22



 ホログラム映像に猫のように黄色い瞳の魔女がうつっている。

 尖晶家初代の魔女と同じ色の瞳をした、成人であるのに少女のような容姿をした女は、かつて星条マツヨイという名で呼ばれていた。

 また別の映像には赤眼の魔術師の姿がある。

 魔術学院の制服を着こんだ若者だ。

 当時の姿のまま、まだ若い星条コチョウと肩を組んでいた。

 コチョウは彼のことをよく知っている。知能も高く才能に優れていたが、疑うことを知らない無垢な精神の持ち主だった。陰謀うずまく翡翠宮では稀有な存在だったと言えるだろう。行方不明になるまでは……。

 感傷とも同情ともつかない泥沼のような感情に襲われ、そこから抜け出すために、コチョウは映像を前に講義する秘書へと集中した。


「――……であるからして、藍銅共和国を含む主要五か国の同意が得られた現在時点で《魔眼》の保有者はゼロと言えます。類似呪術や伝承の類は存在していますが、いずれも尖晶家ほど洗練された能力の発現はみられません」

「尖晶一族最後の魔眼保持者は、マツヨイというわけか」

「ええ……そういうことになります。その、アマレ様を除けば」


 秘書は言いにくそうにしていた。

 コチョウとその息子の不仲を知っているからこその反応だった。


「あれは、放っておけばいい。魔術師としての矜持もなければ家や血や闘争への執着さえない。何者でもない者など思考のゴミにすらならない」


 鼻を鳴らし、それきりアマレのことは会話から忘れ去られてしまう。

 マツヨイとの間にアマレが生まれても、ふたりは終始そのような関係で、コチョウは息子になんの興味も示さなかった。かつての親友、クガイの妹であるマツヨイに対しても似たようなものだ。

 そうであれば百合白という娘を設けた翠銅乙女との間に特別な感情があったかというと、それもない。乙女との交流はごく最低限にかぎられていた。

 コチョウはその甘やかな容姿に反して、こと人間関係においては冷淡な男だった。

 クガイを親友としたことこそ、数少ない例外だったのだ。


「藍銅にすら魔眼の血筋はないのだな。それだけ確認できればいい」


「はい、確かです」と秘書が応じた。「僭越ですがコチョウ様もすでによくご存知のはず……いったい何をお気になされているのですか?」


 コチョウは淡い桃色の瞳を細めた。

 それは甘い色あいに不釣り合いなほど鋭い眼差しだ。

 秘書はびくりと体を強張らせる。


「――マスター・ヒナガ・ツバキ。お前もあの瞳を見ただろう」

「は……。ですが、彼は」

「奴のアレは後天的なもの。だが……」

 

 星条コチョウは《少年》が去ったあとの空間を睨みつけた。

 いまも、ありありと思い浮かべることができる。

 あの少年の闇夜のような髪の色、そして血のような瞳の色を。


「見据えられたときのあの感覚。あの血の赤。似ているのだ、アイツの瞳に……」


 コチョウは午後の予定を全てキャンセルにするよう伝える。

 それと同時に限りなくシンプルで文字通り何もない空間が突如として四角に切り取られる。自動扉が開き、黒のスーツをまとった細身の女が入って来た。

 コチョウが雇っているまた別の秘書である。

 その表情は不安に彩られ、きつく縛った金髪が一筋、乱れているのが見えた。


「コチョウ様、来客がいらしています……」

「誰だ」

「それが、」


 言葉は最後まで続かない。

 背後で悲鳴が響き、バタバタとした足音が聞こえた。

 異常事態を悟りコチョウは秘書を背後に庇い杖を構えた。

 むろん、秘書ごときを庇ったわけではないだろう。警備員を呼ばなかったのは魔術師としての矜持とやらであったのかもしれない。

 長い琥珀の髪を慌ただしげに翻し、ブーツの底で磨きぬかれた床を蹴りながら部屋に入ってきたのは不思議な光を放つランプを提げた女であった。


「お久しぶりでございます星条コチョウ殿。お付きの皆様方も、お初にお目にかかります。ウィクトル商会が収蔵庫管理人、初代様の美しき人形にして鍵、リリアン・ヤン・ルトロヴァイユ――罷り越して御座います」

