02-07 気を悪くしないで聞いてくれ

 真柄先生から受け取った問診票への記入が終わると、教室で受診となった。そのあいだ柳井さんたち三人は廊下で待つことになった。


「頑張って下さいね!」


 ちばちゃんがはげますように俺に手を振った。思わず手を振り返す俺。ありがとう。なにを頑張ればいいのかわからないけど頑張るよ、ちばちゃん。


 そしてちばちゃんとは対照的たいしょうてきにニヤニヤしながら手を振る姉。うん。見てると無性むしょうに腹が立ってくるな。




 教室には俺と真柄まがら先生の二人。真柄先生は、表情を変えずに問診票をザッと見てから顔をあげた。


「ここにも書かれているけど、よくねむれているみたいだね」

「いつも七時間はてる思います。夏休みなんで、下手すると昼近くまで寝てるときもありますけどね」

「わかるよ。私も学生時代は似たようなものだった」と真柄先生は笑った。

「ちゃんと夜に寝て朝に起きられているのはとても良いことだよ。さて磯野君、どんな症状なのか話してもらってもいいかい?」


 この世界が夢であろうと、対面している真柄先生もふくめ世界とその住人たちは、非常にリアルだ。

 だとすれば、目の前にいる人物は、研究者とはいえ人を見ることが商売なわけで、やはりそれなりの観察眼があるとみたほうがいい。


 つまり嘘をついたところで見破られるのがオチだ。


 それなら、この専門家にすべてを打ち明けて、俺のおかしな状況に対する打開策だかいさくを探ってもらったほうが良いのではないか?


 そもそもオカ研の連中に相談したのも、知り合い以外に俺の話を聞いてくれるあてなどないだろう、といううしろ向きな理由からだったじゃないか。それなら夢の中であれ、精神医学の専門家に相談できるのだから、これはむしろチャンスととらえるべきだ。


 とは言っても、現実世界である映研の世界を夢にしたうえでの相談なわけだが。


「とても長い時間、夢を見たんですが、その夢の中の世界や人々が現実世界ととても似ていて、けど、所属しているサークルなどところどころ違うところがあるんです」


 俺は一度言葉を止めて、相手の反応をうかがった。が、真柄先生は、眉一つ動かさずに話を聞いていた。


「……えっとですね、それだけなら珍しいとはいっても、普通の夢と大差たいさはないと思うんです。けれど、とても妙なのが、その夢の中の世界の、生まれてからの記憶がよみがえってしまったんです」

「夢のなかの生まれてからの記憶? それははっきりと覚えているのかい?」

「はい。目覚めてからいまも、そのときの夢の人生の記憶がいまだに残っているんです」

「どれくらいはっきりと覚えているんだい?」

「いままで生きてきた記憶に混乱が起こってしまうくらいに鮮明に、ですね」


 こんな感じで、俺の身に起こっている状況と、例の色の薄い世界の夢も含めて真柄先生に話した。


 真柄先生は、最後まで辛抱強しんぼうづよく聞いてくれた。とはいえ、真柄先生が話を理解してくれたとに受けてはいけないだろう。


 それでも、自分が抱えている解決しないモヤモヤを他人に話したことで、胸のつかえのようなものが取れたのか、すこし気分が楽になった。もしかしたら、いまのおかしな状況がそれなりにストレスになっていたのかもしれない。


 ひととおり話し終わったところで、先生は「なるほど」とうなずき、考え込むように押し黙った。


 この無言のは、正直、居心地いごこちの良いものではなかった。それも仕方がない。こんな話、している俺でさえ頭がおかしいと思うのだから。


「いまいる世界を夢だと思っているでしょ」


 きょかれてなにも言えない俺に、先生は苦笑いを浮かべた。


「気を悪くしないで聞いてくれ。磯野君の話の内容、それ自体は記憶錯誤さくごうたがうものなんだ。いわゆる統合失調症とうごうしっちょうしょうの症状によくある記憶障害しょうがいの一種でね」


 ……記憶障害?


「磯野君にあるもう一つの記憶っていうのは、実は実際経験しているものだが、なんらかの理由で脳が勝手に内容をかえてしまったんだと思う。それがにせの記憶としてもう一つの記憶があるように錯覚さっかくしてしまうってことだ」


 いや、それはどうなんだ? 話としては筋が通っているけど、俺自身、その代替されるはずのもとの記憶なんて身に覚えがない……のだが、錯覚だとしたら、それすらたしかめようがない。


「というのも、きみの話には実際に経験したような現実味があるし、演技にも見えないんだ。つまり、きみは本当のことだと信じているわけだね。だけど話の内容――人生の記憶が二つあるってことは、実際には起こり得ない。だとしたら、磯野君の脳が過去に経験した内容を、勝手に改変かいへんして記憶している可能性が高いってわけだ」


 ぐうの音も出ない。人生の記憶が二つあるってことは、実際には起こり得ない、などと言われてしまえば、もうそれまでだ。


「統合失調症といってもいろいろあるけど、今回のような記憶障害は過去にトラウマがあるとか、ストレスによる追い込まれかたが過度かどであったりする場合なんだけどね」


 ストレス……か。それほどのストレスを俺は抱えているのだろうか?


「それとは別に一つだけ引っかかることがある」

「引っかかることですか?」


「磯野君と接して感じたのは、健常者けんじょうしゃと話しているのと同じなんだよ。内容はともかく磯野君の話に支離滅裂しりめつれつなところも見られないし、脱線だっせんすることもない。しっかりと話せている。これは疾患しっかんを抱えていればあり得ないことだ。それに統合失調症の前駆症状ぜんくしょうじょうには必ず不眠ふみんがあるものなんだが、きみをる限り健康そのものにしか見えない」


 あ、だから最初に睡眠時間のことを訊かれたのか。


「こうなると詐病さびょうを疑うことになるんだけど、今回の件で統合失調症と診断されるためにきみがわざわざ嘘をつく必要はないだろう? ただ不思議なのは嘘をついているようには見えないのに、きみの話の内容そのものには現実味がないってことだ」

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