い、黒い触手のような影だけをその場に残して崩れ去っていった。


「あれ? 意外と呆気無いな」

「この魔人、この間会った奴より確実によえーんだよ。それに、あの石ころみたいな核みたいなモンがあって、ソレ壊したら一発だ」

「時間もあったからねぇ。優等生としては、対応策を考えておくのは当然だよねぇ……でも、このドロドロはやめて欲しいかなぁ」


 イチゲは制服にこびりついた魔人の残り香を、気色悪そうに見下ろしている。


「てめーに言いたいことがあるんだがな。どこが、《任せとけ》なんだバカ野郎! 訳わかんねえ大事になってるじゃねえかよ!」

「面目しだいもございません……」


 魔人が進化し、分裂したのは僕のせいではないが、僕の両手には余る大事件になってしまったことだけは認めざるを得ない。


「これにはめちゃくちゃ複雑な事情があって。カガチには僕から説明するから! それに、これくらいの規模の事件になったのなら、流石に二人だけに責任を負わせるのは無理があると思うし!」


 イチゲはにっこり笑って、「死ぬときは一緒だよぉ」と甘ったるい声音で言いながら両手でハートマークを形作り、それをギュッとひねり潰すジェスチャーを見せつけてくる。

 死なば諸共、一蓮托生、ひとりでは絶対に死なないぞ、お前の心臓を潰し息の根を止めてやるからな、という力強い主張を感じた。


「それより、竜鱗学科の生徒たちが魔人と接触したらさらに厄介なことになるよ」

「連中には、俺たちがそれとなーくアイツの能力について知らせてる」

「それとなくってどうやって?」


 二人はどうやら、無効化可能な適当な魔術を披露し、魔人に《模倣》の魔眼を使わせて、さっきの分身体と同じく処分してみせたらしい。

 そして、救助と避難誘導にかこつけて僕とリリアンと合流した……と。

 いかにも苦肉の策、といった方法だ。


「避難誘導なら、ちょうどよかった。ふたりとも、このまま僕らを護衛してくれないかな。どうにかして魔人の本体を見つけ出したいんだ」

「学院の外には出れねえぞ」


 腕に巻かれたバングルを見せる。竜鱗学科の生徒である二人も、僕と同じ腕章を身に着けていた。

 位置情報が記録されているため、敷地の外には出れない。


「そこは大丈夫。僕が行くのは、マスター・サカキの研究室だから」


 発言に対して、ふたりの反応はそれぞれだった。

 イチゲはある程度納得した顔でポンと手を打ち、ヒギリは今にも吐きそう、といった表情だ。



*



 天井まで、見上げるほど背が高い書棚に隙間なく魔術書が並んでいる。三階建てくらいの高さがある、半円状の空間だ。

 本棚は半円状に隙間なく並べられ、スロープや階段で上がれるようになっている。それに沿うように、金色のレールが走っていた。

 レールの先には寝椅子が据え付けられており、幾何学的な模様が複雑に重なる柄の織物の端が垂れているのが、一階から見えた。

 寝椅子はちょうど、三階あたりの端にいる。


「マスター・サカキ~~!」


 灰瑚エンレイは声を張り上げる。

 寝椅子がレールの上で回転、いつでも少し眠たげで腫れぼったい眼が教え子を見下ろした。


「なんか外が騒がしいけど、あたしらはほんとに行かなくていいの?」


 正式なアナウンスはまだだが、正体不明の魔術師が分裂して呪いを撒き散らしている、という意味不明の情報が、生徒間で噂になっている。カガチ教室の生徒たちはすでにチームを組んで偵察に回っているはずだ。

 しかしマスター・サカキはいつも通りで、エンレイの双子の姉妹、オクナは読み終わった山のような魔術師を片付けているし、一学年先輩のチドリとアカザも、研究資料をまとめるなど、いつもの教室の風景そのままだ。


「他の子たちにはカガチ教室の生徒といっしょに校内を回るよう、チーム分けと、警戒地点のオーダーを出しておきましたよ」

「えーーーーっっ!!!!」


 いつの間にやら、なんでもないことのように言うサカキと、おおげさに驚くエンレイ。

 ただ、驚いているのはチドリたちも同じだった。


「あたしらはいーんですか? というか、先生ははやく避難したほうがいいんじゃないですか!?」


 サカキは天才魔術師であるが、体が弱すぎる。こうしている間にも苦しげに咳を何度かしており、オクナに背中をさすられていた。

 そんなマスター・サカキの避難には、健康な者とちがい体調悪化時の医療用具や看護師の配備など準備と手間がかかるのだ。


「私は避難しません。こうなると見込んで、この部屋には鏡はいっさいないし、君たちもいるし、何よりもうじき、来客があるからねぇ」

「来客?」

「招待はしておいたんだけどなあ。少し警戒したのかもね。あの子、自分で思ってるよりずっと勘が強いから」


 ひじ掛けと一体になった操作盤のスイッチを動かし、椅子が地上へゆっくり降りてくる。

 それと、魔人に追い立てられるように、マスター・ヒナガ率いる謎すぎる四人組が部屋に雪崩こんできたのが、ほぼ同じタイミングだった。



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