21 鏡の国のアマレ


 アマレは一旦部屋を出ると無造作に隣の部屋の扉を開けた。

 コンクリート打ちっぱなしの廊下を通り抜けると、さっきの部屋とは全く異なる空間が姿を現した。


「うわっ……」


 僕は思わず声を上げる。

 さっきまでと打って変わって内部は貴族の邸宅を思わせる豪奢な空間だ。

 ただし、そのデザインははっきりと《異常》が見てとれる。

 深い臙脂色に染め抜かれた壁にいくつもの、そしてありとあらゆる大きさと種類の《鏡》が置かれているのだ。

 姿見、手鏡、アンティークの額縁にはめ込まれた模様入りの鏡……なんでもある。

 そこは一応、応接室という体らしい。

 間取りもさっきの、ごく普通の団地の部屋とは違う。柱やじゃまな何もかもが取り払われて、広々として天井も高い。


 部屋の中には既に人がいた。

 見覚えのあるオッサンだ。さっき別の棟で会ったような気がするぞ。


「アマレ様……!」

「ああ、どうも」


 アマレは男の胸ポケットに札束を押し込んだ。


「ありがとうございます、ありがとうございます!」

「もう用はないから、とっとと消えてくれるかな」


 オッサンは札束を大切そうに握りしめて、部屋から出ていく。

 確か、あれはさっき「人造人間に捕まった」とかほざいていた男だ。


「まさか。金で、君に雇われていたのか……!」

「人造人間だけじゃ、そろそろリアリティが足りないと思ったので」


 なんて奴だ。まんまと騙されたのはこちらだが、赤の他人を危険なことに巻き込んでなんとも思わないのか?


「ようこそ、マスター・ヒナガ。どうぞ、そちらに掛けたら?」


 アマレは高級そうな革張りのソファに腰かけ、白々しくも横柄な態度で訊ねた。

 意を決して室内に踏み込みアマレの向かいに腰かけると、正面の壁にかけられた大鏡と背中側の鏡が合わせ鏡になった。


『参ったネ、こりゃ……。この部屋の鏡、全て合わせ鏡になってるヨ』


 僕はさり気なく天井を見上げた。

 そこにも照明を邪魔しないように取り付けられた鏡があり、床にはめこまれたものと対になっていた。

 この部屋の《鏡》のありようはデザインを通り越して病的だ。


「いったい何の用なんですか? 来訪の連絡は受けていませんよ」

「君の同級生たちに頼まれたんだよ。しばらく学校に来てないから様子を見に行ってくれないかってさ。元気そうで安心したよ」


 最後に付け加えた一言は、もちろんイヤミだ。


「同級生?」

「ミクリやヒヨスたち。君のクラスメイト、流石に覚えてるだろ」


 アマレはぱちぱちと眠たげな瞳を瞬かせる。

 意外だ、というような表情だ。

 

「――なんだ、そんなことで?」


 その反応は僕にとっても意外だ。

 ここに来てから、何だかすごく調子が狂う。


「そうだよ。君に話を聞くだけだ」


 なのになんでこんな目に遭わなければいけないんだ。


「そう……。てっきり、とうとうコチョウが息子を消しに来たのかな、と思ってたのに。違ったんだね」

「コチョウが? ……君を消す? なんで?」

「理由なんかなくても、やるときはやるさ。そういう男だから」

「だからって息子を殺すとか、なんでそんな話になるんだよ」

「星条家はそういう血筋なんだ。栄光を手に入れるためなら血も裏切りも厭わない。で、家庭訪問はこれで終わり?」


 まさか、だ。

 こいつには言いたいことがまだ山盛り三杯くらいある。


「行く先々で魔法生物を使って妨害をしかけてたのはお前だよな。暴走車で轢き殺そうとしたのも」

「それは少し誤解があるね。轢き殺すなんて無粋な方法は使ってません。あれはただの事故」

「事故ォ? 今も竜鱗学科のふたりが外で襲われてる真最中なんだけど」

「あくまでも敷地内での出来事のことですよ、先生……。連絡もなしに踏みこまれたのはそちらです」

「暴走車の件は君の所有する土地の外の話だぞ」

「だから、事故」


 あっさりと妨害を認めたものの、アマレの話しぶりは自分に非があるとか、申し訳ないみたいな感情とはかけ離れたところにあった。

 清々しいまでに自分が悪いとはかけらも思ってない態度だ。


「一体だけ逃がしてしまったんですよ。つい、うっかり。もちろん市警には既に届け出てますよ。お叱りは受けるでしょうが、弁護士が対応します。なんの問題もありません」

「ある、あるだろ! すげー危なかったよ! 危うく死ぬところだった!!」

「でも楽しかったでしょう?」

「楽しいわけ、あるか!」

「そうかな。弱い人たちに頼られて、縋られて、助けを求められて、救ってあげるのはなんていうかそれって、すごく気持ちがいいことでしょう? マスター・ヒナガ。あなたは人助けが大好きなんだから」


