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「もちろん使い道はこれだけじゃありませんよ」


 ぱちん、と軽快に指を鳴らす。

 すると、まるでチャンネルを変えるようにアマレの顔に降りかかった血潮が消えた。


 もう一度、ぱちん、と音を鳴らす。

 瞬きのあと、そこに現れたのは学生服を着た平凡な若者ではなかった。

 たっぷりした白い絹やレースをふんだんに盛り付けた、まるで白ウサギみたいに、染みひとつない無垢な衣装を着た美少年がそこにいる。

 大きなリボンが可愛らしい。

 つまり、《変質》させたのだ。

 彼の能力の本質が、それなんだ。


「同じように頭の中身だって変容させることも可能です。外側はあなたのまま、中身を豚にもできますよ」


 にっこりと、花の可憐さで微笑んでいる。

 百合白さんの、そしてコチョウの血筋を感じさせる恐ろしさだ。


「…………君の実力がはちゃめちゃに凄いのはよくわかった」


 たぶん父親であるコチョウや妹とくらべても、くらべものになんないって予感がする。

 とくにこの状況は絶対絶命だ。思いっきり罠にドハマリしている。

 ヒギリやイチゲに救援を求めようとしても、その前に彼らが鏡の前に出てしまったら、いくらなんでも無事ではいられない。


「でも、それを今このタイミングで明かした理由はなんだ? 僕はただの教師だよ。まるで脅されているみたいだけど……」

「ただの教師、ね」

「?」


 なんだその含みのある言い方は。

 確かに僕は、コチョウとも、百合白さんとも友好的な関係とは言い難い。

 しかし星条アマレという人物単体では、なんの恨みも買ってない……はずだ、まだ。まだ僕は、学院の最年少教官という皮をかぶれているはずだ。

 どんどん確信がなくなっていくけど。


「こっちはただ、この生活の邪魔をされたくないだけです。あの迷惑な竜鱗学科の二人組も連れて帰って二度と来ないでください」


 この生活、か。

 この鏡の部屋はそれなりに金がかかっているけれど、生活感は全くといっていいほどない。あくまで罠、って感じがする。

 生活していたのは元の部屋のほうだろう。


「僕だってミクリに頼まれなきゃこんなところまで来てないし、それが君の望みならそうするよ。コチョウが常識外れの金持ちで、自信家で、とんでもないクソ親だっていうのは究極的にいえばどうしてあげようもないからね。ちなみに学院に来ないのは魔術学科から普通科へ転向させられたせいなの?」

「学院にはなんの心残りもないのです。ここで母さんと暮らせたらそれでいい。ずっと、ふたりきりでね。ただ邪魔をされたくないだけ」

「母さんっていうのも、人造人間なんだろ」

「ひき肉にされたいみたいですね」

「ただの事実確認であって……その、貶めるとかじゃなくってですね、ホントすみません……」


 この場所で、僕は圧倒的弱者である。道端を這うアリだ。


「ただ、ちょっとわかる気がした。これが君の幸せの形なんだなって」


 とんでもない金持ちの息子で、父親から勘当されても相当な資産を譲り受けたアマレは日々の暮らしには困ってない。それどころか相当贅沢に暮らせる身分だろう。

 それなのに、こんな集合住宅で死んだ母親の似姿を作り出して暮らしてるっていうのは、これは、僕の勝手な想像なわけだけど、《あって当たり前の普通の暮らし》がしたかったからじゃないだろうか。

 ベクトルはちがうけど、それにあこがれる気持ちは理解不能ってこともない。


「――でも、それでも聞くよ。キャシー捜査官が僕を襲い、そしてこの建物に突っ込もうとしていたのはなんでなのか」


 紫色の瞳は、さっきと同じ淡い光を湛えてまっすぐこちらを見ていた。

 その眼差しには熱量がまるでない。

 外で何が起きてるのかなんて、まるでどうでもいい、というふうだ。


「二通り考えられます」と彼は冷静に言った。「ファウストの鏡によって生み出された者たちは鏡を失えば解放される……。もしくはこの魔眼の支配から抜け出たかったのかもしれない、魔眼の保有者を殺して」


