22-10 ……磯野君! 空を見ろ!

 八月一九日 〇時一八分。道央にあるとある町。

 立体駐車場に俺たちは身をひそめていた。三時間前に乗り換えた大型のバンのサイドガラスから夜景を眺める。


「移動せずに、このままここに隠れていることは出来ないのか?」

「わたしたちが警戒すべきは偵察衛星だけれはありません。ゴーディアン・ノットの残党もまた、わたしたちの脱出ルートと衛星の解析をもとに追跡をしています。一箇所にとどまるのは危険です」


 運転席のHAL05は答えた。


 バックミラー越しの彼女の顔を見たあと、となりにいるショートカットのきれいな顔へと目を向けた。榛名は俺と目が合うと、いつのまにか眺めていた道路地図の北海道全域のページを俺に見せた。


「磯野くん、これ見て」

「北方領土?」


 榛名が指さしたさきには、北方領土どころか千島列島が日本領となって地図におさめられていた。さらに日本領とは別に、カムチャツカ半島の北部に国境線が引かれ、そこからアリューシャン列島、アラスカまでおなじ領土でつながっていた。


「こっちはアメリカ領?」

「アラスカから道東まで、アメリカと日本がつながってる。わたしたちの世界の国境線とはちがうみたい。この世界に一〇日間いていまさら気づくなんて」

「このアラスカからなぞるように引かれている線って、チューブリニアか?」

「はい。アラスカ州からカナダを横断し、五大湖を経由してアメリカ東海岸までつながっています」


 HAL05が答えた。


「チューブリニアの速度なら、それくらいの距離を移動させたほうが効率はいいだろうが……」

「どうしてこんな国境の引かれかたをしたのか、会長さんなら嬉しそうに解説してくれそうだよね」

「柳井さんなら、たしかにそうかもな」


 俺たちは笑った。


 この世界に訪れた八月七日を思い出す。

 百年記念塔の位置に存在していたあの駅……ライナスはしん野幌のっぽろ駅と言っていたか、あのプラットフォームにチューブリニアが到着したときの光景。たくさんの人びと下りてきたとき、そこには日本人だけでなく欧米系の乗客もたくさん混ざっていた。


「降車したあの外国人たちは、アメリカとカナダからの乗客だったってことか」


 榛名はうなずいた。

 彼女もまたあのプラットフォームにいて、俺とニアミスをしていたんだ。


 もしあのとき、ZOEの誘導のまえに榛名を見つけ出せていたら。


 なにかが変わったんだろうか。

 東京へ行かずにいたら、どうなっていたんだろう。けれど、ゴーディアン・ノットに追われている状況はおなじだったんだ。それに新東京駅でハルとも合流することなく……。


「……ZOE、ハルからの連絡はなにもなかったのか?」

「はい。主にアメリカ国家偵察局所属の偵察衛星への不正侵入の試みがありましたが、そのなかにHAL03のものと思われる痕跡こんせきは見当たりませんでした」


 ハルのとの別れ際の、彼女の顔が頭に浮かぶ。


「……ライナスとハルは、俺たちを逃がすために捕まったんだ。ZOEの言う悲鳴はまさしく悲鳴なのであって、本当は俺たちが二人を助け出そうとするのを望んではいないのかもしれない」


 ライナスとはじめて会ったときに俺に告げた言葉を思い出す。


 ――「この世界を、消滅させてほしい」


「磯野くん、ライナスさんたちは、あのときはああするしかなかったんだと思う。あのときのいちばん大事な目的は、きみを北大の百年記念会館に送り届けること」


 だけどね、と榛名はつづける。


「ZOEさんがね、三馬さんに、そしてわたしたちにみんなが助かる世界があるって言ったじゃない? そんな大事なこと、ライナスさんもハルさんも知らないはずないと思う」

「そうだよな、HAL」

「はい。その記録は確認出来ます」


 榛名は納得するようにうなずいた。


「だから、わたしたちが助けに行くことはわかってると思うんだよ。わたしたちは助けに行っていいし、助けなきゃいけないし、二人も助けられる必要があると、そう思うんだ」


 彼女の顔を見て、とても心強かった。

 八月一七日の新東京駅のあと、霧島榛名とはじめて出会って……いや、まえの俺はもともと知っていたんだと思う。けれど、俺にとっては、彼女とははじめまして、で。それまでの俺は、想像のつかない出来事と、限られた情報のなかでひたすら迷って、答えがわからなくて、確信がもてないままもがいてもがいて、ここまでたどり着いた。