 突然、何を言われたのかが理解できなくなる。

 飛び抜けに悪意のある問いかけだってことはわかった。


「いったい、それはどういう意味?」

「言葉通りの意味ですよ。頼まれもしないのに竜を倒して、英雄と呼ばれて……竜殺しとまで呼ばれて、心の奥が疼いたでしょう? それが快感だったんじゃありませんか」

「そんなことあるわけないだろ!」


 強大な竜との戦いは痛くて、恐ろしい。キヤラのときだってそうだ。

 同時に多くのものを失った。《人助け》なんて言葉では一括りにはできないほど、たくさんのものを犠牲にして勝利したんだ。


「恥ずかしがることはないですよ、人間として当然の反応です。他人から必要とされたい、欲しがられたい、そういうのってすごく気分がいいことだ」


 すべてを見透かすようなアマレの言葉に神経を逆なでされてしまうのは、彼の言うことがある意味、《正しい》からだ。

 アマレが言う通り、感謝されれば嬉しい。どんなに苦しい思いをしても《英雄》だと言われれば誇らしい気持ちにもなる。

 そして他ならない僕の中にも、そういう気持ちがある。


「教えてくださいよ、先生。どんな気分だったんですか?」


 銀華竜と戦ったのは……。

 キヤラと戦ったのは。

 そしてルビアを殺したのは、いったい何のため?


 成り行き?

 自分の命を守るため?


 そう……、それは自分のためでもある。

 この国に来るまでの僕は、戦う方法を知らなかった。

 惨めに殴られているだけだった。

 でも、知ってしまった。


 僕は……いや、こんな僕でも。

 戦いの中でなら、暴力の中でなら生きていける。

 誰かの戦友になれる。

 そして敵にもなれるってことを。


『ツバキ、翻弄されすぎてる。術中にはまりまくりだヨ。流石に見てて恥ずかしくなるネ』


 オルドルの声で急速に現実に引き戻された。

 

 薄紫に輝く瞳がこちらに向けられている。アマレの表情は目の前の他者を完全に見下した《せせら笑い》だった。

 顔だけならコチョウや可憐な百合白さんを思わせる。

 でもアマレから感じるのは背筋が寒くなるような何かだ。

 彼の言葉をまじめに聞いちゃいけない。


「そうだよ」


 と、認めた。


「すごく気分が良かったに決まってるじゃないか。当然だろう、僕は救国の英雄、王姫殿下の薔薇の騎士、そして竜殺しの魔術師だ。英雄が喝采を受けて何が悪い? 戦い、勝利し、栄誉を受ける。当然の権利だ」


 何かの本で見たことがある。

 人間は、自分の快楽に繋がることを《悪》とみなす傾向にあると。

 たとえば宗教が清貧を訴えかけて食欲やら色欲やら贅沢やらを禁じたり、お金のために資本家がしたことより無償のボランティアがしたことのほうが、美談として広まりやすかったりするみたいに無私無欲な人間のほうが《いいもの》だと思われる。

 人間は他人からはいい人だと思われたいものだ。

 だから心のどこかで、自分のためになることには、《うしろめたさ》がつきまとうようになっている。

 そのうしろめたさをアマレは利用して心理攻撃してきているんだ。


『魔法生物をどーやって作り出してるのか訊き出すのが先サ。コイツひとりの仕業とは思えない』


 うしろめたさを感じさせようとしてるなら、開き直るのが一番だ。

 現実に、嘲笑を引っ込めたアマレは面白くなさそうな表情をしている。

 形勢逆転だ。

 腹の底は煮えくり返る怒りに満ちてるけど。


「話を続けるよ。いくら許可を得てるとはいえ、まだ学生の君があれだけ大量の魔法生物を作り出して、いったい何をしているんだ? 知り合いの魔術捜査官にチクってもいいんだぞ」


 ここぞとばかりに先生面してふんぞり返ってみた。

 いくらとんでもない金持ちで、弁護士がついてるからって魔術捜査官に目をつけられれば困るはずだ。少なくとも僕は困る。


 アマレはますます嫌そうな顔になった。

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