 その両方かもしれない、と僕は思った。


「彼らは、僕があの場に行ったら、自動的にああいう演技を繰り返すようにしていたの?」

「そうですよ。単純なものです。それ以外に、何か、必要あります? 彼ら……ホムンクルスの小人たちに、それ以外の役割、なんて……」


 鏡にうつされたものがそのまま表れる、というとんでもない特性である以上、出て来たものは人間と同じ思考や感情を持っていたはずだ。

 それを《単純》にしたのはあくまでもアマレの能力、そして意志だ。

 人間を、決まった動作や台詞を繰り返す人形にかえたのだ。


「怒ってるみたいですね?」


 アマレは首を傾げてみせた。


「でも、何度も言うようですがヒナガ先生も、あのアトラクションをお楽しみになったのでしょう?」


 その一言で、僕は気がついた。

 あれは、あの一連の出来事が、なんの裏表もない《快楽》だったと、それ以外の何ものでもないのだと、アマレは信じきっている。

 嫌味でも精神攻撃でもなんでもないんだ。

 そこが、彼の《歪み》だ。


 きっと、アマレは……。人間から、単純な人形に作り替えられた者の気持ちなど、わからないに違いない。

 そのくやしさや、怒りも、なにもかも。


 ただ母親と、ここで幸せに暮らしたいだけだ。自分にとって心地よいものに囲まれ、そのほかの全てを、命でさえないがしろにして。


「君を軽蔑するよ」


 僕は席を立った。

 彼を裁くものがいるとしたら、それはこの国の法律だ。

 僕ではない。僕は、これ以上、何もする権利はない。


 反対にむこうが何かしてくるかな、と思ったけれど、席を立った僕を彼は視線だけで見送った。

 鏡の間を抜けるまで、息もできないほど緊張した。

 外に繋がるドアを開けてようやく、ひと息つけた。


「――――――――ぷはあ! 何もされなくてよかったあ~~~~!」


 ちゃんと人語を話せてる。人間って最高。


『どうするツモリ~~~~?』

「どうするって、クヨウ捜査官にありのままを話すよ。ミクリに対しても、これで義務は果たしただろ。彼はここで母親と暮らす。それでお終いさ」

『そうじゃなくて、アレだよアレ』

「ん?」


 僕は廊下の奥をみた。

 エレベータ・ホールの前に誰かが立っている。

 誰か、というのはちょっと不適切だったかもしれない。

 そいつは……確かに人の形はしているのだが、全身に黒いもずくのような……たとえが最悪だけどたゆたうワカメみたいな、真っ黒い闇色の何かを引きずっている。

 そして目も鼻も口も、体でさえも《漆黒》に塗りつぶされて見えないのだった。

 そして全身からえもいわれぬ威圧感をはなっている。

 まるで竜と相対したときのような。


「何……?」

『めっちゃ急速に近づいてきたのでボクもよくわかんない』


 影の魔人が、一歩、こちらに近づく。

 その瞬間、光の弾が連続で撃ち込まれ、エレベーターホールを吹き飛ばした。


「マスター・ヒナガ!! 逃げろッ!!」


 左手側から、光速で突っ込んできたのは、ヒギリだろう。

 勢いのまま砂埃に突っ込んでいくが、すぐに弾き出される。

 はじき出されるというか、吹っ飛ばされる、に近い軌道で廊下から外へと放り出されていた。埃が舞い上がってて、いったいなにが起きたのかはわからない。

 ただ煙の向こうに――真っ赤に輝く、二つの《目》が見えた。


「何っ……!?」


 僕は咄嗟の判断で逃げ出していたが、おぞましい双眸がこちらに近づいてくるほうが圧倒的に、速い。


「先生ッ!!」


 これじゃまるでヒギリの速さだ。

 押しつぶされる。或いはその《速度》に吹き飛ばされて死ぬ――!

 その直前、僕の目の前に小さな天使の羽を生やした少女が割り込んで来た。

 イチゲだ。

 イチゲが魔人の蹴り足を受け止め、その衝撃を殺しきれずに後退する。

 ようやく止まったその体が、よろめく。


「イチゲ、いったい何があったんだ!?」


 瞳は闘志を失ってない。

 でも、その体はボロボロだった。

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