19 夢か地獄
建物は一階にポストと階段があるエントランスがあり、そこから公共の廊下が伸び、等間隔に部屋の入口が並んでいる形だった。自動昇降機はない。
そしてそれと相似形をした建物が他に二つ、敷地内に置かれているという殺風景さだ。
「ぱっと見は、普通の団地に見える……」
「敷地を覆ってる監視システムは、比較的厳重かなあ」とイチゲ。
植え込みや街灯で隠されているが、この建物をいくつもの監視カメラやセンサーが侵入者を感知しようとしているらしい。
ということは、僕らの来訪はとっくの昔に知れているだろう。
「まあでも、これくらいならフツーの範囲だろ」とヒギリ。
魔術研究施設が普通の団地だから困るんだ、という言葉を必死に呑み込んで、イチゲ、僕、ヒギリの順に、殺風景なエントランスに入る。
「普通、だね」
そう言った僕の声はかなり強張っていたと思う。
各住居のナンバーが振られた銀色のポストがずらりと並んで、はみだした郵便物の一部がはみだしていたり、空き室のポストに、チラシがゴミのように詰め込まれていたりする。
でもそれだけ。それだけなんだ……。
床には枯葉が一枚、落ちていた。隅には消火器が置かれていた。
ただの集合住宅。
それ以外には見えない。
その事実が、なんだか背筋にそっと冷たいものを這わせていく。
僕らはそのまま廊下のほうへと出てみた。
ひとつの階につき十戸が並ぶ廊下は、静かだ。廃墟ではないらしく、ときどき生活音が聞こえてくる。人が住んでいるのだ。
「これ、ほんとうに研究施設なの? 誰か住んでるんじゃないの?」
「知るかよ。研究施設なら誰かがいるだろうし、誰かが住んでるんなら、誰かがいるんだろうよ」
乱暴なヒギリの物言いはどこまでも正しくて、異様だ。
住人と思しき者は、誰も外にはでてこない。
なんとなく階段を登って、五階まで行ってみた。
高さが変わっただけで、ほかの階と同じ光景があるだけだ。
「ここの責任者はどこにいやがるんだ? 呼び鈴すらねえ」
ヒギリはイライラしながらいう。
怒っているのではなく、その声には警戒の色がにじんでいる。
「呼び鈴なら、あるよ」
ずらりとならんだ部屋には、もちろん、家主を呼びだすための電子ベルが備わっている。
イチゲは言うなり、そのスイッチを押した。
止める間もなかった。部屋の中で、ぽーん、と音がする。
「はーい」
まさか、返事があるとは。
「どちらさまでしょう?」
鍵を開けて出てきたのは、ごく普通の主婦だった。
スカートにセーター、ピンク色のエプロン。
イチゲとヒギリは死角に潜りこんで隠れている。
「あ、あの……星条アマレ君を探しているのですが……」
「せいじょう……? なんのことかしら……?」
バカ正直に、本当のことを言ってしまう。
主婦は困惑した表情で、友好的な笑みを浮かべている。
『ツバキくん、よく見ろ!』
戸惑う僕に構わず、オルドルが乱暴に、魔術を強制発動させてくる。
その瞳には――左右反転した臓器の配置が見えていた。
「こいつも魔法生物だ!」
叫ぶと同時に、主婦が背中に隠した包丁を突き出してくる。
ほぼ同時にイチゲが前に出て、凶器を捌き、主婦を突き飛ばすように地面に引き倒した。
さらにヒギリが抜け出て、部屋の奥に押し入る。
「先生、来てくれ!」
ドアが開いてから、十秒もたってない。
ヒギリがリビングから僕を呼んだ。
「な、なに? いったい何が起きてるのこれ?」
椅子の上に、手足を拘束されて猿轡を噛まされた中年男が座っていた。
そして、テーブルの上には、湯気を上げている家庭料理がこれでもかというほど並んでいる。狂気を感じる情景だ。
「こいつも魔法生物か?」
「いや――人間、だよ……」
オルドルの瞳によって観測された結果は、そうだ。彼からはなんの魔力残滓も観測されない。
猿轡を外すと、男は堰をきったように喋りだした。
