第3話 星の灯、君が浮かべる月よりあかるく

1 幾億の夢



 見渡すかぎり一面の雪景色がある。

 樹木はみな枯れて死んでいるかのように氷をまとい、大地という大地で白く覆われていない場所など無いに等しい。

 山頂から離れたところに、ぽつりと《白》が落ちている。

 寒冷地仕様の純白の衣装を身に着けた天藍アオイである。

 肌や髪の白さ、その身に移植された《白鱗天竜》の白さは、影がなければ雪にほとんど溶け込むかのようだ。

 彼は両手に剣を抜いていたが戦う素振りはなく、ただ山の頂をじっと見つめていた。

 見つめるその先から突如、低い唸り声が迸った。

 それは竜の鳴き声に似て、大地を揺さぶる。

 そして束の間の静寂ののち、紛れもない現実の地響きへと変貌してみせた。


「三の竜鱗――――」


 呟きが轟音にかき消される。

 山頂付近で発生した微振動が柔らかな積雪を揺り動かし、山肌を丸のみにする雪崩れとなって駆け下りてきたのだ。

 大雪崩れは数分で何もかもを飲み込み、そして静まった。

 平らに凪いだ表面に白い結晶が生まれ勢いよくはじける。

 魔術によって発生した竜鱗が周囲の雪を削り、その底にいる天藍アオイの姿が再び天の下に晒された。

 白い翼をばさりと翻すと、足下に置かれた装置が露わになる。

 地面に固定された味気ないシンプルな立方体に操作パネルが取り付けられただけのものだ。

 だが、中身は違う。装置には人工の、かなり特殊な魔術加工を施された縞瑪瑙の板が収納されている。

 この標高六千メートルのエリアに、他に同じ装置が二つ配置されており、現在はその板に書き込まれた魔術が結界を形成し、山頂を包囲している状態だ。

 天藍に与えられた任務は装置のうちひとつを守護すること。

 即ち。

 銀の瞳が再び頂きを見据える。

 灰色の大地が露わとなったそこに超巨大な氷の花が満開に咲いていた。

 外側の花弁は完全な透明、内にいくと微かに青みを帯び、真ん中は白くぼやけている。それが翡翠女王国の北部に位置する紅碧市にて《霊山》と名を馳せる鉄紺山の頂に、陽光を輝かしく反射させながら鎮座しているのである。

 これは大地の下を走る魔力の《脈》が結集した場所で誕生するという竜の《卵》である。

 断続的に雪崩が発生するのは、竜卵から放たれる魔力の波が山頂付近の環境を不安定にさせるからだ。

 通常、竜卵のある場所は生みの親とでもいうべき個体が護衛に残るはずであるが、その姿はない。三つの装置がその周囲を取り囲み、三人の騎士がそれぞれを守護するだけである。

 他の装置を守っている仲間から通信が入り、応じる。

 ホログラム映像が若い竜鱗騎士二人を映し出した。


『団長! さっきのはでかかったっすね~、そっちは無事ですか?』

『こちら敵影無し。山頂付近にも異常なし……こら、スオウ。団長殿に無礼な口をきくな』

『へいへ~い』


 二人とも紅碧市軍に所属する竜鱗騎士だ。

 百合白の《失政》以来、女王の命令なく動ける竜鱗騎士が各市に配備されることとなった。そのうちのふたりだ。彼らは王族守護の任務についたことも、王宮に昇ったことさえなく、さらにいえば天藍ともほぼ初対面だ。


「問題ない」と答え、天藍は眉を顰める。「が…………」


 明らかに地響きの間隔が短く、そして振動が大きくなっている。

 それは不吉な予兆といえた。

 山頂にある《竜卵》は、あれは卵であって、卵ではない。


『しかしこの解析機はいつになったら魔術解析の結果を弾き出してくれるんですかねえ』

『高度六千じゃ、山頂から遠すぎるからな』

『近かったら解析ってはやく終わんのか?』

『ああ、一瞬だよ、一瞬。その代わり、竜卵のほうも俺たちの魔力を感知して、事を早める危険があるがな……って、ブリーフィングのときに説明されただろが』


 じれたようなスオウの言葉に、ミヤマが《うんざり》といったふうに応じる。

 その間にも地響きはいよいよ無視できない大きさになった。山頂付近に滞留している魔力も濃すぎる。あまりにも濃度が高すぎて空は紺色に染まりつつある。何か異変が起きたのは明らかだ。

