02-09 いや、そうじゃなくてだな

 さて、これからどうしたものか。


 頼りにしていたオカ研の面子めんつも真柄先生も、結局解決の糸口にはならなかったし。ただ、このまま夢の中での生活が続いてしまうのはどうにかして避けたい。


「磯野、そろそろわたしたちも部室出るけど」


 気がつくと、帰り支度じたくを終えている怜と千尋が俺を見ていた。


「あ、ああ。俺も出るわ」

「磯野、やっぱりまだどっかおかしいんじゃないの?」

「いや、大丈夫」


 とりあえずこのまま帰宅するしかないか。




「まだ考えてるのかい?」

「え? ああ」


 南門を出て平岸街道ひらぎしかいどうを歩いていると千尋が気にかけてくる。こいつはなにもしていないときだけ、他人に対して気遣きづかいできるヤツだ。


「診断がなんであれ、それだけ現実味のある――そう文字どおりの明晰夢だったんだよ。ショックだろうけど、二、三日すれば気分も戻るよ」


 千尋よ、なぐめてくれてるのはわかるが、まだその明晰夢の最中なんだ。


「そうだよ。磯野は大変かもしれないけど、わたしたちから見たら面白い体験なんだからさ。この世知辛せちがらい人生でそんな楽しい体験そうそうないよ」


 珍しく怜も励ましてくるが、まとはずれというか……、そもそも世知辛いって……お前そんなに人生辛いのか?


「いや、そうじゃなくてだな……」

「とりあえず学祭用がくさいようにネタができたんだしいいじゃん。いまのうちにちゃんとメモしておいて記事にできるようにしときなよ。去年みたいに焼きそば売るだけじゃつまんないし」


 怜は手を振りながら去って行った。怜のうしろ姿を見ながらふと些細ささいなことに気づく。


「そういえばこの時間って、怜のやつバイトじゃなかったか?」

「言われてみればそうだね。今日のこともあったし磯野を心配して残ってたんじゃない?」


 いやいや、怜にそんな可愛げがあるわけないだろう。あったら俺だってここ一年でそれなりに意識してるわ。……って、俺の夢の中なんだからこれは俺の怜に対する願望がんぼうとかそういうことか? マジであり得ねえ……。


 怜といいちばちゃんといい、俺にとってのこの世界は、現実よりもやさしい世界なのかもしれないな。




 自宅には帰ってきたが、特になにごともなく時間が過ぎていった。


 午後十時に名犬ジョンの散歩に出かけたのだが、例の夢遊病の末に目が覚めた横断歩道のまえで、ふと立ち止まった。


 ――この世界が夢だったとして、昨晩の夢遊病のときも実は明晰夢をみていたのでは? 


 いや、あのあと自宅に帰って布団をかぶるところまで、しっかりと覚えていたんだ。そうだよ、あのあとちゃんと寝るところまで覚えていたんだから、あれは夢じゃないだろう。


 ……本当にそうか? 夢のなかの夢なんて普通にあるだろう。そもそも夢遊病という状況自体がありえないことだ。いままで夢遊病なんてものにかかったことが無いし、もしわずらってしまったとしたなら、あまりにも唐突とうとつ過ぎる。


 いままだ目覚めない明晰夢のなかにあのときもいた、と考えるほうが理にかなっているじゃないか。あと、あのとき感じた見られているような気配けはい、あれだって――


 突然、プスーっという妙な音ととともに異臭いしゅうが鼻をかすめた。


「なんだこれは! 毒ガスか!?」


 いや、そんなものではない、これは……、


「……ジョン、お前か?」


 ジョンは俺の目を見たあと、俺じゃないよ、と目をそらした。


 ……コイツ、屁をこきやがった。




 ジョンの散歩は、その後なにごともなく無事終わった。


 いまだにこの夢の世界から目覚めることなく、午後一〇時半を回ってしまった。


 今日一日いろいろあったからだろうか、夢のなかとはいえ、いつにも増して眠気ねむけがある。


 夢のなかでさらに夢を見るとどうなるかわからない。

 この得体のしれない状況で眠りにつくのは、ふだんたまに見るような夢のなかの夢とは根本的にちがう気がする。が、そもそもこの夢から覚める方法がわからないのだ。


 それなら、もういっそのこと寝てしまってもいいのかもしれない。夢の世界から抜け出せるかもしれないし、試してないことはとことん試したほうがいいだろう。もうこれ以上突き詰めて考えてしまうと、夢のゲシュタルト崩壊を味わってしまいそうな気分だし。


 ……ああ、眠い。眠気に耐えられなくなってきた。


 と、そのまえに。俺はスマートフォンを手にとってSNSを立ち上げた。


 なんでSNSなのかというと、明日目が覚めたときにこの夢から抜け出せているかどうかを確認できるようにするためだ。いまいる磯野家はかわりばえしないためどっちの世界にいるのかわからない。だが、明日の朝目覚めたときにSNSに誰がいるか確認できれば、どちらの世界にいるのかすぐに確かめられるのだ。……なかなかかしこい。えらいぞ俺。


 つながってるやつは微妙びみょうに違っているはずだが、基本的には榛名とちばちゃんがいるかどうかを確かめられればいいよな。……えっと、ちばちゃんのアイコンは飼ってるゼニガメの写真で、榛名のはたしか……羊羹ようかん


 腹を冷やさないようタオルケットだけかけて横になる。


 思えば、この世界はこれはこれで居心地は悪くなかった。サークルの面子は現実の世界と同じだし、それにあの姉妹が加わっていることで、映研とは違ったにぎやかさがオカ研にはあった。


 もし現実の世界に戻れたとしたら、内気うちきなほうのちばちゃんと会う機会もあるだろうし、姉がいるか訊いてみるのもいいかもしれないな。




 スズメの鳴き声が聞こえる。カーテンの隙間すきまから夏の日差ひざしが顔面に直撃ちょくげきしていた。って――


 熱い! 非常にまぶしい! 死んでしまう!


 ああ……もう朝か。六時五四分? まだ早い。日差しを回避して二度寝だ二度寝。あと数時間は……。


「うおおおお!!」


 俺がね起きたことで、いま時刻を確認していたはずのスマホが蹴とばしたタオルケットのなかに飛び込んでいった。


「この大バカやろう!」


 俺はタオルケットを必死ひっしにまさぐった。

 目覚めてそうそうなにやってるんだよ俺は。


 いつのまにか、ベッドの下に落ち込んでいたスマホをサルベージし、ホームボタンからすみやかにSNSのアイコンをタップする。


「ない!」


 思わず俺はさけんだ。

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