10-04 4、3、2、1――

「入れ替わり時間になったら、磯野君は「色の薄い世界」を経由けいゆするはずだ。そこから映研世界に戻るまでのあいだに、数秒のがあるだろう。それを君のスマートフォンのストップウォッチアプリではかってほしい。あ、君が愛用あいようしているらしいG-SHOCKでも構わないが」


 三馬さんは俺の左手首を指差した。


「色の薄い世界では確か、スマートフォンを操作そうさしたんだよね?」

「ええ。最初に訪れたとき、時空のおっさん的存在との接触のときも動作どうさしていました」

「つまり色の薄い世界にあるものは止まっているが――正確にはわずかに動いているだろうが――、こちらから持ち込んだものは動くってことだ。よし。映研世界に入れ替わったら、そのストップウォッチのあたいは確認出来ない可能性が高い。なので、ギリギリまでストップウォッチから目を離さず、異変いへんに気づいたら……「はい」とひと言。出来れば大きな声で」

「けど、入れ替わったらそんなことをしても――」

「当然、映研世界の私たちも、同じことを考えて待ち構えていることが前提だよ」


 なるほど。

 俺はうなずくと、G-SHOCKをストップウォッチモードに切り替えた。


 三馬さんと怜はそれぞれ時間を確認して、そろそろあと六〇秒となる入れ替わり時間――二一時四分五七秒を待つ。


「緊張してきたね」


 三馬さんの言葉に、無言でうなずきながら千代田怜の顔がこわばった。


「30秒」


 ……映研に戻ればそこからが本番だ。

 ちばちゃんの大学ノートをたよりに、この一連の事態の原因を突き止め、霧島榛名をあの一人きりの世界から救い出す。……ああ、かならず。


「10秒、9、8……」


 俺はG-SHOCKのストップウォッチ画面に指をそえる。


「4、3、2、1――」


 ――世界が歪む。


 ストップウォッチの開始ボタンをタップ。

 数字が回転を始めた。


 浮遊感ふゆうかん。そして――


 周囲がパラパラ漫画のように切り替わる。

 霧島榛名きりしまはるなの手をつかんだときと同じように。思わずG-SHOCKから目を離し顔をあげると、景色の移り変わりが前よりもゆっくりとハッキリと見えた。そして、その景色はすべて、の場面であることに気づく。それも、


 ――八月七日からいままでの、限定げんていされた期間の夏の景色だった。


 まるでその景色が、扉とびらのように、

 いくつも、いくつも、またたく間に過ぎ去っていく。


 つぎの瞬間、が、通り抜けていく。


「……おい!」


 突然のできごとに、俺はおくれて声に出る。

 俺が、すれちがったのは、


 ――「もう一人の俺」だった。


 もう一人の俺は、俺のかけた声とともに虚空こくう彼方かなたに消えていった。


 そうか……あいつが。


 見ていたものが一瞬にして、灰色の世界へと変わった。

 色の薄い世界。プラットホーム。


 俺はすぐさまG-SHOCKに示された時間を確認する。


 ――00:01:45。


「やはり、この空間のときは、止まっているのか」


 ……二秒にも満たないそのカウントは静止していた。

 つまり、数十秒、いや、二〇秒近くに感じられていた、あの無数の景色の空間で経過けいかした時間はたったの一秒半だってことか。


 世界は切り替わらない。


 俺は、ベンチから立ち上がった。

 プラットホームの先にある巨大な窓。そこへと向かう俺の足音が、すべてを響かせていく。わずかな時間でもいい。この世界のことを少しでも知ることが――


 景色が歪む。


 ……そうか。


「はい!」


 切り替わりと同時に目一杯めいっぱい声を上げた。

 それに応えるように、カチッという音が二つ響く。


「二一時四分五七秒」

「二一時四分五七秒です。ぴったりですね」


 目の前には、柳井さんと竹内千尋。


 入れ替わり前とおなじ、二一時四分五七秒。

 つまり、世界が切り替わっている間のあの時間は、現在世界には反映されないのか。


「あれ、三馬さんは? 二人だけですか?」

「ああ、ちゃんと入れ替われたんだな。まずは部室に戻ろう」


 周囲を見回すと、文化棟玄関前に俺たち三人はいた。

 車道しゃどうから聴こえる車の流れる音。夏の夜虫よむしき声。さきを行く二人の足音。現実をたしかめながら、俺は柳井さんと竹内千尋のうしろにつづいた。


「あの、ここは映研世界ですよね?」

「そうだ。三馬は時間が取れなくてな。まずは部室に急ごう」




 八月十六日 二一時一〇分。


「ここまでくれば安全だろう」


 映研部室に到着してから、柳井さんが言った。


「説明もなしにすまない。磯野のドッペルゲンガーとの遭遇を避けることが第一だった」

「こっちの世界でもドッペルゲンガーが出たんですか?」

「オカ研世界でも出現したのか」


 映研世界でも起こったドッペルゲンガーの出現。

 だが、大学ノートを使い出したのは映研世界は二日遅れのはずだ。こっちの世界に出現するには少し早すぎないか?


「なんで俺たち、文化棟玄関前にいたんですか?」

「ドッペルゲンガーの存在を竹内が見つけてな。そこからすぐに、入れ替わり前の磯野と連絡を取ったんだ。だが、、例の入れ替わり時間、二一時四分五七秒には間に合わず、やむを得ず玄関前で、というわけだ」


 こっちの世界だと、ドッペルゲンガーへの対応がちがうんだな。

 それにしても、この時間までもう一人の俺はなにをしてたんだ?


「そういえば、三馬さんは?」

「三馬は今回時間が取れなくてな。入れ替わり時間の計測を頼まれていた。三馬の言うとおり、オカ研世界でも同じことをしていたんだな。世界の切り替わりのあいだ、色の薄い世界の滞在時間も計れたのか?」

「……それが、ストップウォッチ自体じたいが動かなくなってしまって。あの世界は前に千尋が言ったみたいに、時間が止まっている世界なのかもしれません」

「え、僕はそんなこと言ってないよ?」


 竹内千尋は首をかしげたが「ああ、オカ研世界の僕が言ったんだね」と一人納得した。


 ……ああ、そうだったか。

 なんだか頭がこんがらがるな。


「柳井さん、一ついいですか?」

「なんだ?」

「今回の入れ替わりで、もう一人の俺とすれ違ったんです」


 俺の言葉に柳井さんと千尋は顔を見合わせた。

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