 天藍の瞳はふいに後方へと流れていった。


『あ、バレたあ?』


 そんなお気楽な声が左袖に縫い留められたカフスと現実の両方から聞こえる。

 茶色の髪をした小柄な少年・スオウが、魔術の翼を翻し、地面に降り立ったのだ。


「――ここで何をしている」


 顔合わせでは地元が碧市なのだと言っており、任務放棄するような性格とも思えなかったが。

 仲間とはいえ、合図もなく無音の飛翔でもって持ち場を離れた行動は警戒に値する。

 天藍は刃に手をかけた。


「へへっ、ちょいとすいませんが、これお借りしま~す♪」


 スオウの手が装置のパネルに伸びる。軽快にパスワードを打ち込むと、ロックが解除された。

 装置に真横のラインが走り、空気の抜ける音と共に瑪瑙の板が耐衝撃・耐魔術仕様の運搬用アタッシュケースごと排出される。


「何のつもりだ……?」


 天藍アオイは後退し、別方向に視線を走らせる。

 相手がスオウひとりなら間違いなく問答無用で斬っていた。だが、そこには同じケースを《二つ》手にしたミヤマが立っていた。


「すみませんが事は一刻を争う。団長殿は即時撤退なさってください。できる限り速やかに」

「そうそう。後は俺らに任せてってな」


 元より精悍だった青年たちの表情は任務中にしてはあまりにも爽やかで、何の気負いもない。無さすぎる。

 二人が石板を持ち逃げするなどとは天藍も夢にも思ってはいない。

 ただ、その目的となると全く想像の埒外にあった。


「翡翠宮に戻り、王姫殿下にお伝えください」

「紅碧市にとびっきりのアホがいたってな」


 二人はそう言って、飛び立った。

 一拍遅れて天藍も後を追う。

 すぐに濃い竜の魔力の霧に突っ込んだ。

 山頂の竜卵から排出される魔力量が増え、押し寄せてきているのだ。

 一般人であれば協力な竜の魔力に当てられ、寒さや空気の薄さも相まって即死していたかもしれない。


「待て、二人とも持ち場に戻れ! 命令の変更は受けていない!」

「わかんない人だなアンタ! だってどう考えたってそれじゃ間に合わない!!」

「俺たちは山頂で解析魔術を発動し、ギリギリまで粘ってから退避します! 貴方は逃げてください」

「同じ竜鱗騎士ならわかるだろ、三下の木っ端竜鱗騎士と白鱗天竜の適合者じゃ命の重みが違うんだよ!」


 間に合うはずがない。 

 天藍はそう直感した。

 竜鱗騎士が山頂まで辿り着けば間違いなく《竜卵》はすぐさま兵器としての側面を明らかにする。

 退避はできないし、移殖した竜鱗枚数の少ない彼らではろくな防御も不可能だ。


 一瞬、迷いが生じる。


 彼らを止めるべきか、否か――。

 いやちがう。彼らがしようとしていることは残酷だが正しい。

 二人は竜騎装を展開し、天藍に向けて竜鱗を放ってきた。

 回避した隙に二人は高度を上げていく。

 すでに天藍は追ってはいなかった。


 高度二千メートルのベースキャンプから状況を伝えるよう、再三通信が入っていた。

 ほどなく山頂に巨大な魔法陣が展開した。直後、竜卵が蠢き、金切り声のような絶叫と共に青白い光の柱が迸る。

 爆風と衝撃で、五鱗騎士は吹き飛ばされ、分厚い雪の層に叩きつけられた。

 天藍はすぐさま魔術を何重にも展開し、雪崩に備える。

 地上を再度襲った雪崩と衝撃がやんでも、立ち昇る光の柱はそのまま天を貫いていた。

 しばらくして最後の通信が入った。自動送信された位置コードだ。

 天藍は無表情にその座標をベースキャンプと紅碧市軍本部に伝達する。


「十の竜鱗! 竜騎装・白鱗天竜!!」


 そして翼を翻し、二人が示した座標へと向かった。ありったけの魔力、そして支給された兵装が供給する補助魔力を飛翔能力へと変換する。戦闘機を凌駕する速度でただひたすら飛翔し、地面が海面へと変わり、目的地の島影がみえた頃。

 天上から雲を突き抜け地上へと戻ってきた莫大な魔力エネルギーの塊が、島で何も知らず暮らす人々の頭上へと、あまりにも巨大な魔法陣を展開していく。

 そして今にも魔術を発動させ、その暮らしを薙ぎ払おうとしているのが見えた。

 同時に洋上に展開した艦船のひとつから、また別の竜鱗騎士がその光へと向かうのも見えた。

 解析魔術の結果を受け、魔術を消滅させるための高位魔術を刻んだ石板を持った、誰かが……。

 ギリギリで魔法陣が展開し、光柱は無数に切り分けられ、ひとつひとつが消滅していく。

 そしてただの光となり、島に降り注ぐ。

 それを見届け、魔力が尽きるまで飛んだ天藍アオイは海へと落ちて行った。



*



 数時間後、アオイは救助にきた戦闘艦艇の甲板に引きずり上げられた。

 そこには白髭の人物が同乗しており、頭からつま先までずぶ濡れの天藍アオイを見るなり、目を細めた。彼は海軍の所属ではない。

 胸の身分証や勲章の数から、それが紅碧市軍の司令官であるとわかる。


「何故、貴官がそこに」


 問いに、老兵は抜け目のない笑みをみせる。


「何、辺境にいますと竜鱗騎士団団長殿の顔など、なかなか拝めるものではありませんからな。やはり、実際に見るとお若い。負傷などはしておりませんか」

「…………心配無用だ。迷惑をかけた」

「部屋を用意しています。お休みください、後のことは部下がやります」

「ああ」


 それはどこまでも冷たい声音で、表情はいつもの無表情だ。

 だが、案内役に先導され、そこを離れる間際。


「立派な散りざまでしたな」


 先程の人物からそう、声がかかった。


「無礼を承知で訊くが、特攻せよと命じたのか」

「ええ、それも命令のうちです。幾千幾万の献身によって、女王国を守護することこそ我々に課せられた使命なのです。それが、何か」


「その先に何があるだろうか」と、ずぶ濡れの若者は応える。


「その先に……? ずいぶんと妙なことをおっしゃいますな」

「いや……忘れてくれ。貴卿の判断力によって女王国の危難が排除されたこと、誠に感服、感謝いたします。……だが、私が命じるべきだった」


 彼は案内役を振り切り、甲板の真ん中へと進み出る。

 そして吠えた。

 獣のように、雷鳴のように。

 傲慢かもしれないが、あの二人に行けと命じるべきだったという後悔が、言葉にならない叫びになる。

 ほかでもない、竜鱗騎士の宿命を知っている者こそが。

 ためらうべきではなかったのだ。


「その先に…………」


 咆哮する姿を見つめ、男は誰に語りかけているでもなく呟く。


 幾千幾万の献身の先に、幾億の夢だけが。希望の光のように見えて、やがて血みどろの闘争をもたらす幾億の夢だけが残るだろう…………と。


 

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