「呼んでいないぞ、商会の犬めが」

「どのように侮蔑の言葉を賜ったとしても、そう、呼ばれていないことは確かです。私が来たのは顧客である貴卿を守るため。星条卿、《ファウストの鏡》は何処に?」

「鏡に何の用だ。金は払っているはずだぞ」

「収蔵庫管理人としましては、その収容物を破壊されるわけにはいきませんので」

「破壊……だと……!?」

「どうやら遅かったようです」


 リリアンの冷たい瞳がコチョウを通り過ぎ、後から入ってきた秘書を見据える。

 コチョウの視線もそれにつられ、女が手にした一冊のノートに見入った。


「貴様……何を手にしている!?」

「こ、これは、マスター・ヒナガがアマレ様のためにお持ちになった……」

「それは、既に捨てろと指示したはずだ!」

「えっ」


 先程ミクリがツバキを介して渡そうとしていた、授業内容をまとめた何の変哲もないノートだった。

 それが秘書の手のなかで跳ね、そして床に落ち、ページの中ほどが開かれた。

 そこには星と月とを散りばめた落書きのような図像が目一杯に描かれている。


「魔法陣だ!」


 リリアンが一声言い、スカートの裾を手繰ってコチョウの前に出る。

 瞬間、自ずと切り取られた二枚の頁が折りたたまれてナイフの形になり、対の矢となって放たれた。

 矢はリリアンのドレスを破り、肉に食い込んで止まる。

 存外に深い傷だが血は流れなかった。


「ぐうっ……!」


 コチョウが苦しみ、呻いたのは、秘書たちが溜息を吐き無事を確認しあった後のことだ。

 リリアンが振り返ると、そこには銀の枝に胸を貫かれたコチョウが立っていた。

 折れ曲がり、星の形の実をつけた銀の枝は銀髪を編み込んだ呪具から生えていた。髪の中に一筋、黒い髪が紛れている。

 それが編み込まれたコチョウの魔力を吸い上げ、利用して、銀の枝を発生させたのだ。

 黒髪は嫌なにおいを立てて自然に燃えだす。

 髪が焼け落ちてしまうと、枝は自然に消えてなくなった。

 コチョウはその場に片膝を突いたが、致命傷には至っていないらしい。

 穴の開いた上着の内ポケットから銀色の手鏡を取り出した。

 鏡は一部が割れている。

 鏡が枝を受けとめたからこそ、無傷で済んだようだった。


「――マスター・ヒナガの仕業か……!?」


 その表情が歪む。

 こんなことができるとしたら、魔術学院の教師、ヒナガ・ツバキ以外にできる者はいないだろう。

 魔術師として一度は上回ったと思っていたが、その余裕が仇になった。

 ノートと呪具に技を仕込まれていた、そう思ったのだ。

 リリアンは駆け寄り手から鏡を叩き落とした。

 鏡の表面に異常が起きる。

 みるみるうちに割れた箇所に錆が浮き、黒ずんでいく。

 黒ずみは滴り落ちる暗黒となり、鏡面からあふれ出して膨れあがり人の形となった。頭のてっぺんからつま先までが漆黒に塗りつぶされた男だ。

 その指先が鏡のかけらを掴んでいる。

 体からは膨大な魔力が放たれ、それが人の形をした何か別の生命体であると訴えかけてくる。


「鏡を売った以上、手前たちはその使途に注文はつけない決まりではありますが……あまり褒められるべき使い道ではなかったようですね」

「……なんとかしろ、リリアン」


 そういうコチョウの表情は疲れ切り、そうできないことも知っている顔だった。


「これは管理人としては悩ましい局面です」


 魔人は二歩、三歩とコチョウに歩み寄る。


「私を憎むか、クガイ……」


 コチョウが声を振り絞る。

 魔人はコチョウの横を通り過ぎ、窓を突き破って高層ビルから身を躍らせた。

 リリアンが割れた硝子のむこうから下を見下ろす。

 魔人の姿はなかった。


「あなたのしたいこと、わかってはいるけれど、やりすぎよマージョリー……」


