20-08 磯野、霧島さんも。もう人を撃つのはやめなさい
榛名は、怜を横目にSUVの後部座席を開けた。俺はそのまま、いまだ気を失ったままの千葉をシートに乗せる。
「怜、いくぞ」
俺は、怜のもとへと戻り、へたり込んでいる彼女の腕をつかんだ。
「怜、泣いている時間は無いんだ。もうすぐヤバいヤツらがここにくる。車で逃げるんだ」
「ヤバいヤツらってなんだよう! この電話の女のほうがやばいよう!」
……仕方ねえな。
「ちょ!?」
俺は、千代田怜を、お姫様抱っこした。
「磯野!? やだやだやだやだ! その抱え方だけはやめて!」
顔を真っ赤にしながら叫ぶ怜を無視して、運転席へと運んだ。
助手席に乗り込み後部座席を見ると、千葉に
「怜、たのむ。お前が運転してくれないと俺たちみんなの命が危ういんだ」
怜は、えぐえぐ泣きつづける。
……どうすればいい?
「ZOE、自動運転でなんとかならないのか?」
「この車種は、」
「……ランドローバー・ディフェンダーの二〇〇七年モデルに、オートパイロットなんてついてるはずないじゃないの」
ZOEの言葉をさえぎって、千代田怜がぐずりながら答えた。
……お前、車のことになったらまともに戻るのな。
あ、俺の生体認証なら――
「たいていのものはなんとかなる。三〇万円がいらないんならなにが欲しい? なんでも買ってやるぞ」
「…………」
「ん?」
「…………五〇〇〇兆円」
「……へ?」
「五〇〇〇兆円! 五〇〇〇兆円ちょうだい!」
「お前マジで殴るぞ」
俺たちを乗せた車は国道へと出た。
カーナビが、左折を示す。
「ちょっと! またカーナビ乗っ取られてるし」
「いいから言うとおりにしろ」
「……なんなの、あんたいつからカ―ジャッカーになったの」
「物騒なこと言うな」
「そもそもどこに向かってるの」
「札幌だ。北大に用がある」
「えー。……高速乗って一度、苫小牧に行こうよ。二三〇号で札幌もいいけどさ、危ないって」
「……帰ろうよって。あ、お前、いま苫小牧住んでるのか?」
「え、磯野……なに言ってんの? 苫小牧警察なんだから当たり前でしょ。それにいまは国家非常事態なんだから。とりあえず、警察署に泊まれるようにはするからさ」
この世界の俺がどんな人生送ってたのかわからねえ。怜の話からいくと、こいつは高校卒業後に地元の警察に
けど、警察って……
「ゴーディアン・ノット、あと三分で追いつかれます」
のんびり話している場合じゃない。
「怜、たのむ。高速には乗らずに、このまま札幌に向かってくれ。追手も迫ってる」
「その追手ってなんなの」
「ゴーディアン・ノットってわかるか?」
空気が止まる。
当然の反応だった。
非常事態下にある日本全国警察が、まさに国内に
「……え? なんであんたたちが、そんなのに追われてるの」
「すまん、説明はあとだ。このままだと、あと三分で追いつかれる」
「……つうかさ、やっと話が見えてきたけど、あんたらが防弾ベスト着てるのって、そういうことなの?」
「ああ」
車は左折し国道二三〇号線に入る。
「つかまってなさいよ。あと、わたしのスマホまだ通話中だから、スピーカーにしといて」
道央自動車道のインターチェンジ入口を越え、を三豊トンネルを北へと上がっていく。
「ゴーディアン・ノットとの接触まであと一分の距離」
「はあ? こっちだって一四〇キロ出してるのに……どんだけスピード出してるのその車。
「日産ジューク ニスモRSです」
「……磯野、防弾ベスト着てるってことは、銃はあるの?」
一瞬、返答をためらう。
緊急事態とはいえ、相手は警察官だ。
「大丈夫だから。こっちはリボルバーが一丁。けど五発しか撃てないし、予備の弾だって持ってきてないから」
「……グロック17が一丁。十八発残ってる」
「ちょっと! なんでそんないい銃持ってるの」
「わたしもリボルバーで、残り二発」
「全部で二五発ね」
「怜、俺は
「あんた……」
怜は前方から目を離し、俺をみた。
その瞳は、驚き、呆れ、納得へと変わっていく。
「……まあ、そうか。もう人は撃ったの? うしろのあんたも」
「霧島榛名です。わたしはまだ」
「ああ、霧島さんね。了解」
銃を撃った記憶。
八月七日のハルが撃たれた直後の空砲からはじまり……いや、収束後の記憶は、一発の己の発砲に我に返ったんだ。
生存世界への収束のために己を撃ったのを省けば、新東京駅での榛名を撃った狙撃手への数発。おれは、確実に相手に向けて撃った。
「……幾度か狙っては撃ったが、」
あれは、相手を仕留めたんだろうか。
「当たったかどうかは……わからない」
怜は、一つため息をついたあと、
「磯野、霧島さんも。もう人を撃つのはやめなさい」
彼女の、静かに言う声が、車内に響いた。
トンネルを抜けると、対岸からの光が照らされた湖面が見えた。
この景色は、忘れるはずがない。
「……洞爺湖」
「そうだよ。温泉に入って羽伸ばしたい!」
T字路を左折する。
洞爺湖の湖面を横目に、車は加速した。
「人を撃ってしまったら、人生変わっちゃうから。銃を向けるのがどんな相手でもね。そういう経験は、しなくてもいい経験だから」
「……怜、けど俺たちは、」
「もうすぐ追いつかれる。そうでしょ?」
怜は、スピーカーのままのスマホに乱暴に言い放つ。
「頭のおかしい女。そいつらの相手はわたしがするから。それでいいんでしょ? ……あんたらは、身を低くして、しっかりつかまってなさい」
俺たちにそう言う怜の声は、どこか、気遣っているように感じられた。
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