24 虎は夜にやって来る
ヒギリは地面に落ちたまま、ぴくりともしない。
死んではいないはずだがダメージの蓄積が大きいのだ。
眠ってしまったとするとかなり危険な状況だ。
「イチゲッ!」
よろめいた背中を後ろから支えた。胸元のリボンは弾け飛び、短めのスパッツも切り裂かれ、むっちりした太腿やはだけたシャツから下着が露わになっている。
僕は彼らの実力を知ってる。彼らが天藍アオイに匹敵するかもしれない力の持ち主だってことも勿論知っている。わからないのは《いったい、どうやったら二人をこの短時間でボロボロにできるんだ?》ってことだけだ!
「…………せんせ、ヒギリは?」
イチゲはうつむいたまま、掠れ声で訊ねた。
「落ちてる!」
「ん、もぉ~~~~っ! この私を残して先に寝やがるとは良い度胸してる!」
彼女は苦痛を噛み砕き前を向いた。
ヒギリがいなくなれば、この場に竜鱗騎士はイチゲだけだ。そして彼女がいなくなれば、僕は事情もわからないまま戦闘不能の二人を抱えて正体不明の敵に立ち向かわなくちゃならなくなる。それがわかってて無理してる感じだ。
両腕を手甲の形に覆った竜鱗が硬質な音をたてて砕け、剥離していく。すぐさま二丁のハンドガンに変化させて構えた。
僕は遠慮なく彼女の背に隠れ、金杖を構える。
流石に緊急事態だってことだけは理解できる。
「かなり強いみたいだね」
「ウン。センセが行ってすぐアイツが来たんだ。ヤバそ~だから足止め……って思ってたんだけど、気が付いたらこのザマだよぉ」
肩越しに見る黒影は身動きしない。ただその体にまとわりついている闇だけが空気に漂って、赤い瞳が輝いている。
「オルドル、何が見える?」
『あれは……《左右反転》してるネ』
「つまりファウストの鏡で作られた、人造人間? アマレを殺しに来たのかな」
『順当に考えれバ。でも……』
「でも?」
『今のボクは勘がニブってる。力もナイ。キミが思ってるよりずっとムリはできないヨ、ツバキクン』
なんだそれ。オルドルのくせに、やけに自信の無さそうなことを言うじゃないか。
幸いにして魔人は僕らを睥睨し、それ以上攻撃をしかけようとはしなかった。
だが突然、興味を失ったかのように踵を返して部屋に入っていった。
しかもアマレの鏡の部屋の、その隣。マツヨイがいた部屋に――だ。
「ま、待った! そこはまずい!」
「今のうちに一旦逃げて、応援を呼んだほうがいいよぅ!」
咄嗟に走り出そうとした僕をイチゲが羽交い絞めにして止める。
「で、でも……あそこには」
「アマレがいたの?」
「いや、アマレじゃなく……母親が……」
「母親!? 死んでるんでしょ?」
イチゲが不可解そうな表情を浮かべる。
無理もない。
「魔法生物なんだ、アマレが作り出した」
「――どういうこと? 人間なの? それは」
『人間の写し身なんだ。あくまでも。彼らは鏡像で、そこからは離れられない。成長することはないし、アマレのような能力を介さなければ、姿を変えることもない。うつろわぬ影でしかナイ』
でも。
……でも。
人間と、人間じゃないものを、どう決めたらいいだろう。
人じゃなかったら、助けなくてもいいのか?
本当に?
誰が……。
いったい、誰が決めるのだろう。
助けるべき命と、助けなくてもいい命を。
疑問が頭の中でうずを巻く。
でもこのうずがどこに辿りつくのか、これまでの経験から知っていた。
その先に、ある不幸な少女の亡骸がある。
「……厳密には人とは違うのかもしれないけど、僕が行ったとき、あの人はアマレの作った手料理を食べてたんだ」
イチゲの表情がわずかに変化する。
戦いの場でありながら、その瞳に個人的な感情が浮かぶ。
家族、という言葉の重みを彼女は誰よりもよく知っている。
僕も彼女も、家族との別離を経験した者どうしだった。
それは自分だけの力ではどうしようもなくて、突然で、理不尽で、受け入れ難い別れだった。
そして、その別れが辛すぎて、悲しすぎて、絶対にしてはいけない間違いをおかしてしまった。
本当は、僕には、アマレの気持ちがよくわかる……。
魔術だろうと、なんだろうと構わない。
どんな手段を使ってでも、やり直したい気持ちが。どこにでもあるはずなのに自分には与えられなかった《普通の幸せ》を手にしたい気持ちが、痛いほどに理解できる。
そんな方法があるなら、絶対に使わずにはいられなかっただろう。
僕も彼と同じ《歪み》を抱えていて、それを手放すことができないでいる。
突然、イチゲの腕が僕の腕に絡んだ。
仕方ないな、と言いたげな、それでいてちょっと得意げな表情だ。
「民間人を放置しておくのも気分が悪いしね。一緒に戦ってあげるよ。一緒におフロでイイことした仲じゃん、遠慮すんなってことだねぇ」
「イチゲ……」
僕は、彼女に言っておかなければいけないことがある。
「実は君なら絶対にそう言うと思って、事情を説明した」
「言わなければわからないのにぃ!!」
イチゲは僕を《ポカポカ》殴るまねをした。
そこで本当に殴らない竜鱗騎士は、たぶん、桃簾イチゲくらいのものだろう。
そういう意味で、彼女は奇特な存在と言える。
*
彼女は椅子に座っていた。
彼女……そう、尖晶マツヨイは。
それは、自分の創造主がそうしろと言ったから――それだけではない。
彼女の元となった存在が、そうだったからだ。
尖晶マツヨイはコチョウが用意した屋敷で、何かを欲することも夢中になることもなく、漫然と生きているのか死んでいるのかも判然としない様子で、ただただひたすらに時間をやり過ごしていた。時にはただ息をしているだけのようにすら思えた。
一人息子に対してですら、彼女は興味を示さなかった。
アマレが自分に何をさせようとしても、そして自分の中の何かを作り替えても。
テーブルの料理が冷めていっても、外が騒がしくなっても、マツヨイはじっとしていた。
そして、待っていた。
ただ《待ち続ける》こと。それが彼女の人生の大半だった。
部屋の中に入ってきた《モノ》を、彼女はじっと見つめていた。
体中を闇の姿をした呪いにまとわりつかれた男の姿。
それを視界に入れ、彼女は微笑む。
夕陽のあかりがそっと差し込む室内で。
「――おかえりなさい、兄さん……ようやく帰って来てくれたんだね」
そして手を差し伸べる。
その手に触れたのは、黒い影。
魔人を取り巻く呪詛そのもの。
その影が、彼女の姿を覆い隠した。
彼女の喜びも、頬をつたう涙も、なにもかも。
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