16-05 我々の目論見は露見してはならない

 ソ連がいまだにある世界?


 そんな世界に俺はいるのか。

 なるほど、この世界が近未来的である根拠こんきょの一つなのかもしれない。東西冷戦による軍拡ぐんかく競争きょうそう皮肉ひにくにも科学技術の発展はってんにつながったと言われている。この世界が俺たちの世界よりも数歩先に進んでいる理由は、ライナスのいう冷戦の継続けいぞくも大いに影響しているのだろう。


「KGB――ソ連国家保安委員会こっかほあんいいんかい。彼らが最大の障害しょうがいとなるだろう。ZOEがいる分、現状はまだ我々が有利だが、八月七日の新東京駅での彼らのジャミングは、短時間ではあったがZOEの防壁ぼうへきを潜り抜け成功させられてしまった。あれはおそらく、ZOEと同規模どうきぼのソ連で開発中と思われるASI――人工超知能じんこうちょうちのうによるものだと考えられる」

「ってことは、俺たちは八月七日にKGBに追われていたってことですか?」

「ええ、わたしを撃ったあのロシア系は、KGB諜報員です」


 運転席からハルが答えた。


 ハルを撃ち、追ってきたあの大男たちがKGB……。


 俺は震え上がった。


 ソ連のKGB。

 八〇年代のスパイ映画でしか知らないが、だからこそ劇中げきちゅう凶悪きょうあく印象いんしょうしか浮かばない。そりゃあ、命が一つ二つあっても足りないわけだ。しかも日本の諜報機関ってなんだよ。そんなヤツらに追われながら、霧島榛名を探し出さなきゃいけないのか。


 いや、こっちにだってZOE、そしてハルがいる。けれど、


「合衆国側からのバックアップは、ほかにはないんですか?」

「我々はCIAと連携れんけいしている。さきほどいたあの屋敷も、もとはCIAのセーフハウスだ。我々はおおやけには合衆国に保護され、政府の直轄ちょっかつ機関であるCIAによる護衛ごえいがついている。が、ZOEの計画として動く際、真の味方は、ここにいる三人と、待機たいきしている残り二体のバイオロイド・クローンHALしかいない。さらに、さきほども言ったとおり、我々の目論見もくろみ露見ろけんしてはならない」


 ここでアメリカまで敵に回したら、計画どころか生き残ることすら不可能ふかのうだろう。けれど、これからアメリカを敵に回すことを、俺たちはやろうとしているってことか。


「このさきは一つの失敗も許されない。だからこそ、どんなに納得のいかない、理不尽な決断があっても、


 ――我々を信頼しんらいしてほしい」


 ライナスは、右手を差し出してきた。


 一つの過ちがすべてを台無だいなしにしてしまう。

 最悪、ここにいる全員が命を落とす。そのうえで、この鷲鼻わしばなの男は、俺に命をあずける、と言っている。


 俺は目を閉じて、この世界に来てから起きた出来事、知った事実、それをもう一度、心の中で反芻はんすうした。まぶたをひらくと、バックミラー越しにハルと目があった。


 彼女の、わずかに不安げに見つめるその瞳に、俺はうなずき返した。そして、


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 そう言って、ライナスの手を握り返した。




 八月一七日一二時三七分。横須賀米軍基地に到着した。

 二台のSUVは正面ゲートを通り、敷地しきち内にある駐車場で車を止めた。車を降りると、正午の蒸し暑い空気と潮風しおかぜのにおいがただよっていた。


 俺たちを迎えるように、二台の乗用車と数名のスーツの男、そして、車椅子の人影ひとかげが見えた。


「女の子?」


 そこにいたのは、ロングスカートであしを隠し、半袖はんそでの白いブラウスを身にまとったボブヘアの少女だった。


 見覚えがあるなんてもんじゃない、俺は、彼女のことをよく知っている。


「……はじめまして、あなたが、磯野さんですね?」


 彼女は、まるで初対面しょたいめんのように俺の名前を呼んだ。


「お前は……いや、きみは、


 ――霧島……千葉ちは?」


「彼女は、この世界の霧島千葉さんです。お姉さんの霧島榛名さんとともに合衆国の保護下にあります」


 いつのまにか、となりにいたハルが答えた。


「……合衆国の保護下」

「わたしの姉についてはご存知ですよね。となりにいるHALが、姉の遺伝子から作られたことも」

「ああ、三年前に交通事故にあったこともライナスから聞いた」

「わたしの足は、そのときの事故によるものです」


 並行世界とはいっても、どの世界でも事故にあってしまうのは、彼女たち姉妹の運命なのかもしれない。……いや、簡単に運命などと言っていいものではないだろう。けれども、もし本当に運命なのだとしたら、それは、あまりにも理不尽だ。


「千葉……さん、きみはなぜ同行どうこうしているんだ?」

「ライナス博士からうかがったこの世界に関するお話から……と言いたいところですが、姉に最新治療さいしんちりょうを受けさせるために協力している、というのが本音ほんねです」


 ライナスを見ると、彼は申し訳なさそうに俺を見た。


「イソノさんの世界のキリシマ・ハルナさんを救出するためだ。そのためには、まずイソノさん、もしくはチハさんによる彼女への説得せっとくが必要になる。チハさんは、きみがハルナさんへの説得に失敗した際の、言い方は悪いが、いわゆる保険ほけんだ」

「霧島榛名への説得、ですか?」

「わたしは八月七日に、霧島榛名さんと一度接触しているんです」


 さし挟んだハルの言葉に、俺は混乱した。


「八月七日に、榛名と会っている?」

「はい。あの日、プラットホームに磯野さんと霧島榛名さんが同時にいた時間帯が存在していました」

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