13 選ばれたのは兎でした



 可憐な少女が威嚇する大鷲のように悠々と両手を広げる。


「帰れ! 疫病神!」


 謎拳法の構えを取ったのは、がめつさにかけては右に出る者はいない少女だった。


 その名前を真珠イブキ。

 くれぐれも語感の繊細さに騙されてはいけない。


「イブキ……。こっちも君のアルバイトのことをどうこういうつもりは微塵もないんだけどさ」


 イブキは網タイツにヒール、黒のホットパンツに白いベスト、それでもって兎の長い耳を頭にのせた状態だった。

 バニーガール……にしては露出度控え目ではあるが、かわいい兎さんであることに間違いはない。

 もしこれが、僕が五体満足で健康そのもの、戦いとか面倒ごとに巻き込まれていない状態で、相手が真珠イブキでさえなかったら、純粋に喜んでいたかもしれない。

 見つめていると、なんだか悲しい気持ちになってしまった。


「生活苦からとうとう夜のやらしい仕事に手を出したっていう噂は本当だったみたいだね……」

「自分はただの給仕で、いやらしいことなんてしてませんよ!?」


 ひとつにまとめた薄紫の髪がぴょんとはねた。

 長いお耳もゆーらゆら。


「たとえそうだとしても、学院の生徒がこういうところで働くってのは許されるの? 学則的に」


 薄暗い照明、うるさい音楽。行き交うアルコール。

 大人の社交場に二十歳にもならない少女がコスチューム着用で働いている、というのはあまり健全とは言い難いだろう。というかばっちり不健全だ。

 どうせ年齢詐称して雇ってもらってるんだろうけど……。

 なお、こんな環境下で学院の教官服を着た僕はあまりにも目立つため、フロアの視線を独占中だった。


「ごめんなさい、お願いですから告げ口はよして! ここは時給がよくてクビになったら生きていけないんですう、主に自分じゃなく家族のほうが!!」


 途端にさっきまでの勢いを失い、イブキは謝罪に転じた。

 彼女がアルバイトを繰り返すのはただひたすら生活苦のためだ。

 浪費家の両親を抱えたイブキは真珠家の大黒柱で、かつ自分で自分の学費を捻出しなければならない立場にある。

 だが、こちらも自分の命がかかっているので、そうかと言って帰るわけにもいかない。


「黙っててほしければ、こちらの要求を飲んでもらおうか……」

「血も涙もないんですか、あんたは!」


 あるよと言いかけて考え直す。

 苦学生の苦境を利用して労働力に採用しようとしているのだ。僕は。

 開きなおって笑顔を作ろう。


「ちなみに、こっちには君が校内戦のときにこっそり撮影した写真を校内で売り捌くという悪どいアルバイトに手を染めていたことを天藍アオイに知らせるって手もあるんだってことを忘れないでね」

「な……! なんでそのことを!?」


 ああ、自分の気持ちひとつで相手の運命が決まってしまうなんて、なんて心地いいんだろう。

 クヨウ捜査官がサディストなのも無理はない。

 いや、まあ、あれは生まれつきくさいけどさ。


「とにかくこっちに来てくださいっ」


 彼女は血相を変え、僕の背中を押してバックヤードに連れていく。

 イブキはこれでも三鱗騎士なので、僕に拒否権はなかった。


*


 これまでの事情をすべからく聞き、イブキは目を真ん丸にして大声を上げた。


「はあああ!? 《循環の七使徒教団》に命を狙われてるぅ!? アガルイマトライト五人姉妹と戦った直後に!? どんっだけ不運なんですか、あなた」


 なんだか新鮮な反応だった。

 最近では、もしかしたらこれくらいの出来事は誰の人生でも起こり得ることかもしれない、くらいに考えていた。

 あらためて、これは異常なことなんだな、と理解する。


「七使徒教団は《神々の遺物》を手にしてるってもっぱらの噂なんですよ?」

「遺物……? あぁ、もしかして紅華の宝物庫に入ってる《神剣》みたいなやつのことかな……」

「前々から疑問だったんですが、なんでそんなにのほほんとできるんですか。自分が死ぬかもしれないってときに」

「実を言うと神とかなんとか、非現実過ぎて現実を認識できてない」


 それにいま、僕を危険にさらしているのはあくまでも人の悪意だ。シキミによると、使徒ヘデラは僕と積極的にやりあおうって立場じゃないらしいし。


「それで、協力してくれるの? くれないの? どっち?」

「そんなの班長に頼めばいいじゃないですか」

「それも考えたんだけど、今は女王国に百合白さんが帰ってきてるからね」


 校内戦で共に戦った天藍アオイは、魔術学院の生徒であり、同時に王姫の姉である星条百合白に仕える騎士だ。

 僕とちがって仕事がある。他の誰にも果たせない仕事だ。

 それに、ひねくれた性格をしたあいつがなんの工夫もなく呼びかけに応じて来てくれるなんてことも考えにくい。


「頼れるのは、君しかいないんだよ。イブキ……」

「でも、断ったら班長に写真のこと、ばらすんですよね」

「まあね」


 ゲスと呼びたいなら呼ぶがいい。

 なんでもやらないと捕まってしまうんだ、こっちは。


「信じられない。まさか、顧客に裏切り者が……?」


 表情をころころ変えてあれやこれやと考え事をしていた彼女だが、不意に黙り込む。

 彼女の瞳は誰もいないバックヤードの奥をじっと見つめていた。

 その瞳孔が、縦に細長く窄まる。

 竜鱗騎士たちが持つ、竜の瞳だ。


「少しだけ、ここで待っていてください」


 ひと言残して、ウサギさんは裏口と思しきところを出ていく。

 僕は大人しく待っていた。


「もう戻って来なかったりして……」


 イブキを頼るというのは、最初から《迷案》だった。

 竜鱗騎士の卵とはいえ、彼女には戦士として必要なものが圧倒的に欠けている。


 経験と、そして勇気だ。


 以前、イブキは竜を前にして震えて戦えなかったことがある。そのときは他の人たちの助力があって何とかなったけれど……。

 そんなことをあれこれ考えていると、裏口から激しい物音が聞こえてきた。


「イブキ……?」


 僕は慌てて立ち上がり、イブキの後を追いかけて裏路地に出た。

 その先の暗がりで、イブキは地面に倒れた人間の足を掴み放り上げて、巨大なゴミ箱に投げ込んでいる真っ最中だった。


「どうかしました? こっちはもう終わりましたよ」


 地面には年齢も様々な四人の男たちが倒れている。

 それぞれ、ガラス瓶やらバールのようなものやら武器になりそうなものを持った者たちが。


「この人たちは……まさか……」

「たぶん信者たちだと思いますけど。あ、まさか。これだけぞろぞろと尾行をつけてて気がつかなかったとか言いませんよね」


 イブキは《信じられない》という顔をしてる。

 いや、そう言われても、僕は一般人だ。尾行がついてるなんて考えたこともないし、本当に気がつかなかった。

 でも、彼女は気がついて、攻撃を加えられる前に対処してみせたのだった。


 僕は人物評価に修正を加えた。

 真珠イブキ、なかなか侮れないぞ。


 そういえば、イブキが《てこでも他人と協調しないが、成績は優秀で天才的な剣術・魔術を持つ暴れん坊》である天藍アオイと、長くコンビを組んでいた事実を思い出した。


 もしも単にコンビ解消を言い出せない弱気な性格なだけとかだったら、カガチは組ませたりしない……。


 なり行きで選んだ相棒だけど、この場合、大正解かもしれない。


 

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