28 引き裂かれた未来
イチゲの助けを借りて、瓦礫の山から這い出る。
魔力切れの竜鱗騎士×2と一般人の僕ではこんなことでさえ一苦労だ。
灰まみれになりながらやっとの思いで這い出すと、遠くから市警の車輛が近づいてくるサイレンの音が聞こえてきた。
「ヒナガ先生ってさ、もしかしていつもこんな感じなの? どうやったら家庭訪問で生徒のお宅を大破壊することにつながるのかイチゲぜぇんぜんわかんないぃ」
「いや、僕的には、翡翠女王国って毎日こんな感じなの? って質問したい気分なんだけど……」
異世界転移してから、何も起きず、命が脅かされなかった日のほうが少ないぞ。
イチゲは真顔で「そんなことあるワケないじゃん」とにべもない。
やっぱり、そうか。そんなわけないか。
こっそり外をうかがうと、かなりの数の車輛が集まってきている。
そりゃあ、いくら魔術が許可されているとはいえ、許可の範囲を大きく上回るほどの大暴れだったからな。魔人が。
「どうするヒギリ。マスター・カガチに殺されるよ私たち」
「ズラかるぞ。とても何が起きたかイチからケツまで説明しきって無罪放免になる予感がしねえ!」
普段、不良キャラらしく奔放さを気取っているが、いつもヒギリの判断はかなり正しく的を射ている。
一連の事件が星条アマレによって起き、魔法生物が世間に溢れ、尖晶屋敷跡の団地は壊滅的な打撃を受けて、それでもってアマレはこの世から消え失せたことなど剣と魔法の世界であっても夢物語だ。
何よりクヨウは僕らがここに来ることを薄々察していながら、止めはしなかった。彼女なりに便宜をはかってくれたのだ。日頃の僕の献身に対してか、気紛れかは知らないけど彼女にとっても、僕たちがここに残っていると得にはならない。
表通りを避けて、裏口から外へと出た僕らを、思いもかけない出迎えが待っていた。
ささやかな星明りの下に、ドレスを着た人形が立っている。
月光の下にカンテラの明かりを提げ、表情を一切動かさずに佇む彼女は不気味で不自然だ。
「お初にお目にかかります。ウィクトル商会が収蔵庫管理人、リリアン・ヤン・ルトロヴァイユ、罷り越して御座います」
その挨拶に、「三大魔女!」と、ゴシップ好きなイチゲが声を上げる。
僕はと言うと、なんとなく、彼女が来るような気がしていた。
「マスター・ヒナガ。さる方が貴方をお望みです。《ファウストの鏡》の数奇な運命と事の顛末について、お知りになりたいことがあるでしょう。お二人も、どうぞ。クヨウ捜査官にみつかると厄介です、安全な場所へとお連れします」
裏通りには、灰色の首無し馬車が停まっていた。
*
リリアンはあのくそやばい《ファウストの鏡》が破壊されたことをすでに知っていた。
「あれはウィクトル商会のものですから。破壊されたならば、うつしとはいえ管理人はすぐに気が付きます」
涼しい顔でいう。
「やっぱり……。あんなヤバいものを、どうしてコチョウなんかに」
「これはあくまでも商売なのです。正当な対価が支払われたなら、品物を渡すのが商会の取り決めなのです」
「やったのはアマレとはいえ、商売で社会全体を危機的状況に陥れるのはどうなんだ。ちなみに鏡は壊れちゃったけど、どうなるの?」
「問題は鏡ではなく、鏡によって生み出された魔法生物たちのほうですね」
リリアンが言うには、鏡が破壊されても、鏡によって生み出された生命体が破壊されることはないという。
ただし、《この世界での自由を得た》とかいう非常に厄介な状態になる。
「すでに通報は済んでおります。《小人》たちは、通報によって市警の手に委ねられるでしょう」
彼らは発見され次第、再び司法の手によって拘束され、然るべき手段によって《処理》される。この点において、僕にできることもリリアンにできることも何ひとつない。それは翡翠女王国が決めること、そしてこの国の人たちが判断することだ。