 その呟きは風に乗り、誰にも聞き遂げられることなく、消えた。



*



 アマレは手鏡を取り出した。

 銀色の手鏡で、動物や植物の紋様が彫刻されている。


「これはウィクトル商会が所有する《魔道具》の最高傑作。《ファウストの鏡》……と呼ばれるモノです」


 鏡面で自分の姿をうつし、さらにそれを脇に置かれた姿見にうつしだす。

 鏡にうつるはずなのは手鏡を持ったアマレであるはずなのに、そこには目を閉じたアマレの姿が浮かび上がる。

 鏡像は一歩、進み出た。

 その靴のつま先が、体が、頭が、鏡の外へと踏み出してくる。

 そしてもうひとりのアマレとしてそこに立った。

 オルドルは鏡から現れたアマレの体内をイメージとして送って来る。すべてが左右反転したアマレの姿を。


「これは、人の《似姿》を生み出す鏡なのです。ご理解いただけましたか」


 目の前で起きたことが異常で凄すぎて、ご理解いただけない。

 リリアンの収蔵庫にあるモノが世に出たら、この女王国は《禁じられた時代》に逆戻り……そう言ったオルドルの意図するところが、ほんの少しだけ感じ取れた。


「ファウスト……要するにホムンクルスってこと?」


 ホムンクルス、錬金術で生み出された《フラスコの中の小人》。フラスコの中でだけしか生きられない、人工生命体の意味だ。


「そのようなものですが、こいつはコピーされた人間と全く同じ記憶と過去、性格を所有しています。本物の人間そのものだ」

「なっ……なんてものを……。じゃ、そいつらに今まで僕の妨害をさせてたのか!? キャシー捜査官とか!」


 いや待て。なんか違和感がある。

 キャシー捜査官なんて存在は、市警には存在しないと言っていた。

 アマレはキャシー捜査官を完璧にうつしとったわけじゃない。


「……えっと、警官の演技させてたってことか」


 事件とか誘拐とか、僕への嫌がらせでしかない気色の悪すぎる演技を。


「物分かりの悪い方ですね。こいつらはただの鏡像だ。べつに、製造者の命令をきくとか、そういうことはしません。ただうつしとられた人間と同じ行動を続けるだけ」


 たぶん、とオルドルが言う。


『それがコイツの、星条アマレ――いや、尖晶アマレとしての能力だ』

「もしかして、それがお前の《魔眼》の力なのか? 洗脳するとか、催眠をかける、みたいな」


 僕の頭にあるのは、もちろんルビアのことだ。彼女は魔術の力によって魔人を生み出し、強力な支配の力を見せつけてきた。


「いいえ。母さんから授かった能力は、そんな陳腐なものではない。この魔眼の力は、環境によっては一族最強と呼ばれた尖晶クガイを上回る」


 紫色に輝く瞳で、アマレは、鏡像の自分を見つめた。


「潰れて消えろ」


 と、冷たい声で命じる。


『鏡だ!』


 オルドルが言う。

 部屋じゅうに置かれた対の鏡に、もちろんアマレの鏡像もうつっている。

 合わせ鏡となり、幾重にも重なったアマレの姿――その、手前から三番目の姿が、揺らいで崩壊する。

 ぐしゃり、と音がした。

 そして生暖かい血が僕の体にも降りかかった。

 

 もちろん、目の前のアマレも、血塗れだ。


 血のにおい、肉のにおい。

 鏡像がどうなったのか見てみる勇気はない。


「《合わせ鏡にうつった対象を変質させる力》――それがこの星条アマレの魔眼。業深き尖晶家の魔術の極み……。どうです、マスター・ヒナガ。ここに入り込んだ時点で、あなたの負けです」


 血に塗れたアマレが、にっこりとほほ笑む。

 可憐に、そして力強く。

 微笑んでいるのは、自分とまったく同じ記憶を持つうつし身を、なんの躊躇いもなく消し去った人物だった。

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