 けれど、榛名がいまとなりにいて、いままで彼女の見てきた世界があって、だから彼女の確信があって、それを俺に伝えてくれる。俺よりも彼女のほうが、いろいろなものがたくさん見えている。


 俺とおなじような状況を見てきた、そういう存在としての榛名。そしてまた、いま俺たちに起こっている状況をいっしょに見ていてくれる存在としての榛名。


 一人で背負い込んでいた。

 けど、いまは二人。


 俺にとって、そのことが、どれだけ救われているか。


「……磯野くん、どうしたの?」

「え? ああ、なんでもない」

「にやけてるのわかってるんだよ。なに考えてたの? まさかエッチなこと――」

「いやいやいや。榛名、俺のことどんだけ」

「だって磯野くん、怜ちゃん警察官してたし」

「それはだな……って、気にしてたのかよ! それに女性警察官でエッチってどんだけ――」

「榛名さんのおっしゃることは理にかなっています」

「なんだよHALまで――」

「いえ、現時点でHAL03が救援を求めてくることについてです。もし救援のためになにかしらの情報を送ってくるとすれば、二二日ギリギリではないはずです。なぜなら、二二日の一四時に磯野さんと榛名さんを、無事に、もとの世界に送り返すことが彼女の目的だからです」


 冷静に話を進めるHAL05に、俺は納得しながらも気恥ずかしさを覚えた。榛名もそうだろう。


 人間なんだから、気がゆるむことだってある

 しかし、虚を突かれたまま、HALの説得力のある推論が立て続けに告げられていくなか、俺は気持ちが追いつかなかった。


 HAL05はつづける。


「お二人が、ライナス博士とHAL03の救出を選択するとHAL03が想定したとします。また二二日一四時に旭山記念公園にお二人を送り届けるために必要な時間を予測した場合、HAL03は、なんらかの情報を、今夜のどこかで私達に――」


 そのとき、前の座席にいたHALの肉声が、なぜか左耳のイヤフォンへと切り替わった。


「HAL03が――」

「なんだ?」

「……磯野君! 空を見ろ!」


 突如、通信用のイヤフォンから三馬さんの声が響いた。


「これが君達が言っていた流星か!?」


 俺と榛名は、ドアをひらいて、車から出た。

 立体駐車場を走り、その端から夜空を見上げる。

 空には、まえとおなじように無数の星が線を描いていた。


 が、それとはべつに、流星が――瞬く間に消えていく数かずの星が夜空にいくつも見えた。


「これは……ちがう」

「うん。ちがう」


 榛名も見上げたまま答える。


 これは本物の流れ星だ。

 それが群れをなして墜ちていく。


「皆さん、スパスカヤの介入がありました。この流星は、すべて、


 ――西側の人工衛星の墜落の軌跡です」

「なに! これが全部人工衛星だって言うのか? ZOE、何が起こっている?」

「博士、スパスカヤによる西側人工衛星へのサイバー攻撃です。現在、西側の人工衛星の約半数、五六四基の衛星がハッキングされ、地球への落下を開始しました」

「……なんてことだ」


 これから起こることは、俺にだってわかる。

 通信の遮断だ。それにGPSも人工衛星が無くなってしまえば……。


「まずい。まずいぞ。現在、運航している西側世界の航空機、船舶、いや自動運転をしている乗用車が制御を失ってしまう……」

「ZOE!」

「磯野さん、ZOEはHAL05との接続を切りました。侵入経路を逆流させ、東側衛星に攻撃を仕掛けています」


 HAL05が告げるやいなや、流星の数が増した。


「そうなことをしている場合か! 世界中の数十万、いや数百万という人びとが危険に晒されているんだぞ!?」


 三馬さんの怒号どごうが響く。


 が、俺と榛名は、HAL05の異変に気づいた。

 彼女は、茫然ぼうぜんと立ち尽くしている。


「……HALさん?」

「ZOEが接続を切る直前に、HAL03からのメッセージが転送されました」


 彼女の目は悲しみに満ちていた。




 22.告白 END

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