18-04 その、乳首透けないって

「え?」


 自販機に並ぶ飲み物の購入こうにゅうボタンが、グリーンへと点灯てんとうした。


「大丈夫なの?」

「ああ、おそらく」


 俺は、監視カメラを見てから答えた。


「榛名はなにを飲む?」

「じゃあね、」


 榛名は自販機のディスプレイに並べられている飲み物を見回して、


「ファンタグレープ!」


 自販機のまえのベンチで俺と榛名は二人、コーラとファンタグレープの長い一口目ひとくちめを口にした。


炭酸たんさんなのに、かなり飲めるな」

「喉渇いてたからね」

「榛名もファンタグレープなのな。あ、いや、オカけんがわの榛名とおなじって意味で」


「そりゃそうだよ。わたしだもん」

「いや、話し方とか、格好かっこうとか雰囲気ふんいきとか、やっぱりちがうからさ、」

「わたしだって、タンクトップ着たりするんだぜ」


 そう言う榛名は、オカ研の榛名のように、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


 瞬間、俺はコーラのペットボトルを取り落としそうになった。


 いま発した榛名の言いまわしは、オカ研側の記憶からすれば、ちょっとなつかしさが入るくらいの感動になるはずだった。


 ところが、上品じょうひんなお嬢様のギャップえみたいに、俺のこころをぶっ刺してえぐり取られた、そんな気分におそわれた。ヒリヒリするような、けれど、締めつけられるような、それでいてあたたかいこの気持ちはいったいなんだろう。あれ、萌えってもう死語しごだったっけ? いや、そんなのどうでもいい。


 ……いや、なんというんですか、こっちの榛名は、ふだんはちばちゃん的言いまわしも入っていて、それだけでも胸に刺さる感じな雰囲気なのに、いきなり「だぜ」とか言われたら、そのギャップで頭がくらくらしそうなくらいな、そんなツボどころじゃない可愛さなのだが。


 わかるかこのニュアンス。わかってほしい。


「だって、七月一四日から八月七日まで、わたしも二つの世界をしていたんだから」

「あ、そうか」


 あの大学ノートに書かれていた内容は、榛名もまた映研とオカ研の両方りょうほうの世界を渡り歩き、それを情報じょうほう共有きょうゆうするものだったんだ。それなら、彼女の記憶も二つあり、その振る舞い方にも、それぞれの記憶があるわけだから、違和感いわかんなく行えるってことだよな。


「だから、もう一人のわたし、オカルト研究会のある世界でのわたしの、どうしようもないくらいに元気にみせかけて頑張っちゃうのも、すごくわかっちゃって」


 父親をうしなってしまった世界の榛名の、長女としての立場。

 張り詰めた気持ちを隠しつづけ、ひたすらに明るく振る舞っていた彼女。いま見ているのと同じように、夕景のオレンジのなかで泣いた彼女の顔が脳裏のうりをかすめた。


「磯野くん?」

「いや、八月七日以降も、いろいろあってな」

「……そうだよね」


 うなずいた彼女もまた、すこし寂しそうな顔になった。

 たぶん、俺がこの子についての八月七日以前を知らないことでいだく寂しさとおなじ気持ちになったのかもしれない。


 あ、そういえば、


「たしか、むこうの榛名は」

「ん?」

「ブラトップって言ってたな」

「……へ?」

「その、乳首けないって」

「ちょっと! たしかに言うけど! あの子は言うし、わたしもオカ研では似たようなことは言った記憶はあるけど!」




 現状最優先さいゆうせんで知ってこくべきことについて、まずは俺から榛名に伝えることになった。


 まずは榛名と同じ容姿のハル――HALハル・03ゼロスリーは味方だということ。

 榛名にとっての命の恩人おんじんである電話の主は、ZOEと呼ばれる人工じんこう知能ちのうで、ハルもまた、ZOEとともに行動するバイオロイド・クローンであること。彼女たちを作ったアンドリュー・ライナスという米国人とともに、榛名を保護するために手を組んだこと。


 彼らは、俺たち二人をもとの世界へ戻すことが目的であること。


「そのハルっていう子は、なんで、わたしの遺伝子いでんしだったの?」


「この世界が生まれるきっかけが、俺と榛名の二人によるものだったらしい。俺たちが世界の歪みを引き起こし、そこから俺たちの世界とオカ研世界の情報の道が出来て、この世界へと流れ込むことで世界が出来上がった、とライナスは言っていた」

「わたしたちが、この世界を生み出した?」

「ああ。そのきっかけも、やっぱり榛名がさっき言っていた「灰色はいいろの世界」、俺は「いろうすい世界」と呼んでいるが、あの世界に接触するには、俺か、榛名の遺伝子を持つ人間が必要だったらしい」

「わたしね、この世界にはじめてきた夜に、あの人――ハル……さんに会っていて、けれど、同じわたしだし、ドッペルゲンガーだと思ってしまって、怖くて彼女から逃げてしまって――」

「それは仕方ないよ。わからなければ俺でもそうする。けど、彼女は俺たちの味方だ。それは覚えておいてほしい。あと、いちばん重要なことがある。榛名は、いままで何度、この世界で命を失った?」

「……四回。海でおぼれたのが三回と、さっきの駅で一回」


 そこまで言った榛名は、納得したようにうなずいた。


「あのとき、ハルさんは、わたしが死ぬのを止めたよね。それまでは、死んでも生き返るんだから、おじいちゃんを助けるためなら命を捨ててしまおうとしたけれど、」

「ああ、それが出来る回数には上限じょうげんがあるらしい」

「やっぱり……そう、なんだ」

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