差し迫った危険がないと悟ったのだろう。イチゲはヒギリと交代で、深く眠っている。ヒギリは車窓の風景から現在位置を確かめているだけで、こちらの会話なんかには口出しをしてこない。もともと彼らは勝手にピンチになっていた僕を仕方なく助けてくれただけで……事の顛末なんかには全く興味が無さそうだ。
馬車がどこに向かっているのか、リリアンが言うところの《安全な場所》がどこなのか、薄々察せられた。
車窓には翡翠内海の滔々たる波濤が、そしてその向こうに、煌びやかな光をはなつ人工島が見えて来る。
途中、市警の車輛とすれ違ったが、まるでこちらが見えていない様子で、止められもしないで通り過ぎて行った。
「アマレがどうなったのか、君は知ってるの……」
「いいえ。鏡のうつしを作るのは重大な契約違反ではありますが、それをどう使うのかについては、管理人の預かり知らぬこと。あそこで何が起きたのかを知っているのは、マスター・ヒナガ、あなたたちだけ」
「それじゃ、どうして君が迎えに来る?」
「今宵は、このリリアン・ヤン・ルトロヴァイユも、単なる招待客に過ぎません」
馬車は人工島に架かる橋を越えて、高級マンションのアプローチに滑りこみ、停まった。
ここは……今回のすべてが始まった場所だ。
星条コチョウの住む城。
専属の執事はもう、僕を止めることはなかった。
エレベータに乗り込み、最上階へと上がる。
専用のエントランスには、帯剣した若い青年が立ち、こちらを睥睨してくる。
「あの人、正規の竜鱗騎士だよ」
と、イチゲが耳元で囁いた。確かになんとなく、立ち居振る舞いがヒギリや天藍と似てる。眼光の鋭さも、だ。
何故、彼がここにいるのか……。
そう考えたとき、僕の心臓は無条件にどくん、と深く脈打つ。
玄関ホールに、星条コチョウが待ち構えていた。
「――――アマレは」
と、その酷薄な唇から息子の名が呼ばれたのは、意外な現象だった。
「消えた」
「ふん、だろうな。あいつはそういう奴だ」
それきり、興味を失ったかのように溜息を吐く。
「――予測してたなら、どうして」
「あれは心の弱い人間だった。いつまでも母親に執着し、星条家の跡継ぎとしての才覚をみせなかった。そんな些末でくだらん人格に付き合ってやる謂れはない」
僕は拳を握る。強く握りしめる。アマレと対峙していたときは最後まで感じられなかった激しい怒りが、この掌のなかにある。
こつり、と小さな音がする。
階段の上から、鈴を転がすような軽やかな声がふってくる。
「お父様、まずは客人の方の治療が優先だと思います。お話は、中で」
見上げると、そこには《少女》がいた。
少女という呼び方が、この世界でもっともふさわしい高貴な人物が。
白銀の髪に、恋する乙女の頬みたいな桃色の瞳。
華奢で可憐そのものの立ち姿は、まるで一輪の白百合そのもの。
彼女の姿を一目見た途端、喉がからからに乾くのを感じた。
「うふふ。お久しぶりです、マスター・ヒナガ・ツバキ……」
翡翠女王国で、紅華に次いで高貴な身分の女性。
紛れもないプリンセス。
星条百合白が、目の前にいる。
「貴方を呼び出したのは、お察しの通りこの私。どうぞ、奥へ。おもてなしします」
絶対に来ていると思ってた。
表にいた竜鱗騎士は、王の血族である彼女の護衛だ。
国外にいると聞いていたが、帰国していたのだ。
「会えてうれしいよ」と、僕は言った。
「まあ、本当ですか?」と、彼女は嬉しそうに微笑む。
もちろん。
少女に対する感情はかなり複雑だ。
心の底から、会えたことがうれしい、と感じている自分がいる。
何度も失われて行き、
引き継いだ魂の最も深いところに、彼女に対する微かな思慕がある。
鏡像が不変であるように、その感情は石ころのように動かず、潜んでいたのだ。
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