11 使徒

 二人がいなくなった後、大量の書籍の下から救いを求める僕を見つけ、シキミは流石に驚いていた。

 しかしすぐに冷静さを取り戻し、状況を説明して体の上から分厚い法律の辞典をどけてくれた。


「彼は使徒ヘデラ、察しの通り、七使徒教団の中心人物だ」


 七使徒教団の指導者である《使徒》はその名の通り七名いる。

 あの頑固そうな男は《金曜日の使徒》と呼ばれていて、多数の信者を率いている実力者、いわゆるカリスマなのだそうだ。

 シキミとは以前担当した仕事の関係で繋がりがあり、僕の件で交渉できないかどうか試みていたところだと、彼は落ち着いた口調で話してくれた。


「むさ苦しいところですみません」


 彼は積み上げられた資料の上にマグカップを置く。

 以前事務所があったビルが竜に襲われて破壊され、最近引っ越して来たばかりの事務所は埃だらけで、どうみても片付けもままならない様子だった。

 辛うじてデスク回りだけに人が生活できそうな空間があり、僕は他のいろんなものにうずもれた机を挟んでシキミと対峙している。

 片づかない部屋というのは、かえってその持ち主の人となりが表れる気がする。

 何もかも雑然とした部屋の内部で、それだけきちんと立てかけられた写真立てに、彼の妻子と思しき女性と娘が並んでいた。


「それで、交渉の結果は?」

「教団側はこの件に無関心だ。マージョリー・マガツは教団にとってあくまでも《宣伝塔》に過ぎず、君に積極的に敵対しよう、という気配はない」

「怒り狂って積極的に襲ってくるとかそういうことじゃなくてよかったよ」


 何しろ使徒は七人もいるらしいし。

 七人だぞ。

 前回より二人も多い。


「せめて使徒である彼にマスター・ヒナガに危害を加えないよう信者たちに呼びかけてもらえたらよかったんだが……」


 シキミはひどく疲れた顔で首元のタイに手をやって、顧客の前であることを思い出したのか、整えるだけにとどめた。

 いかにも《頑固》《冷徹》を絵に描いたようなヘデラと交渉するのはやっぱり大変だったんだろう。人脈も凄いけど、それだけの労力を払ってくれるなんて結構いい人じゃないか。


「そもそも、使徒ってどういうものなのかな」

「循環の七使徒教団は《神》による救済を説く団体だ。彼らはほとんど神、という表現は使わないがね。《いと高き御方》と呼ぶことのほうが多い」


 この世界では神々は人々と別の世界に住まい、人の運命にいちいち干渉してきたりしない。

 それが翡翠女王との約束だからだ。

 この命約は未だに生きていて、それが翡翠女王国を国際的にも特殊な立場にしている――それは置いておくとして。


 教団は女王が神々と約束を結ぶ前に、神が《贈り物》を残したと主張している。


 それは七人の人物、つまり使徒たちに与えられた《祝福ギフト》であり《御使いの力》となっている。その力がどんなものなのかは公表されていないのでわからないが、海音のような能力だと推測されている。

 その特別な力は、いずれ人々の願いと祈りに応えて神々がこの地に戻り、あらゆる不幸、あらゆる悲しみ、あらゆる苦難から人々を解放し《楽園》へと至る証拠だという。

 そして七人の御使いは、この力を守りながら輪廻転生を繰り返し、絶えず信徒たちを守り、楽園へと導くのである。

 つまり、日々の節制を呼びかけ、二十四時間教団への《寄付》を募っているということだが。


「マスター・ヒナガに講釈するとは恐れ多くはありますが、魔術による《不死》には限界があり延命がせいぜいです。完全に記憶を保持したままの輪廻転生も前例がありません」


 そうなんだ。オルドルが聞いたら、きっと喜ぶだろう。


「なにより《神》による人類の大規模救済などあり得ません。そんなことをすれば《天律》に干渉してしまう」


 シキミの口ぶりだとあくまでも問題は《規模》らしい。オガルにそうしたように、ごく小さな魔術的な《奇跡》は保障されているのだから、まあ、そうなんだろう。

 神々の問題はいつもあやふやだが、教団の具体的な問題点は教義以外にも山のようにある。

 発足から数十年も経ってるくせに信奉する《神》がどの一柱なのかを明らかにしない秘密主義、派閥争い、使途不明になっている多額の献金、政治への関与等々……。


「さっきのルビアって子は?」

「あぁ……ヘデラの娘ですよ」


 歯切れの悪い返答だ。

 あまり驚くことはなかった。似てない親子だな、と思っただけだ。

 戸籍上は頻繁に離婚と結婚を繰り返すヘデラの三人目の妻の娘ということになっている。


「あんまりいい父親には見えなかったけどね」

「ルビアのことについては私も注意を払っているので、心配ないですよ」


 シキミは苦い表情だ。彼にとっては、ヘデラはあくまでもビジネスの相手だ。

 表立って親子関係をどうのこうの、と口を挟むことはできないだろう。

 僕にとっても、先ほどすれ違っただけの見知らぬ他人だ。

 それについては「ふうん」と無関心を装うことしかできなかった。

 怯えた女の子の声や、あの威圧感を思い出す度に吐き気がする。

 でもどうすることもできない。

 僕は万能の救世主なんかではない。

 もしかしたら、もう二度と会わない二人なんだから。

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