7 夢惑う星の夜
マージョリー・マガツ死亡――まだ死んでないけど――の経緯は呆れるほどにシンプルで、かつ複雑で訳が分からないものだった。
捜査記録を閲覧した僕とシキミは、すぐにひとつの結論に達した。
これは彼女の《自殺》だ。
目撃者の証言を仔細に見ていくと、それはあくまでもマージョリー自身の意志だったかのような徴候がいくつもみられる。
死の直前に漏らしたという《方法は、ええと、そうね。これにしよう》というひと言なんて、まさにそれだ。
彼女は自ら、自分の死を望み、その手法を選択していたのだ。
なんでそれが僕のためなのかはわからないし、金銭的にも肉体的にも精神的にも恵まれていたマージョリーが死を望んだ理由も不明だ。
何よりも衆人環視のもと指一本触れられない状態でどうやって自殺をしたのかが謎すぎる。
逆にこの点を明らかにすれば、クヨウも信徒たちも僕にあらぬ疑いをかけることもなくなるだろう。
……たぶん。
不安すぎるが本格的な調査は明日にして、僕は緊急避難先である、玻璃家の天市屋敷に入った。
時刻は真夜中を過ぎている。
「うっ。見覚えのあるベッド」
用意してくれた客室の天蓋つきベッドを見て呻く僕を見て、親切な青年医師は苦い顔を浮かべた。
それは僕が女王国に来て初めて使ったベッドに間違いなかった。
思い出したくもない嫌な思い出だ。
「すみません。こちらの邸には使用人を入れてないので……使える部屋がココしかないんですよ。キヤラ公姫の事件がありましたので……」
リブラは少し怒っているようにも見えた。
突然やってきて災いを振りまいて去った藍銅公姫、キヤラ・アガルマトライトは、リブラの部下を殺してゴーレムと入れ替えて情報を盗むという事件を起こした。
王姫殿下の側近の身内にスパイがいるかもしれない、という状況は流石にまずいため、身の周りの人間を整理することにしたのだろう。
「こちら、秘伝のレシピのお茶です。リネン類は多めに置いてありますので適当に使ってください」
暖かいお茶や寝具を手渡してすぐ、少し真面目な顔をしながらリブラは自室に戻って行った。
医師としても多忙なのだ。他人の相手にかかりきりにはなれない立場ながら、わざわざ海市まで足を運び、こうしてお茶まで淹れて来るところが彼らしい。
明かりが遠ざかると、長い廊下は完全な闇が落ちた。
天市は海市とちがい、静かだ。
屋敷の敷地は広々しているし、車輛もめったに通らない。
この状況で図書館に戻るわけにもいかないが、大きな屋敷で過ごす夜は驚くほど静かで寂しい。
「訳がわからないけど、さっさと解決してしまおう。な、オルドル」
水筒を突いて声をかけたが、こっちも返事がない。
普段あれだけ煩いのに、突然のだんまりだ。
仕方が無いのでリブラが親切にも持ってきてくれたお茶に口をつける。
それは暖かいお茶にドライフルーツをゴロゴロ浮かべた見慣れない飲み物だった。
ひと口飲んでみると思ったより甘い口あたりで、別に苦くもない。
料理が死ぬほど下手くそなリブラ製だからこそ、どんな奇妙なものが出て来るかと思案していただけに拍子抜けだ。
だけど。
次の瞬間、急速に眠気が襲ってきて、僕は考えを改める。
「…………なんだこれ? なにか、おかしい……もしかして魔術か……?」
それくらいの急激な変化だった。
くらり、と視線が揺れて、手の中から硝子の器が滑り落ちる。
割れる音。
中身が絨毯にこぼれて、溢れて、汚い。
指先が痺れて震える感覚がする。
それから……。
《ツバキ、こっちへきて。はやく!》
と、僕を呼ぶ声がした。
よく見ると、目の前に銀色の星が浮いている。
唐突に、星だ。
小さな星が目の前で、くるくる回ってる。
「きみ、誰……?」
それが精いっぱいだった。
震える指を誰かが掴む。柔らかな掌が。
その感触を最後に、現実が急に目の前から消えてしまった。
*
いつかは覚えてないが、夢は大事なものだとオルドルは言った。
特に、魔術師が見る夢は潜在意識のどこと繋がっているかわからない。
あるいは超常のものと繋がってしまうかもしれない。
『というか、ぶっちゃけ青海文書のセカイと繋がる可能性が高すぎる』
と、オルドルはいつもの水通信でめんどくさそうに言っていた。
何をしていたときかまでは覚えてない。
『ボクとキミは《共感》で繋がってル。ということは、キミの精神とボクの精神の間には断ち切り難いバイパスがあるというコト。でもってそこを通じて青海文書の術式や魔力が逆流する恐れもアル』
「お前がこっちに来るってことはもうないのか?」
『アイリーンの特例が無い限り考えにくイ。物語と三次元で構成された《リアル》では情報量が違い過ぎル。何が言いたいかっていうと、キミの無意識は青海文書に常に犯されてるというコトだネ』
馬鹿らしいと一蹴するには、身に覚えがありすぎる。
青海文書を手に入れてから僕のみる夢の一部はいくらか質が変わった。
暗示的というか、中には未来を示唆するようなものが時折思い出したように現れる。
それは現実と地続きの場合もあって、頭がおかしくなったんじゃないかと思うことすらしばしばある。
きっと今回のもそれに近いものだったんだろう。
誰かが僕を導いた、そんな感触が指先に残っている。
