25


 マツヨイの姿が飲み込まれる寸前だった。


「その人を離せ!」


 イチゲが飛び込んで行き、光弾を放つ。

 魔人は避けるでもなく立ち尽くしたままだ。

 弾が眉間を通過するがダメージはない。何故ならそれはオルドルの魔術によるかなり程度の低い幻術で、現実になんら作用しない《騙し》だからだ。

 魔人は冷静にそれを見切り、手のひらを差し出した。

 その掌に、硬質な黒い欠片が集まり《銃》の形になる。

 引き金を引き絞ると、光ではなく闇色の魔力が線状に発射される。

 それはイチゲの幻を撃ち抜いて霧散させた。

 驚いた。

 驚かないわけがない。

 あれはイチゲが使う竜鱗魔術、《偽弓》の、完全な模倣だ……!


 竜鱗騎士が使うのは、魔力を膨大に消費する竜の魔術。

 あいつはそれを、なんの苦もなく使ってみせた。竜でもないのに!

 それ以上に計画が狂ったのが痛い。僕の幻に相手が気を取られている隙にベランダ側の窓を割ってイチゲが侵入する手筈だったんだ。

 それなのに敵は罠にはかからず、それによってこっちの計画が丸裸になってしまった。

 硝子が割れる音がする前に魔人の銃口がベランダに向いた。

 イチゲは迷わなかった。黒い閃光を全身に浴びながら、無理矢理に室内に侵入する。いくら竜鱗騎士の超反射神経があっても手狭な室内では避けようがない。それがわかってて、尚。敵の銃撃の合間を縫い、魔術を放つ。


「三の竜鱗! 《光幻竜閃光》!」


 全身を貫かれながらも丸い光の弾が放たれた。

 それは敵には向かわず部屋の中央に浮かんだ。

 そして大きく膨れ上がって視界を食らい尽くしていく。

 閃光の目くらましが部屋中を覆う中、僕がマツヨイを連れて逃げる算段だった。視覚がなくても、オルドルなら彼女の元に僕を運ぶことができる。

 マツヨイは魔人の掌によって細い首筋をがっちりと掴まれて締め上げられている。


「オルドル……!」


 さっきの幻術と合わせて爪くらいは食われそうだけど、仕方ない。

 金杖に魔力が流し込まれ、杖の姿が細身の剣に変わる。

 剣の使い方は校内戦のときに教わった。竜鱗騎士みたいな怪力は持ち合わせがないが、不意を突くくらいはできるはずだ。

 すぐに終わる。迷ってるヒマはない……。

 だけど。

 振り降ろした刃が肉に食い込む感触を覚えた、その瞬間、言いようもない恐怖が背筋を駆けのぼってくるのを感じた。

 わけのわからない敵だけど――こいつは肉も血もある《人間》なんだ。

 そう感じた。

 その事実を《怖い》と感じている。

 何のためらいもなく他人に暴力をぶつけようとしている自分が、ここにいる。


 いったい何やってるんだ。

 こんなことで躊躇うほど、きれいな手はしてない癖に。

 マリヤのこと、ルビアのこと、母さんのことも、何もかも――。


「何やってんだ、アホが」

 

