4 逮捕


 菫青邸で起きた謎の現象が何なのかを理解したのは、寝床である《市民図書館》へと戻ってからになった。

 オルドルはそれを『超自然的な存在による守護』だと表現した。


 つまるところ、それは神とか仏と呼ばれている存在だ。


 オガルは占星術の教師で、宿曜道に通じていて祈祷も行う。

 僕が青海文書を渡そうとした瞬間、彼が祀りあげる星の神々や、密教の教えが《加護》になって《青海文書》を遠ざけたのだろう、というのが僕の知識とオルドルの推理を組み合わせた結論だった。


 即ちそれはまさに《奇跡》とでもいうべきものの発現だ。


 しかし、なんだかそう言われると青海文書がとてつもなく邪悪なもののように思える。


『オドロキモモノキサンショのキ~♪ そんなコトを平然と起こせる古風なニンゲンがいまどきいるとはね。アレは魔術に近いが魔術ではナイ。人より上位の存在が人界の規律をネジ曲げてでもオガルを守ろうとした、というコトだ』

「もしかして、だけど。神様ってこの世界にもいるのかな?」


「いますにゃ」と答えたのは、僕が居候している《市民図書館》の司書、アリスだ。


 三角耳をピコピコさせながら、木枯らし吹き荒ぶ海市から戻って来たばかりの僕に手作りの焼き菓子とホットミルクを振る舞ってくれる。

 古紙のにおいが折り重なった閲覧室にふんわりと甘い香りが漂い、わけもなく幸福をそばに感じた。


「むかしむかァし、女王国には《扉》を介してたくさんの魔女と魔術師がやってきみゃしたが、それは、彼らが信仰する神々や悪魔や精霊たちの来訪をも意味していたのですにゃ。初代女王は天律によって彼らの住む土地と、人の住む土地を切り分けたんですにゃ~」

「ほほう。それは興味深い」


 考えてみれば、キヤラの姉妹たちも信仰に基づく魔術をいくつも使っていた。

 翡翠女王国と元の世界はどこかで繋がっている。

 ここは神々の力の届く場所なのだ。


「神々と女王国初代女王の間には約定があり、神々はこちら側の世界に現れるとき《人》として現れ、その真の名をみずから明かすことはできない……という取り決めになっておりますにゃ」


 ということは《そのへんを歩いているのが実は神様だった》というケースもあるわけか。

 日本にいた頃は神話や物語という形でしか触れられなかった存在が、こちらでは実在しているなんて、なかなか複雑な現象だ。

 あれ? でも、そういうことなら……もともと翡翠女王国にいた神様はどうしているのだろう。それとも、こっちには最初から神様がいなかった、ということになるのだろうか? よくわからないけど。


「なんか、大変な世界なんだなぁ……」

「先生、ご存知なかったんですにゃ?」


 アリスがじとっとした目でこちらを睨んで来る。


「あぁ……ええっと、僕の魔術は、神様とは関係ないから……!」


 咄嗟の苦しい言い訳だ。


「先生は魔術の専門家ではありみゃすが、少々一般常識が年相応と言いますか、専門に特化すると、潰しがきかにゃいのでアリスは感心しませんにゃよ」

「そ、そうだね。肝に命じとくよ!」


 お小言をありがたく頂戴し、そろそろとその場を抜けだす。

 僕が異世界人であることの正式なアナウンスは、まだどこからもされてない。

 あくまでも雄黄市からの避難民の間に漂っているウワサの段階だ。

 アリスが僕を藍銅出身だと思ってるなら、そう思っていてほしい。


「嘘ばっかりだな、僕の生活って」


 思わずぼやいてしまう。

 でも、アリスは限りなく一般人なのだ。普通だということは、竜が生きているこの世界ではとても貴重で、稀少だ。

 だから彼女には、できれば僕なんかと関わらずにこれからも普通に暮らしていってほしい。


 ――なんて、彼女の好意に甘えまくりの僕が言うには虫が良すぎるかな。


 行儀悪く階段の途中でカップの中身を飲みながら、隙間風の辛い自室に向かう。

 ドアの前で鍵を探していると。


「あれ、何か挟まってる」


 扉の下の隙間に手紙が二通、見える。

 図書館の中にある僕の部屋に、手紙は直接、届かない。そもそも手紙を僕当てに書く人物はいないし、図書館当ての郵便物はすべて警備がチェックして司書室に通す仕組みだった。


 宛名は翡翠女王国の公用語で書かれている。


 片方は薄いバラ色の封筒に流麗な字で《ヒナガ・ツバキ殿》と書かれてる。

 差出人はリリアン・ヤン・ルトロヴァイユ――誰? もうひとつは宛名がない。白字の適当な封筒が使われていた。


 どっちも、直接僕の部屋に置かれたんだ。 


 そのことについて、疑問がふっと湧く。


 ――青海文書の保存施設として建てられたこの図書館は、元軍人の警備員によって厳重な監視がされてるのにどうやって?


『…………《青海文書》のケハイがする』

「ぶはっ!!」


 不意を突いたオルドルの言葉で、思わず口の中の牛(?)乳を勢いよく吹きだした。

 何気ないコトバだが、それは《次の瞬間オマエは死ぬ》と指差しで言われたような衝撃的発言なのだ。


『汚い!!』

「後でちゃんと掃除しとかなきゃ……じゃなくて! 青海文書の気配って言ったよね!?」


 それが何なのかを訪ねようとした直前、右足を誰かに捕まれる感触があった。


 おいおいおい、ずいぶん忙しいな、今日は!


 足下をみると、想像通り僕の右足を掴んでいる青白い手、というホラー映画さながらの光景があった。

 僕の影から女の頭部がせりあがる。

 まずは白い額と長い長い黒髪に包まれた頭部が現れ、たっぷりの黒レースに包まれた胸元や編み上げブーツをはいた足が、まるでプールの中から浮かび上がるかのように《出て来る》。

 叫びたかったが、辛うじて堪えた。

 僕は《彼女》を知っている。知ってなきゃ、叫んでた。


 黒い唇、ゴシックドレス。影の中から登場する能力。


 とてつもなく非現実的な登場手段、つまり《魔術》を使って現れたのは言わずと知れた海市市警の上級魔術捜査官、クヨウだった。


「やっぱり君か! 今度は何しにきた!?」

「――これが噂の年貢の納めどきというやつだな、マスター・ヒナガ」


 彼女は僕が取り落したマグカップとクッキーを両手に持ち、ミルクを飲み、菓子を食い、横柄な態度で言った。


「キミを逮捕する。《マージョリー・マガツ殺害》の容疑でだ」


 色々なことが立て続けに起きて、コメントしづらい。

 ひと言で心中を表現すると「なんですって!?」かな。

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