炎の臭いがした。あたりを見回すと暗闇で、目が慣れてくると焼けているのは銀の森だと気がついた。ただの森じゃない。
生い茂る草木や月桂樹も、すべてが銀でできたオルドルの……《人食い鹿の森》が燃えている。
ここは夢だけど、僕の夢ではない。青海文書の中だ。
《きてくれてよかった。あなたがいなければこのセカイへの通路がひらかなくてこまる――いや、それはいいからこっちよ、はやくはやく!》
そばでさっきの星が喋ってる。女の子の声だ。
キラキラと輝きながら目の前でピョコピョコ動いてる。
「誰?」
《いまはいいの。それよりオルドルがたいへんなの、いそいでいそいで!》
誰だかわからない声に促されるまま、燃えてる森の中を走り出す。
煙が目に染みる。半分目を瞑りながら走っていると、足下でばちゃりと水がはねた。
そこには、もうなかば慣れてきた非日常の光景が繰り広げられていた。
「ええーと、なんでこんなことになってんだ!?」
僕の前には二人のオルドル――そう表現するしかないものたちが、向かい合わせの鏡みたいに立ち尽くしている。
片方は鹿の体に人間の上半身、伸びた黒髪がべっとりと肌にはりついている。
もうひとりは……草木の紋様が染め抜かれた黒い服を着た、僕によく似た少年。
瞳だけが、いつかとちがう。赤くない。黒い瞳をしていた。
たぶんだけど半身が鹿なのは金鹿の、そして人間の体をしているほうが《蛟のオルドル》だ。
事情は知らないが蛟のオルドルは全身を銀色の茨で貫かれて、瀕死の血塗れだった。
「オルドル!」
なんでそんな勇気が出たのかわからないが、咄嗟に湖の上に倒れたオルドルを抱え上げて金鹿から離れた。
水に足をとられて上手く運べないけど、読み手の僕に危害は加えない――と、いいな。
「ようこそワタシの森へ」と穏やかな声がする。「きみが、なぜここに?」
同時に、これは夢よりもリアルに近い世界の出来事だと気がつく。
血のにおいがする。抱えた身体に質量があって、重たい。
化け物を目の前にした恐怖で足が痺れる。これは単純な夢とは違う。
「オルドル、起きてくれ、いったい何をやってるのか説明してよ」
「――キミには関係ナイだろ」
オルドルが苦し気に言う。状況がややこし過ぎる。
「金鹿、蛟をこんなにしたのはオマエか?」
金鹿のほうはというと、ぞっとするほど冴えた紅の瞳でこちらを眺めている。
「う~ん、だったらどうするの?」
「どうするもなにも、お前ら、自分同士で殺し合うなんておかしいだろ」
「そうかな。でも、どっちももともと同じものなんだし……ワタシからすると、キミのほうが大分頭がイカレてると思うよ。何しろ、ソレもキミの肉に食らいつくバケモノってことに代わりはないんだから」
「オルドルはちがう……、ただのバケモノじゃないよ。何度も僕を守ってくれた」
「フン、まあいいや。じゃ、キミもまとめて処分しよう。どうせ、こっちは例外的な存在なんだし……それに読み手には頓着しない。勇者のために戦うのなら、次はもっと優秀な読み手がいい」
金鹿はそう言って、湖から銀色の剣を取り出した。
掌を翻す。
鋭い刃は宙に浮き、物凄い速さで解き放たれた。一直線に襲ってくる。
オルドルを抱えて一撃を避けるが、次のがすぐに来る。
場所が最悪に近い。ここはオルドルの森で、彼の泉は魔力の源泉だ。
悪い予感に身体が震え、空を見上げると、そこには無数の剣が浮かんでいた。
頼みの綱の蛟のほうは、意識が朦朧としてるみたいだった。
弱ってる、と言ったオガルの言葉は本当だった。たぶんだけど、金鹿の影響で弱まってるんだ。
「ほらほら、避けなきゃ死んじゃうよ」
金鹿は容赦なく剣の雨を降らせようとしてくる。
彼の言葉は優し気だが、でもその中身は出会ったばかりのころのオルドルそのものだ。化け物でしかなかったオルドルと。
避けきれないと悟ると、僕は蛟の体を抱きかかえ、痛みを覚悟する。
「余計なコトするんじゃナイ!」
オルドルが杖を天空へと向けていた。
頭の中が金色に弾け、詠唱のコトバが彼の怒りを通じて僕の頭にも流れこむ。
「《森羅に唄よ駆けよ、万象よ我が名を知らしめよ。天地万物を我が手に。万能よ来たれ!!》」
宙に浮いた金鹿の剣が震え、先端が二つに、四つに、八つに分かれて砕け、七色に煌めく。
まるで煌めく万華鏡のような魔術だった。
凄まじい魔術の力で金鹿が展開する銀剣の魔法に干渉しようとしているのがこっちにも伝わってくる。
でも……何度もオルドルと共感して魔術を使ってきた僕には、それが間に合わないことも手に取るように理解できてしまう。
金鹿の魔術に走った微細なノイズはすぐさま修正され、発動する。
咄嗟にオルドルの体を抱え込む。杖もなく、オルドルもこの様。
ただの無力な異世界人には、これしかできない。
いつもそうだった。僕にできるのは《ただ勇気を振り絞り、逃げずにいる》ことだけだ。
ただ一度の死くらい、なんてことはない。
歯を食いしばる。
「椿、あなた、ウヤクにもそうしたよね。そういうやさしいところ、けっこうすきよ」
この危ない局面に、奇跡みたいな声がふってきた。
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