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「私は弁護士のシキミという者だ。君の弁護を任された」


 男はそう言って毅然とクヨウに立ち向かっている。


「はじめまして、知らない人。依頼した覚えはないけど……」


 突然出てきてびっくりだ。というかいたんだな、弁護士。

 魔法と文明が入りまじるこの世界観に感謝すべきところかもしれない。


「雇い主は君も知ってる人さ。ところで君は拘束されるとき、権利を知らされたか?」

「権利? いや……なんにも。いきなり魔術を使われたからね」

「それはいけないな。魔術行使の際に警告を受けたか? それとも、君は先に何か抵抗した?」

「受けてない。僕から魔術は使っていないよ」

「呪文の詠唱も、呪具への接触もなしだね」

「そんな暇はなかったよ」


 それだけ話すと、シキミは再びおっかないクヨウと向き合う。


「もう一度言う。これは違法な取り調べだぞ、クヨウ上級捜査官」


 怯えも、気負いもない。

 シキミは杖を所持していたが、それは魔術行使のためのものではなく単なる身分証だ。彼の武器はあくまでも僕が話した《事実》だけで、それが最高の魔除けになり得るらしかった。


 あれだけ生き生きとしていたクヨウ捜査官がいまや吐き気を堪える表情だ。

 彼らの間で何事か《大人》の意見が交わされ、僕は呆気なく解放された。



*



 解放された僕は予想通りの人物と再会した。

 亜麻色の長めの髪と、しみひとつない、白衣に似た上着。どこからどうみても貴族階級の、一部の隙も無い色男がロビーで僕を待っていたのだ。


「リブラ、やっぱり助けてくれたのは君だったんだね」


 柔らかく微笑んで迎えてくれる。

 彼は王姫紅水紅華の侍医を務める極めて優秀な魔術医師だ。


「君が市警に連行された時点でアリスさん経由で連絡が来ましたから。シキミ君は私の個人的な友人です。よく私だとわかりましたね」

「うーん……まあ、勘ってやつかな」


 本当のことを言うと、ああいう《高給取りそうな気取った大人》から連想できる人物の知り合いがリブラくらいしかいなかったのだ。

 シキミはリブラとよく似た空気をまとっていた。

 違うのは香水のにおいと病院の消毒薬のにおい、それくらいだろう。


「それにしても、この騒ぎはいったい何なのです?」

「そっちも何も知らないの?」

「ええ、青天の霹靂そのものですよ」


 リブラにとってこの逮捕が意外なものだった、というのがそもそも意外だ。


「つまり、黒曜は関わるつもりなしってことか……」

「いつも監視しているわけではありません。不測の事態です。君の保護者は私と言うことになってますから」


 僕は簡単に経緯を説明する。クヨウから聞いた事実だ。


「マージョリー・マガツが危篤状態にある、という知らせは聞いていましたが……まさかそれが《事件》になって、容疑者として貴方の名前が挙がるとは。ほんとにやってないんですよね?」

「やってないってば! マージョリーってのが誰なのかも知らないのに」


 なんか、このセリフ、前にも聞いたことがある。そのときは、僕は追われる立場ではなかったから呑気にしていられたのだが……。

 リブラは困り顔を通り越して困り果てた様子だった。


「その言い訳は、こちらでは通用しません。彼女は《大魔女》なのです」

「大魔女って……キヤラ・アガルマトライトみたいな?」

「そうです。誰かが明確にこれと決める称号ではありませんが、大魔女には決まっていつも三人の美貌と才気あふれる魔女が選ばれるのです」

「美しさ、って評価基準に関係あるわけ?」

「有名になりやすいですから」


 かつて大魔女は三人いた。


 ひとりは黒曜家の《黒曜シラン》――黒曜ウヤクの母親だ。

 そして紅華の母親、先代翡翠女王国女王、《翠銅乙女》。

 最後が全知の魔女、《マージョリー・マガツ》。


 彼女たちはその才気で世界中に名を響かせていたが、先代女王は病没してしまい、黒曜ウヤクの母親も表に出て来ることは無くなった。その代わりに藍銅公女であるキヤラ・アガルマトライトが大魔女として名が挙がることとなり、彼女たちは旧世代となったのだ。