「き、きみたちは何者だ……? 俺は助かったのか……!?」
「魔術学院の生徒だ。訳あってここにいるが、オッサン、何があった?」
「わ、わからない。自宅にいたら、いきなりあの女が押し入ってきて……」
男のたどたどしい話しぶりを要約すると、この人が部屋の正しい住人で、あの魔法生物がやってきて男を捕まえ、まるでここで生活していたかのように、なりかわっていたということらしい。
ヒギリは舌打ちをした。
「魔法生物が起こした監禁事件ってことか?」
「わからない、けど、僕のときと状況が似てる」
アマレを追う途中、それを妨害するように、何度も何度も事件に遭遇した。
ただそのときは、登場人物が魔法生物なのかそうでないのかなんて、気にしてはいなかったけれど。
それを説明すると、ヒギリは気味の悪そうな顔をした。
「そりゃ災難っていうほかねえが、とりあえず、こいつを逃がすのが先決だ」
「ま、待ってくれ。この団地のどこかに、家族がいるはずなんだ……。私の両親と、妻と、娘が」
男は緊張した面持ちで最悪な事象を告げる。
「つまり、この建物だけでも……五十部屋を探せってこと?」
「ヒギリ、先生も、ノンビリしてるヒマはないかも!!」
いきなり玄関の内側に入ってきたイチゲが叫ぶ。後ろ手にドアを閉め、支えるような姿勢をとる。
その扉が、激しく外から叩かれ、ボコボコに歪んでいく。
そして、鋭いものが叩きつけられ、刃が刺さったのがみえた。
支えきれなくなったイチゲが部屋の中へと退避してくる。
廊下の向こうにみえたのは、無数の包丁によって串刺しになった扉だ。
蝶番も鍵も破壊されて、扉が倒れると、そこには異様な光景があった。
エプロンを身に着けた主婦たちが、思い思いの武器を手に、我先にと部屋に雪崩れ込もうとしていたのだ。
顔も形も、最初の女にそっくりだ。
その数、見えるだけで十人以上。
「――――――っ! なんだあれ! こわい!!」
「うわあ~。キモッ。ねえねえヒギリ、どうするぅ?」
「民間人が絡んでなけりゃ、俺は帰りたくて仕方ねーがな。裏」
息をのむ僕とはうらはらに、イチゲとヒギリは向かいあい、コインをトスしてその表と裏を当てている。
「うわっ。負けた~~~~!」
勝利したのはヒギリだった。
「何してんの、ふたりとも!?」
涙目になりつつある僕を、ヒギリが小脇に抱える。
「役割分担に決まってんだろ。――三の竜鱗、《竜躰変化》!!」
竜躰変化は体の一部を竜化させる魔術だが、ヒギリの見た目に変化はない。
そのかわり、全身が発光する。光というより、バチバチと、明るい火花を散らして、わずかにだが、その体が浮いた。
「行くぜ、マスター・ヒナガ。竜鱗騎士最速、雷蛇竜の力! よぉーーーーくその目で御覧じろっ!」
「へ!? まさか、やめ―――――――――!!!!?」
地面を蹴った、と思う暇も無かった。
腹部への強い衝撃を受けた、瞬間、ヒギリの体は超々高速で部屋の外に躍り出ていた。
その蹴り足が、迫って来る魔法生物をなぎ倒し、圧し折り、破壊していく姿は、あまりにも高速過ぎて認識できなかった。
気がついたときには、ヒギリは団地を見下ろしながら翼を広げ、滞空状態に入っており、建物の廊下には真っ赤な《汚れ》が撒き散らされていた。
「あのオッサンはイチゲに任せて、俺らは次に行くぜ!! 次!!」
小さな雷を周囲に弾けさせながら、ヒギリは言う。
廊下にはあの魔法生物のコピーがわんさか湧いて出ている。
部屋の中から、イチゲが放つ光弾が見えた。
ヒギリよりは器用に、手や足を撃ち抜いている。
「そういうのはっ……やる前に言って……うっ」
瞬間移動にちかい高速移動を体験した僕は、吐瀉物をヒギリのズボンに撒き散らしながら、盛大に吐いた。
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