16
眼下に夜景が、堂々たる波濤のように流れ行く。
多大な焦りを胸に抱きながら、ただただひたすらビルの屋根を蹴り、進む。
足の踏み場が無くなると、銀の翼を生やした兎さんことイブキが僕の上着を掴んで持ち上げてくれる。
冷たい空気が頬を切るように吹く。
それを堪えて耐えてから、イブキは訊ねる。
「なんで、マスター・ヒナガの担当弁護士が、使徒ヘデラのスケジュールを詳細に調べてたんでしょうね!?」
「そんなの、僕にだってわからないよ!」
シキミの手帳には、イブキの言う通り使徒ヘデラのスケジュールが記録されていた。地方での講演会とか、信者たちとの交流会とか重役との会食とか、とにかく事細かに。
しかもそれは、教団内部に知り合いでもいないと調べられないくらいの情報量だった。
「それより不思議なのは、彼が僕と出会うより前からこの事件について調べてたってことだよっ!」
それは、僕の台詞の通りだ。
シキミはヘデラの動向を把握するのと同時に、何故か、この《連続密室自殺事件》という魔術犯罪について詳しく調べていた。
そしてシキミの調査結果からは、さらに《気持ちが悪い事実》が導き出されてもいた。
それは、事件の起きた日付と場所に、ヘデラが必ず《出かけている》という事実だ。
事件は市境を越え、女王国の広範囲で起きているが、その場には必ず使徒ヘデラがいる。ついでに教団が《安息日》として定める日には、決して事件は起きないというオマケまでついている。
「まさか、使徒ヘデラが魔術犯罪に関係してるとか!?」
「わかんないよ、それはまだ!」
断定するには早い。事件のことを知っていながら、シキミは一度もそのことを話してはくれなかった。
僕はおろか、リブラにも、クヨウにも。
それが何故なのかは、本人しか語れない。
でもあのシキミが鍵もかけずに事務所を留守にするなんてとにかくおかしい。
一度だけ、彼から連絡があったが――すぐに切れてしまったのもおかしい。
クヨウに連絡して彼の車輛を探してもらったところ、鳩羽(ハトバ)通りに停まっているところをパトロールが発見した。
僕たちは急いでその地点に向かっているところだった。
「先生、あれです!」
乗り捨てられたように車は停まっていた。
車内にその姿はなく、後部座席に毛布が落ちてる。
「すでに立ち去った後、か……」
がっかりしていると、水筒から声がする。
『……気をつけテ、ツバキ』
「オルドル、無事なのか? 魔法が使えるから無事だとは思ってたけど」
『その話はアトだヨ。警告だ。青海文書のケハイがする』
「ええっ、また?」
闇の中でカフスが朱色に明滅する。
わかりやすく、市警のエンブレムが表示されていた。
「近くにクヨウ捜査官が来てるみたいだ……」
彼女はそこから人通りの多い表通りを抜け、裏道に入るよう指示してきた。
指示通りに僕らが向かうと、そこにはいつもより若く見えるクヨウ捜査官のスペアボディが佇んでいた。
厚底の靴で、何やらぐにぐにと踏みつけている。
だいぶ元の形状を失っているが、それはタバコの吸い殻のように見えた。
「………………………………遅かったな」
たっぷりと間を置いたクヨウの視線はイブキの頭の上でぴょこぴょこする兎耳に吸い寄せられ、次に網タイツを履いただけの肢とピンヒールに移った。
まあ、そうだろうな。
なんの断りもなく連れて来た彼女が学院の生徒だということを明かしたら、僕を軽蔑しない人間は地上から消えてなくなるだろう。自信がある。
「言いたいことはわかるけど、嫌味を聞く余裕も時間もないよ」
「これはシキミのものだ。唾液が付着していた。来るかね? 悪い報せしかなくて気が引けるがね」
惨澹たるオブジェが、僕らを待っていた。
出来立てホヤホヤの死体が、それも道路のど真ん中に屹立したテレフォンボックスにラッピングされて鎮座しているのだ。悪夢以外の何者でもない。
それに……それを目にした瞬間から、まるで生き物のように脈動する《金杖》の震えを感じていた。
昔々、ここは偉大な魔法の国
迷路があるよ
頑固な迷路
迷いの牢獄
一度入れば抜け出せない
愚かなあの子は抜け出せない
鍵を閉めたのは自分なのに
鍵を閉めたのは自分なのに
はっきりと、青海文書の声が聞こえる。
間違いない。この事件には文書が関わっている。
オルドルと同じ、青海の魔術師が引き起こした事件なんだ。
イブキはテレフォンボックスに跳ねながら近づいてく。
避けてるのは証拠になりそうな何かだろう。
僕には見えないが、竜の感覚器官は人間よりも多くのものを見つけてるはずだ。
「これは……死後それほど経っていませんね、死因は、窒息というより頸椎が折れています。粘着テープの裏面に指紋や……繊維などの付着物もみられません。それに、微かに魔力の反応があります。魔術によって生み出されたものですよ」
詳細な分析は、絶望を煽るだけだった。。
マリヤといい、シロネといい、青海文書の読み手はかなりの高確率で悲惨な結末を紡ぎ出す。
「犯人が誰であれ止めないと、シキミさんが危ない」
杖を文書の形に戻した。
青海文書は物語を基軸にした魔術だ。
オルドルがその役柄に与えられた魔術を操るように、僕たち読み手はその物語から魔法を掬い上げる。
つまり、書を読めば、相手の手の内が少しだけ推測できる。
魔術戦において、大事なのは相手を知ることだと僕は短期間で思い知らされてる。
こっちに来た当初は文字が読めなかったけれど、アリスさんのおかげで今なら少しくらいは読み解けるはずだ。
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