 ということは、マージョリーは旧世代の中から今でも《三大魔女》として名前が挙がる大人物だったことになる。

 もしも本当に殺人だったらこれはただの事件じゃない。

 《三大魔女殺し》、という、不名誉でマスコミが大好きそうで、民衆の好奇心を掻き立てる格好の獲物なのだった。


「とりあえず、シキミを待ちましょう」


 しばらくぼんやりしていると、シキミとクヨウ捜査官が連れ立って現れた。

 シキミは見覚えのあるマグカップを携えている。

 リブラが依頼した弁護人は至極優秀だ。何しろ、あの傍若無人の権化であるクヨウ捜査官から僕の持ち物を奪還することに成功したのだから。

 ただ、確かな戦果にも関わらずシキミは難しい顔をしていた。


「ありがとう、シキミさん。お世話になりました」


 弁護士は愛想笑いもしない。

 それは勝利者の顔というより、気紛れな女神に難題を突き付けられた神話時代の英雄の顔だった。


「どうしたのです、シキミ君」とリブラが水を向けると、彼は少しずつ事情を説明してくれた。


「釈放はされるが、少しまずいことになっている。まず《教団》だ。マスター・ヒナガが容疑者であることは信者たちに間もなく知れ渡る。市警にいたほうが安全かもしれない」


 教団の中でも重要な存在である《聖者》を失い、信者たちは動揺している。

 死に向かう聖者の遺言が《マスター・ヒナガ》を名指しにしているため、その矛先が僕を向くことは避けられないという。

 宗教に傾倒した方々がときどき過剰な暴力に訴えることは、元の世界でも例をいくらでも挙げられる。

 要するに、僕は信者たちの復讐の対象になっているのだ。

 事情を聴いたリブラは眉を顰めた。


「然るべきところへ保護をお願いできないのでしょうか」

「そうしたいところだが、これは魔術犯罪の部類で、通常の法制度の外にある問題だ。本来なら即刻、名前も身分も変えて緊急避難させるべき案件だが……」

「緊急避難?」


 シキミは申し訳無さそうな表情で説明してくれる。


「護衛をつけて、海市を脱出するのです。市警に頼れない以上、民間の警備会社を頼ることになるでしょう」


 彼の態度は魔法学院の教官マスターに対するものというより年相応の子供への対応そのもので、精一杯こちらを安心させようとしてくれているみたいだった。

 だがそれだけに、かえって事態の深刻さが窺える。


「つまるところ、犯人が捕まるまで逃亡生活ってことだね」


 ただし、海市を出たからといって教団の教徒がいなくなるというわけでもない。


「だから捕まえてやったんじゃないか。どうせコイツはろくな事情も知らないんだろう。だったら牢獄に匿ってやったほうが親切ってものだ」


 横合いからうすら笑いを浮かべたクヨウが口を挟んだが、氷漬けにされて海の底に沈められるなんて親切がこの世にあってたまるか。


「捕まるのはヤだけど、知らないところに行くのもまずい……」

「お気持ちはわかります。折角、魔術学院で教鞭を取ることになったのに、早々に去ることになったのでは心残りも多いことでしょう」


 シキミが間に入って代弁してくれるが、僕にはそういった責任感はない。

 ただ単に海市を離れたくない事情が多いだけだ。主に、青海文書の関係で。


「緊急措置として天市の私のやしきに避難することにしましょう」とリブラが落ち着いた様子で提案する。


 リブラにしてはなかなかの名案だった。

 女王府と女王の住まいである翡翠宮が存在する《天市》と海市の行き来はなかなか難しいものがあるし、海市より人口密度が低くてしかも警備が手厚い。

 もちろん貴族連中の中に信徒がいないともかぎらないが、何かが起きたとしても犯人の特定がしやすいという好条件の避難先だ。


「そして、できれば、だが」とシキミが苦い表情で続ける。「クヨウ捜査官から捜査協力の要請があった。それに応じてもらいたい」


「えっ、僕が? どうして?」

「君の釈放は正当なものだが、しかし、君自身が全く知らないと主張する女性が《君を名指しで命を絶とうとしている》事実は変わらない。そして我が国における魔術規制に関する法律は魔術師側に圧倒的に不利なのだ」


 忘れがちだが翡翠女王国は魔法を禁止した国である。

 魔術捜査官は、その気になれば《魔術による犯罪の示唆》――という、たったそれだけの事実で僕を緊急逮捕して通常なら違法となる裁判を起こし、強制的に僕を拘禁することができるという。


 こと魔術犯罪における魔術捜査官の権限は絶対的かつ圧倒的で、拷問が合法となる世界だ。


 シキミが語ったことすべてが事実だとすれば。

 信じられないが、これは本物の魔女裁判だ。


「裁判での心象をよくするためにも、そして《教団》の反発を和らげるためにも、ここは魔術捜査官と犯人の早期逮捕に向けて協力しておくのが得策だ……」


 おそるおそるクヨウの様子を盗み見る。

 彼女は僕の視線に気がついており、不気味な満面の笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

 それと同時に彼女からメッセージがカフスに届く。


《こんなくだらなくて最高にどうでもいい事件にかかりきりになる暇などない多忙な私からの要求はひとつ。迅速に、マージョリーの死の原因を究明したまえ》


 でなければ、現代式の魔女裁判でお前を逮捕する。

 言外にそう書いてある。


 やられた。


 間違いなく、これはクヨウの描いた通りのシナリオだった。

 クヨウ捜査官は人手が欲しいのだ。奴隷かもしれないけど。


「クヨウ捜査官、これは弁護士というより常識のある一般市民の意見だが、彼はまだ十五歳なんだぞ」


 シキミに咎められても、クヨウは歯牙にもかけない。


「ただの十五歳は竜を殺したり、大魔女を相手どって死闘を演じたりなどしない。こいつは正真正銘の《魔術師》だよ。魔術師というのは《生まれ》で決まる。夜闇から生まれて地獄に堕ちる、あるいは呪いから生まれて災厄を蔓延らせる、魔女と同じにな」


 お褒めに預かりどうも、と答えたのは、オルドルだった。

 誉めてるのかどうかは知らないが、オルドルのことならまさしくその言葉通りの存在だろう。

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