 迷っていると、渋い声が、耳元で囁く。

 次の瞬間、銀色の刃が魔人の腕をはね飛ばした。

 それから身に覚えのある圧迫感が襲ってきて、気がついたら部屋の外にいた。空気の違いでわかる。

 目隠しをとると、全身に稲光をまとったヒギリが両手に僕とマツヨイ、それからイチゲを抱えて宙に躍り出すところだった。


「ヒギリ、怪我の具合は!? 戦えるのか!?」

「寝てる場合じゃねえだろ。気合いだ気合いぃ! マジで痛てーよちくしょう!」


 天藍は寝たら起きそうにないけど、何はともあれ起きてくれて助かった。

 別棟の屋上へと着地した。

 拘束を逃れたマツヨイは激しく咳き込んでいる。その背中をさすりながら見上げると、ヒギリは苦しそうな顔つきで出て来た棟を睨んでいた。


「アイツをこっから外に出すワケにはいかねぇ」


 魔人はというと、斬られた片腕を引っ提げてぬらりと部屋から出てくる。

 腕は闇には包まれていなかった。ごく普通の、男の腕に見える。

 魔人の周囲は帯電して、黒い稲光が走っていた。

 まるで高速飛翔を可能とするヒギリの魔術みたいに。


「まさかアイツ……君たちの魔術を全部、真似してるのか……」


 僕とマツヨイを守るように立ちふさがるイチゲが、頷く。

 そっくりそのまま、敵の魔術をまねる。

 言葉にすれば簡単だが厄介すぎる。


「これ以上、たとえば竜騎装まで完コピされたらいったいどうなるんだろぉ……」

「喚くなイチゲ、肚括るしかねえだろが!」


 竜鱗の装甲をまとう竜鱗騎士最強の魔術竜騎装を使えば、防御面でも攻撃面でも性能が格段に上がる。何より竜鱗が活性化して治癒もはやくなる。

 それだけに、模倣されたら、かなり危険だ。


「むだよ。そういう力だもの」


 ヒギリでも、イチゲでもない声がする。

 マツヨイが、顔を上げた。


「あれが、あれこそが、尖晶家の神髄。忌まれた血の究極形。お兄様の、緋色の魔眼の力よ」

「え……っと、まさかアレ、尖晶クガイ……?」


 何がどうなってどこから出て来たかは知らないが、行方不明になっているとかいう先代翡翠女王の騎士……。


「来て、お兄様、マツヨイはここだよ……!」


 ひと言、そう叫ぶなり、マツヨイは魔人に向かって走り出す。

 制止する僕のことなんかこれっぽっちも気にかけずに、わけのわからない《魔人》こと人造人間・尖晶クガイに両手を伸ばすマツヨイ。


「お兄様、お兄様っ! ずっと……ずっと待ってたの。いい子にしてたわ! だから……!」


 なんなんだ、これ。

 いくら肉親とはいえ相手はさっき自分を殺しかけてた男だっていうのに、まさしく狂気の沙汰だ。

 よくみると、さっきまで血色をしていたマツヨイ瞳の色が薄れて黄色まじりになっている。


「やるぞイチゲ。十の竜鱗! 竜騎装、雷蛇竜!」

「応! 竜騎装、光幻火竜っ!」


 二人が竜騎装を展開する。

 ヒギリは黄色まじりの光沢のある金属の鎧に鉤爪のある手甲、イチゲは羽のついた愛らしい鎧姿で、それぞれ構えている

 本気で、あの魔人を相手取ることにしたみたいだ。


 それと同時に、魔人の姿がかき消える。

 稲光と颶風をまとい、目視できない速さでその姿がこっちの屋上へと現れた。


 あくまでも目的はマツヨイなんだ。

 あいつは、黒い魔人はマツヨイを……殺すために来てる。


 イチゲが一歩下がり、ヒギリが突進を受け止めて竜鱗の鉤爪を乗せた右ストレートを食らわせる。

 その腕に魔人がまとっている黒いものが触手になって巻きつき、致命傷を避けた。ヒギリは休まず触手を切り裂きながら拳を繰り出し、稲光をまとった回し蹴りを食らわせる。続け様にイチゲが接近し、ごく至近距離から光弾を撃ちこんだ。


 全身を闇に包まれていてダメージが視認できないが、こっちが押してる……はずだ。


 魔人は毎日訓練に明け暮れているヒギリたちほど体術や戦闘術に優れているようでもない。

 でもなんとなく、嫌な予感がする。

 なんでだろう、なんでなんだろう。

 この優位は続かない、そんな気がする。

 光弾から逃げ惑っていた魔人が不意に光弾を触手で弾くと、手に提げていた腕を切り口に近づけた。


「《治癒クラル》……」


 初めてきいた、魔人の声だ。

 黒色の玻璃の天秤が浮かび、切り離された部位が元通りに繋がる。

 治療が済むと魔人は超高速でイチゲの方に接近し、構えた銃を払って銃口を外に向け、射線から自分自身を外してみせた。そして瞬時に模倣の《偽弓》をつくり、逆にイチゲに銃口を突きつける。

 さっきまでとはまるで別人の《動き》だ。

 さすがというべきか、イチゲもまた超反射神経で銃を持つ魔人の腕を捌いた。

 ごく至近距離で銃火が二回。イチゲも撃つ。ただしそれも逸らされて、あらぬところを撃つ。流れ弾が怖すぎる。


 僕はというと、全身全霊でマツヨイを階下へと引きずり、戦闘領域から脱出させようとしているところだった。

 

「いや、いやだ。お兄様!」


 マツヨイは魔人から離れたくないのか半狂乱になり、小さな口で僕の腕に思いっきり噛みついてくる。


「痛い!!」


 これじゃいったい、僕らはなにをしているのかわからない。

 感動の家族の再会とかならともかく、相手は彼女を殺そうとしてるんだぞ。

 階下にはヒギリたちがノックアウトした動物頭の不気味な人造人間たちと、アマレが待っていた。


「先生、そのまま母さんを連れてついて来て」


 ピンク色の髪と白いヒラヒラした服が、なんだか、現実からも、屋上で行われている非現実的な戦闘行為からも浮き立って見える。別の言葉で言い換えると、場違いだ。

 アマレはエレベーターホールに向かう。


「どこに行くんだ、アマレ……」

「静かなところ。どうせ、あのふたりは負けるよ」

「えっ」

「大丈夫。殺されたりはしない。目的は《鏡》だ。鏡を破壊したいんだ」


 鏡を差し出したらどうだ、と提案しかけたが、僕は口をつぐんだ。

 アマレは鏡を差し出さない。

 マツヨイが必要だから、絶対にだ。


「……市警に通報して、協力してもらったほうがいい」

「通報してどうするの。竜鱗魔術を覚えてしまったあいつに勝てるのは、竜鱗騎士団くらいだと思うけどね」

「それは……」


 戦闘能力に秀でた二人を連れてきたのは、知らなかったとはいえ、痛恨で致命的すぎるミスだった。


「母さん、一緒に静かなところに行こう」


 マツヨイは腕を思いっきり伸ばし、アマレの頬を打った。

 一瞬のことで、止める間もなかった。


「いや!! 私は、お兄様と一緒に行くわ。そして殺してもらうの。こんなことはもうたくさん!!」


 絶叫が、打擲よりもずっと辛い叫び声が放たれる。


「母さんや父さんが死んで、お兄様がいなくなって、ひとりぼっちで! あたしはコチョウに金で買われたのよ!! ずっとずっと嫌だった。コチョウに抱かれるのも! あんたを生んだことも!!」


 僕は、放っておいたら何度も何度もアマレを打ちつけそうな手の平を押さえながら、その場に凍りついたまま動けないでいた。


「やめろ」とアマレは言う。「お母さんはそんなことは言わない……!」


 怒ったような顔。

 涙の滲んだ瞳で。

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