20



 隣の建物の屋上に着地したヒギリは、吐いたものを気管に詰まらせかけて苦しむ僕を転がして背中を乱暴に蹴りつけた。


「ゲホッ! げえ、げっは!!」

「きったねえなあオイ!! 何してくれやがんだ!! ッコラ、殺すぞ!! てめーなんか死刑だ死刑!!」


 その拍子に呼吸が楽になったが、たぶん偶然だ。


「生身の人間があの移動速度に耐えられるワケないだろっ!」

「あいかわらず軟弱な野郎だぜ……」

「僕が弱いんじゃなく、君たちが異常に強いの!!」


 そのあたりは、無罪を主張しておきたい。

 べつに好きでゲロ吐いてるわけじゃない。

 校内戦で天藍と組んだのはある意味正解だった。

 何もしらずにヒギリたちと組んでたら、危うく僕のゲロが全国区になってしまうところだった。


「っざけんな。毎日鍛えてる竜鱗騎士はなぁ――吐く! マスター・カガチも吐いた!」

「やっぱダメじゃん。ダメなんじゃん!」

「適合者である俺ですら、竜騎装を使うと、体調が悪いときは気分が悪くなる」

「知らないよそんなこと!」


 ていうかマスター・カガチは何をやってるんだ。何を。


「だから、な。どのみち俺と同じ土俵で戦えるヤツってのは、いねえんだよ。物理的に。先に行ってろ、マスター・ヒナガ」


 ヒギリは僕の肩のあたりを突き飛ばした。

 刹那、屋上の扉が開いた。

 ヒギリが神速の抜刀で、放たれた自動弓を真っ二つに叩き切る。


 武器を手にした人間たちが、次々に現れる。

 それは男であり女であり、制服を着た警官であり、郵便配達人であったりしたが、頭にウサギやクマなどなど思い思いのかぶりものを装着した異様な集団だった。


「でもキミ、アレが魔法生物かどうか、判別つくの?」

「まかせろ! 死んだら人間! 生き返ったら魔法生物だ!!」

「全然まかせられない!!」

「いいから行け。俺にゃこの世界はちぃっと遅すぎる」


 雷電とともにヒギリの姿が消えて、目の前にいた兎男が地面になぎ倒されていた。

 ヒギリは刃を振るい、象女が掲げていた斧の柄を三等分にした。

 さらに雷電が弾け、その姿が消える。

 そして再び鍔鳴りの音を響かせて、敵の武器が破壊していく。


 流石五鱗騎士、マスター・カガチの教え子だ。

 イチゲもヒギリも、単騎でも十分戦えるのだ。


「わかった。恩に着るよ、ヒギリ」

『ねえねえ、コッチを見てるヤツがいるぞぉ~~っ』


 オルドルが楽し気にいう。

 敷地の最奥、三つ目の建物の前に、さっきの……キャシーの暴走車が事故を起こしたとき、その現場にいた女が立っている。


 薄水色のワンピースを着て、黒い髪に真っ赤な瞳を輝かせて、こちらを見つめている。


 さっきも思った。

 あの目……。


 オルドルに似てる。すごく。


 女はこちらに背を向けて、三つ目の建物のエントランスへと消えて行った。

 まるで、誘うようにゆっくりとした動きだった。

 僕も魔法を使い、その後を追った。


 女はゆっくりと階段を登り、三階の、真ん中の部屋に入って行った。


「……行ってもいいと思う?」

『なんでボクにキくの? 毎度のコトだけど、いいワケないじゃん』


 明らかに罠。

 飛び込む僕はバカだ。

 でも、行く。

 勇気とかではない、僕の場合はいつも、不安と怯えがそうさせている、と思う。


 そこは、普通の部屋だった。


 普通の……団地の、部屋。


 特別、変わったところはない。

 寝室があって、バスルームやトイレがあって、これまで見て来たような貴族の屋敷とは駆け離れたような、チープで狭苦しい部屋。生活感にあふれてて、どちらかといえば、こっちに来るまでの僕のライフスタイルに近いと思う。


 女はリビングに入って行った。

 僕が二の足を踏んでいると、中から声が聞こえてきた。


「母さん、お帰り。今日はグラタンをつくってみたよ。我ながらいい出来だと思うんだ。少し味見してごらんよ」


 食べ物のにおいと、食器がこすれあうをかすかな音がする。


「そこでじっとしていないで、入って来たらどう、マスター・ヒナガ」


 静かで、穏やかな声だった。

 僕は意を決して、リビングに踏み込んだ。


 やっぱり、普通の部屋だった。

 住人がそのセンスを発揮した、けれども高すぎない家具。

 家族四人が腰かけてちょうどいいダイニングテーブル、かわいらしいチェックのテーブルクロス。一輪挿しに可憐な花が活けられている。

 どこにでもあるような、あたりまえの、ただの部屋だ。

 

 それを背景にして、彼が立っていた。

 平均よりも華奢で、背が低いだろうか。

 でも《彼》なんだって、すぐにわかった。

 百合白さんにそっくりなんだ。ふっくらした唇も、甘やかな表情も。

 可憐な百合白さんを、そのまま少年の姿にうつしとったよう。

 それでいて、その色はちぐはぐだ。彼女やコチョウが白金の髪に、桃色の瞳をしていたのに対して、彼の瞳は薄い紫色だった。そして愛らしい桃色は、その髪を染めている。


「君……君が、星条アマレ……だね」

「そう。あなたはマスター・ヒナガ。日長ツバキ。魔術学院の教官だ。最年少の、天才だって言われてる」


 アマレはそう言って、椅子に腰かける先程の女性に、スプーンを差し出した。

 その紹介は彼女に対してのものなのだとわかる。

 女性はアマレの手ずから、料理をひと口、食べて微笑む。


「おいしいわ、アマレ。とってもじょうずにできたわね」

「僕は先生と少し話をしてくるよ、母さん……。帰ったら、食事にしよう」

「母……さん……?」

「そうだよ。彼女は星条マツヨイ、またの名を、尖晶マツヨイ」

「でも、彼女は死んだはずだよね」


 そう口走ると、アマレは僕を睨みつけた。

 憎しみが、手にとれるようだ。

 こんな目を、僕は何度も向けられた。そしていまも。


「場所を変えよう。母さんには聞かせたくない話だから」


 そう言って、アマレは、身に着けていたエプロンを外した。

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