20-07 ちょっとまて! お前、警察官だろ? 警察官なら市民を助けろよ!

 すれ違いざまに、子供とふたたび目が合う。

 そこで、奇妙な感覚に襲われた。


 それは、テレパシーのようだった。

「色の薄い世界」で遭遇した、「そのひと」を認識するための言語化げんごか阻害そがいしてくる存在。あの「時空のおっさん的存在」が俺に送ってきた、言語化以前の、直感的なメッセージ。あのときの感覚と似たものを感じた。


 彼からの、そのメッセージは、


「榛名!」


 崩れ落ちそうになる榛名を、俺はとっさに支えた。


「ごめん。……ちょっと疲れちゃったみたい」

「そうか。もう大丈夫だ」

「磯野くん……あの人たちは……」

「彼らが、ハルたちを助けてくれるはずだ」

「……え?」


 ああ。そうだ。


「榛名、俺たちは三七パーセントの世界にたどり着いた」


 そう口走った俺は、己の言葉に妙な確信かくしんがあることに気づく。


 ――あの子からのメッセージは「安心感」だった。


 俺の言葉に、榛名の目からやっと緊迫の色が消えた。


「……そっか。わたし、ガチャ運はあるほうだからね」

「ガチャ運って……お前……」


 オカ研の榛名のようなその言葉に、おもわず顔がほころんでしまう。


 ……ちくしょう。

 たしなめようと思ったのに。


 これで二度、榛名による生存世界への収束が行われた。

 その収束は、ハルと、ライナス、ライオネルの三人を救うためのものだった。


 俺たちの願い。

 彼らと彼らがいる世界が、救われること。

 このあとも、世界が、つづいていくようにすること。

 そのために、彼女が、したこと。


 ――わたしだって、この世界の、主人公、なんだぜ


「……主人公、か」

「え? ……うん」


 榛名は、自分で言ったその言葉をたしかめるように、一人うなずく。


「かっこよかったでしょ」

「ばかやろう」


 そう……だよな。

 彼女とおなじ立場だったら、俺も、おなじことをするだろうから。


 しかし、かなりの数の彼女の生存している並行世界を失ったはずなんだ。

 それに、なんで彼女は彼らを救える三七パーセントという数字を持ち、俺は三パーセントしか持ち得なかったのか、それが気になった。


「急ごう」


 俺は千葉を抱え、榛名とともにZOEの示した目的地へと向かった。




 一〇分ののち、小さな林道へと出た。


 一台の車が一〇メートル先に止まっていた。

 カーキ色のSUV。ジープといったほうがよい形状けいじょうをしている。ハイビームが俺たちを照らしていた。


 運転席のドアがひらき、降りてくる人影が見えた。

 携帯電話を耳に当てている。女だ。


「……やっと来た。ねえ、この人たちを乗っければいいの?」


 聞き覚えのある声だった。

 逆光でシルエットしかわからなかったが、身に着けているのは、警察官の制服のようだった。ボブヘアにつば付きの帽子をかぶり、フォーマルなシャツに俺たちとおなじく防弾ベストを身に着けている。ひざ丈のスカートの下からスレンダーなあしがのぞいていた。


 女は、数歩近づいたあと急に立ち止まる。


「……あれ? どうして磯野がこんなとこにいるの」


 は?


「…………お前、千代田ちよだれいか?」

「あ、やっぱり磯野じゃん」

「なんでお前、婦警ふけいさんのコスプレしてんだ?」

「ふぇ?」

「ふぇ? じゃねえよ」

「怜……ちゃん?」


 呼ばれた千代田怜は、ジト目になって榛名を見た。


「……いや、怜ちゃんって……。あんた誰? 誰なの? 磯野の女?」

「おい怜……女って」


 ……いや、いまとなっては間違ってはいないのか。

 とはいえ、そう自覚してしまうと、なんというか、こそばゆい。


「もしかして磯野、あんたの抱えてるのこの女の妹? ……え、磯野……姉妹いっしょに手を出したの……? 姉妹丼なの? ……イヤラシイ」

「怜、ちょっと黙ってろ」


 ていうか、怜のやつスマホで誰と話してるんだ?


 ……あ、そうか。


 俺は、イヤフォンを左耳につけなおす。


「ZOE、つながっているのか?」

「はい。千代田さんとともにSUVに乗り込み、札幌さっぽろへ向かってください」

「ちょっと待て! ハルは、ライナスたちは無事なのか?」

G2ジーツーANNEXアネックスによる特殊作戦が進行中。交戦こうせん状態にありますが、三人とも無事です」

「……よかった」


 ふと榛名が声をもらす。


 ……ああ、お前のおかげで、彼らは無事なんだ。


「通信は出来るのか?」

「作戦終了まで、通信は不可能です」


 ……彼らが生きている、そのことだけでいまは満足するべきだ。


 ――生きていれば、なんとかなるんだから。


 ただ、ZOEにはひと言、言ってやりたかった。


「ZOE、お前は――」


 そこで俺は、口をつぐんでしまう。


 もし、榛名の収束を前提とした作戦を、事前に俺が耳に入れていたとしたら?


 ――三七パーセントの確率に賭けようとしたことを事前に知っていたら?


 三パーセントだろうがなんだろうが、俺が身代わりになると言って、こいつの言うことをきかなかっただろう。


「緊急連絡。ゴーディアン・ノットの車両が、この位置へ向かっています」

「ゴーディアン・ノット? 特殊部隊じゃないのか?」

「KGB特殊部隊スペツナズの掩護えんごでうごいている、民兵みんぺいレベルの部隊です」


 ちくしょう。

 民兵レベルって言ったって、俺と榛名じゃどうにもならない。


「榛名、運転は……」

「……ごめん。磯野くん、わたしは」


 ……そうか。二年前の交通事故。

 左手と左足を不自由にしているのに、トラウマを抱えているに決まっている。


「ZOE、さっきの……真柄さんは、こっちにくる敵をおさえていないのか?」

「G2ANNEXは、特殊作戦に全リソースを集中させています」

「敵ってなに? もういいでしょ?」


 怜は、おびえて後ずさった。


「わたし、もう嫌だから! 三〇万円くれるって言うから来たけど、もういらないから! あとで振り込んでくれればいいから!」

「ちょっとまて! お前、警察官だろ? 警察官なら市民を助けろよ!」

「あんたコスプレって言ったじゃん! コスプレって言ったじゃん!」


 怜は混乱しているのか、車に戻らずにそのまま走って逃げようとする。

 と、怜の一〇メートル前方の電線がショートして切れて落ち、怜の行く手をはばんだ。


「ひいいいいいい!」


 怜の情けない悲鳴が、イヤフォンとともに響いた。


「……ZOE」

「千代田さんの行動予想から、強硬きょうこう手段を取りました」

「……ZOEさん、怜ちゃんに容赦ようしゃない」


 榛名がつぶやく。

 一方の怜は、その場でへたり込んで、わんわん泣き出した。


「もうやだよおおおお。おうち帰りたいよおおおお」

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