17-08 いまは、その名前だけわかれば大丈夫

 俺たちは、えることのない車の流れへと落ちていく。

 はたから見れば投身とうしん自殺のような、往来の激しい車道しゃどうへと落下していくその「時」。まるで相対性そうたいせいともなったかのような、時間が引き伸ばされた感覚に襲われた。


 突如とつじょ、大きなシルエットが目のまえに現れ、スローモーションとなっていた時間は、一秒における一秒の間隔かんかくへと収縮しゅうしゅくしていった。トラックの荷台にだいのダークグリーンのシートが視界を埋めるのがわかるのと同時に、張られた布の鈍い感触が全身を包み込む。


 痛みを生むことの無いやわらかな衝撃に安堵した。

 布の波を掻き分け、左手の先にいる榛名を見る。


「怪我は無いか?」


 声にしたあとに、走行中のするどい風が、俺の発した音をかき消していることに気づく。しかし、俺を見つめる榛名は、大丈夫、というようにうなずいて見せた。


 さっきまで俺たちがいた高架、そして、新東京駅が離れていく。

 そうだ、ハルは、


「ZOE! ハルは無事なのか?」

「HAL03は無力化され、実行部隊に回収かいしゅうされました」


 ……回収。

 左耳のイヤフォンからZOEの声が直に響く。


「現在、ライナス博士が作戦本部長に掛け合い、HAL03の引き渡しについて交渉中です」


 そこまで聞いて、やっと肩の力が抜けた。


 さすがに一安心というわけではない。

 それでも、ハルが警視庁の手に渡る可能性は消えた。そのうえ、ライナスによって引き渡しの交渉が出来るというのだ。あの地獄に置き去りにしてしまったことから比べれば、はるかにマシだ。


「無事、引き渡されるんだろうな」

「CIA作戦副部長のウォルター・ナッシュ氏は反対するでしょうが、作戦本部長ロバート・ウェッブ氏とライナス博士は、懇意こんい間柄あいだがらにあります。なにかしら取引はあるでしょうが、ウェッブ氏は非正規作戦が行われた関係上、強くは出られないでしょう。作戦本部長権限けんげんにより、解放される可能性が高いです」


 そこまで言ったZOEは、現在、それよりも緊急度の高い事態が進行中です、と付け加えた。


「警視庁が現在、お二人を乗せたその貨物かもつ自動車の追跡、および、検問けんもんの設置に動き出しております。江戸川えどがわから北上中の千葉ちばけんの北部、茨城いばらき県、栃木とちぎ県の県境けんざかいへの検問の設置に各県警けんけいと連携して動き出しました」

「……それって、陸路りくろを完全に封鎖するってことか」

「現在、お二人がいる貨物自動車のIDから、位置情報がリアルタイムで警視庁側に送られております。その情報にもとづき、警察は追跡を開始しています。お二方には、その貨物自動車から早急さっきゅうに降りていただく必要があります」

「わかった。降りるタイミングを指示してくれ」

「三分後に、貨物自動車は、信号の前で走行を停止します。その三〇秒のあいだに、荷台から降りてください。一分後に乗用車が到着しますので、それに乗ってください」

「そのあとは?」

「状況に応じて、数度乗り換えが必要になる可能性があります。その際、通信を一度とめる必要があるため、判断に注意してください」

「通信を止める?」

「NSAにより、この会話が傍受ぼうじゅされる危険性が発生しております。新東京駅の件で、私たちとCIAとの信頼関係に致命ちめい的な亀裂きれつが生じました。この先、私の通信および活動について、より踏み込んだ監視がなされるでしょう」


 ZOEはたんたんと言う。


 いまさらな感じだ。

 実行部隊の動きだって、ZOEによるいままでの行動だって、お互いにだまし合いだっただろう。


「てことは、ZOEからの通信は無いが、サポートはつづくわけだな?」

「はい。車両の乗り換えの際、ID変更をリアルタイムで行うことで、警視庁、CIAおよびNSAの追跡をきます」

「逃げなきゃいけないことはわかっているが、そんなことをして、CIA側との関係はどうなるんだ?」

「千葉県内にゴーディアン・ノットのハッキング・キャンプがあります。そこを経由して、私たちの正体を偽装ぎそうしますのでご安心を」

「ハッキング・キャンプ?」

「ハッカー基地きちのことです。駅構内でのジャミングは、そのハッキングキャンプから仕掛けられた可能性があります」


 ZOEにも防ぎ切れない妨害ぼうがいをしてくる人工じんこう知能ちのう、だったよな。そこが拠点になっていたんだろうか。


 というか、そもそも追跡をまくのにゴーディアン・ノットのせいにするっていうのも笑える話ではない。人の生き死にがかかっているとはいえ、なんとも乱暴な話だ。


「それでは磯野さん、幸運を」


 ZOEとの通信が切れた。


 幸運を、か。


 AIが使うような言葉ではないな、と思いつつも、その言葉を発するZOEの言い方に、わずかにやさしさが感じられた気がした。ライナスが言っていたとおり、ハルとのつながりのなかで、人との関わり方を学んでいるのだろうか。




 三分後、ZOEの言うとおり、トラックは赤信号によって停車した。

 そのタイミングに合わせて、榛名を連れてトラックを降りた。一分後に回されてきたメタリックブルーの乗用車に俺たちは乗り込む。


「あの電話の人、ゾーイって言うの?」

「ああ。なんて説明すればいいか――」

「ううん。いまは、その名前だけわかれば大丈夫」


 あの人は、命の恩人だから、と、榛名はつけ加えた。

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