9 未来の伴侶
この、翡翠女王国転移後に起きた訳の分からない出来事ランキング上位を争う事態に、僕は諸手を挙げて降参して提案する。
「混乱しているので整理させてください」
「はい、どうぞ」と空中正座するマージョリー。
「話を聞こう、という態度がいいですね。今まで話をちゃんと聞いてくれた人、君くらいです」
「だろうねえ。竜とかがあいてだもんねえ」
「君がマージョリーだとして……君、今、死にかけてるって話じゃなかった? こんなところで何してるの?」
「はい、おこたえしましょう。たしかにマージョリー・マガツは近いうちにしんじゃいます。ですから肉体をぬけだして、魂だけでここにきているのです」
「つまり、幽霊?」
「どうなのかなぁ」
唇の下あたりに指を当てて、うーんと考える仕種。
もしかしたら本当にわかってないのかもしれない。
「あとさ、君が本物のマージョリー・マガツなら、教えてほしい。どうやって死んだの?」
「それはとくしゅな事情によりはなせないの」
「えっ、なんで? 君はマージョリー・マガツなんだろ?」
マージョリーは僕から目をそらし、むすっとした表情をしている。
さっきみたいな冗談というより、本気で刺々しい雰囲気が伝わってくる。
その急激な変化に、僕は戸惑いを隠せない。
「ええっと、原因不明だから訊くけど……もしかして、怒ってる?」
「……ってゆったのに」
「え?」
「こんなにかわいいマージョリーが将来的にはあなたのお嫁さんになるのよって教えてあげたのに、きになるのはそこなの?」
僕の眉間に深い皺が刻まれる。
全然会話の流れが掴めない。
なんだろう……夕飯のメニューを訊ねたのに、なんの脈絡もなく話題が《アフリカの貧困問題について》に切り替えられたかのような唐突さを感じる。
「椿は、マージョリーがお嫁さんだったらうれしくないの?」
「うん、うれしくない」
答えた瞬間、滅茶苦茶腰の入ったビンタが飛んできた。
か細い女の子の掌だが、相手は大魔女だ。
比喩でなく目の前で白い星が弾けた。
「さいてい! 椿のバカぁ!」
涙まじりの声が雷鳴みたいに響く。
最後に見たのは呆れ果てたオルドルの表情で、僕の意識は文字通り世界の果てまで吹っ飛ばされた。
*
「正解の答えがわからない!」
そう叫びながら僕は目覚めた、らしい。
マージョリーが放った魔力の衝撃波をもろに受けて、夢の外に弾き飛ばされてしまった僕を現実世界で待ち受けていたのは青ざめた顔をしたリブラだった。
「いったい、何が起きたのです?」
続け様にアレルギーの有無を訊ねられた。
まあ、飲み物を撒き散らし、硝子が散った床に倒れている人間をみつけたら医者でなくても急病を疑う。
でも不幸中の幸いか、それとも不幸そのものか、僕が倒れた原因はアレルギーじゃない。
さっきまで見ていた訳の分からない夢の内容を話すと、リブラはにわかには信じ難いといった反応をみせた。
嘘ではないことは、オルドルの金杖を見れば一目瞭然だった。
鎖に繋げられた鹿のマスコットが、いまはなぜか緑色に縁どられた銀色の星に変わっている。
「疑う気持ちはわかるけど、事実なんだよ」
「いえ……その。疑っているわけではありません。マージョリーは他に並ぶ者のない才能を持つ《大魔女》ですから、残された魂と魔力で《夢渡り》をしたとしても不思議はないでしょう」
「そうなの?」
「ええ、前例があることです」
リブラは医者だが、医療魔術の達人で、魔術の知識は僕より豊富だ。
彼がそう言うなら、そうなんだろうとは思う。
「ただし、あなたの態度は感心できませんね」
「?」
僕の態度? と鸚鵡返しに訊ねると、リブラは長めの前髪をかき上げて「やれやれ」とでも言いたげな仕種をみせた。
「あのですね、仮にも貴方は淑女から恋心を打ち明けられたのですよ。それなのに《うれしくない》などとは紳士が口にするべき台詞ではありません」
碧い瞳に妙な熱がこもる。
口調は控え目でも有無を言わさない力強さだ。
「………………問題はそこなの?」
「他に何があるというのです。まったく、どんな教育を受けてきたのか理解に苦しみます」
僕も理解に苦しんでいる。現在進行形で。
色々不思議な話をしたはずだ。しかも死にかけたのだ。
「緊急事態だってことは置いておくとしても、これって恋心とかそういう話かな? いきなり嫁だのなんだのって言われても、彼女とは初対面なのに……」
「正直な気持ちを打ち明けることで誠実さの証明をしたとしても、この場合、誰にも利益はありません。ましてや善意の相手を傷つける必要性がどこにあるのですか」
む。リブラの意見が、理不尽さを訴えようとする僕の口を塞ぐ。
言わんとするところは理解できる。
僕は彼の言う通り素直な言葉を口にしてしまったが、それはまあ、僕の
落ち着いて考えれば、いくらでもオブラートに包んで流すことができたはずだ。
でも納得のいかない子どもっぽい気持ちも残る。
マージョリーの発言は唐突過ぎだし、理由のわからない不機嫌さをぶつけてくるなんて誉められたことではない。
全くの他人同然なのに、どうして突然の怒りの理由を推測してやらなくちゃいけないんだ。
「とにかく女性を傷つける物言いは慎むべきことです」
それでもこの青年医師は譲らない。
僕はむっとして言い返した。
「じゃあ、リブラならどう言ったわけ? そこまで偉そうに言われたら、大人のパーフェクトな回答が聞きたくなるよ。ここはひとつ、僕をマージョーリーだと思って、さ、どうぞ」
「いいでしょう」
リブラはこほんと咳払いをして僕と向き合った。
「では、失礼いたします」
「ん?」
リブラの長い腕がこちらに伸ばされ、腰に回される。
そして、澄んだ青い瞳が僕を覗き込む。
甘い声音が耳元に滑りこんでくる。
「もちろん身に余る光栄です、レディ。ただ私は貴女の煌めく才能には遠く及ばぬ凡俗の身なのです。ですから……どうか、これからゆっくりと教えてほしいのです、ふたりの間にある運命的な絆のことを」
返答そのものは寄せられた好意を嬉しいと応じておいて、返事を先延ばしにする《一旦上げてから落とす》式の平凡な答えだ。
だが身体全体が引き寄せられ、手は顎の下に添えられ、半強制的に上を向かされている。
いつの間にか右手は恋人繋ぎになってるし。
安定感のある低音ボイスがなんというか……あ、これ、そこから先は考えちゃダメなやつだなって感じだ。
「あのさ……お前、いつか刺されるよ」
どんな教育を受けて来たんだ、はこちらの台詞である。
紅華も苦労してるだろうな、これは。
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