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 爽やかな朝がきた。

 希望と夢がたくさん詰まっているといいなあ、これまでの経験からしてすでに絶望的な気がするけど。


「本当に行くつもりなんですね」


 出かける支度をする僕をリブラがじとっとした目で睨んでくる。


「だから、ここで悠長に治療を受けてるヒマはないんだって」


 魔術世界の医者というのは、すぐさま行動しなければ近々逮捕されるか、それとも信者に刺されるかという緊急事態よりも《目の前の患者の病因が不明だ》とかいうささやかすぎる事柄が気になるものらしい。


 夢の真偽はともかく異常がないかどうか入院させて調べる、と言いはるリブラの過保護を押し留めるのは大変だった。


 死んだところで生まれ変わるだけなのに、そんな僕の体調を万全にすることのいったい何が楽しいんだろう……。


 結局、リブラの特製護符タリスマンをひとつ携帯することで外出の許可がおりた。

 銀細工に天然の水晶、玻璃の刻印を施したネックレスは美術品のようにも見える。

 魔術がこめられた護符は一回ずつ使い切るタイプとは違い、所持しているだけで治癒の力が働く。

 しかも不純物に水が含まれており、水筒を無くしてもオルドルとの通信の媒介ともなってくれる便利な代物だ。


「本来、玻璃家の護符に金属は用いません。ですが、オルドルの魔力特性から非常に相性がいいと思い、鎖と土台に銀を用いて製作しました」

「へー、高そう」

「いざというときは魔術の素材にしろってことですよ、わかってますか」


 アホな発言をした僕の頭にはガラスの天秤が突き刺さっている。

 一瞬だけ現れたリブラの長杖だ。


「ぽかぽか殴るのはやめてよ」

「君は無茶をするし、突然妙なことに巻き込まれるので心配なんですよ」

「それ言ったら、最初に僕をハメたのはリブラなんじゃないの」

「それとこれとは話が別です」


 死んだふりをして僕を銀華竜と戦わせた一件を別にできるなんて強すぎるだろ……。


 革紐を首にかけ、青地に金刺繍のマントを羽織る。

 上着の袖には朱色のカフス。腰の後ろのホルスターに金杖をおさめ、腿に日長石の杖を。ついでに古い水筒を引っかけておく。


「あとこれも持ってお行きなさい」


 リブラが木箱を取り出す。

 蓋を開けても、中身が何なのか一瞥では推理不可能だった。


「何これ?」

「秘密兵器です」

「……はあ、何から何までどうもありがとうございます」


 それを懐に隠し持ち、準備完了。


 昔見た絵本の魔術師は、体中になんだかよくわからないものをジャラジャラと垂れ下げていたけれど、身支度が済んだ僕はちょうどそんな感じだった。

 日本だったらどこからどうみても気合いの入ったコスプレイヤーだ。

 とても大通りを歩けやしないし、同系色でまとめられたズボンと上着の組み合わせもあり得ないだろう。


 でもここは魔法使いの存在する王国で、魔法使い然として、それでいて超絶目立つカラーリングも不思議に風景に馴染む。


 リブラが海市から呼んでくれた車と運転手に送られ、僕は朝一番で《方解法律事務所》に到着した。

 そこは下町っぽい雰囲気の雑居ビルにあった。


 街路表示には《黄朽葉キクチバ通り》とある。


 その名の通り、黄ばんだ古い煉瓦の建物が並んでる。

 てっきりドアマンつきの高級ビルを想像していただけに、エントランスにうっすら埃が積もっている光景は少しだけ驚きだった。


「えっと、三〇二号室だから三階かなあ」


 昇降機もない、階段をのぼって目的の部屋に立つ。

 呼び鈴は故障中。で、鍵もかかってない。

 ノックしてから扉を開けると、資料がいたるところに山積みになった乱雑な事務所が現れた。

 空気は埃くさく、色んなものが引っ越し用の箱に詰め込まれたままだ。

 シキミの印象からはかけ離れた光景に、しばらく立ち竦んでいると。


「……………うぁ」


 小さな呻き声というか、声がきこえた。

 室内のドアの前、長椅子に腰かけている女の子がいた。

 百合を思わせるふわふわした純白の衣装が体型を隠し、ベールと長い前髪が表情を隠しているので性別がよくわからない。ぱっと見、修道女を思わせる格好だ。

 胸に金色で六角形のマークが輝いている。

 あのマーク、捜査資料で見たぞ。《循環の七使徒教団》、という言葉が瞬時に脳裏に飛来する。

 マージョリーが所属してた団体だ!


「うぁぅ……ま、マスター・ヒナガ……?」


 怯えが含まれた震える声で呼びかけ、少女はいきなり立ち上がり、僕を突き飛ばしてきた。


「か、かくれてっ……!」

「え?」

「い、いぃからか、隠れて……で、でな、でないとひど、ひどい目に遭うから……!」


 凄まじい勢いで段ボールの後ろに詰め込まれ、体の上に法律書をかぶせられる。

 状況がわからないにも程があるぞ。

 直後、扉が開く音がして、隣室から男性が二人、出てきた。


「シスター・ルビア……今の物音はなんだね?」


 地の底から響き立つような、おどろおどろしい声が聞こえて来る。

 本の隙間から覗き見ると、さっきの女の子が震えている。そしてその向こうに純白の服をまとった男がいた。白い肌に銀髪。胸に、六角形の同じマーク。体格はがっしりしてて背が高い。

 何より眼光が鋭くているだけで息苦しいくらいの威圧感が――なんていうか、イヤな感じ。


「な、何もい、異常は、ありません、です、はい……」

「そうかね? なぜおまえは私の言うことが聞けないのだ、ルビア。父はほんとうにがっかりしたのだよ。わたしはここで静かに待てと命じたはずだがな」


 男の手が長椅子に張られた布の表面を撫ぜる。

 ルビアは震えて声も出せない様子だった。


「ヘデラ殿、どうかそのあたりでおやめください」


 シキミが口を挟んだ。

 ヘデラとかいう男は完全にシキミを見下した表情を浮かべ、ルビアを連れて出て行った。

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