黄泉路でマリアージュ
篠岡遼佳
偽物の夢から、真実の死まで
ガヤガヤと、その場所はいつも騒がしい。
ぱっと見はショッピングモールのフードコートのようだ。
白いテーブルに、白い椅子。汗をかいたドリンクに、アイス屋やたこ焼き屋の匂い。
友達同士や親子連れも多いし、一人でゲームをしているやつもいる。
誰も飢えておらず、誰も怪我をしていなくて、誰も病んでいない。
彼らの話題はとりとめもなく、しかしただただ長く、そこにいる人たちは話している。
これは未練である。それでいて恐怖の姿でもある。
なぜなら、ここは、黄泉路の途中だからだ。
あなたが思っているほど、黄泉路というのは短くない。
こうして休憩地点が最後に設けられているのは、それまで土壁の薄暗い洞窟を下って下ってずっと下ってきたという、ご褒美のようなものだろう。
なぜそんなことを俺が知っているのか。
それは、俺が「死神」だからである。
黄泉路の最後の最後、このフードコートで踏ん切りを付けたものたちの、最期を見届ける役だ。
渡し賃も、冥府の川もここにはない。もちろん花畑で手を振るじいさんばあさんもいない。
死は無である。
俺は俺の仕事の後、何が起こるか全く知らない。
ここから先、天国があるのか地獄があるのか、輪廻転生があるのかは誰にもわからない。
死後の世界の、更に向こう側へ行く人たちを、大体三年は見てきた。ただただ暗い黄泉路と違って、このフードコートには朝も昼も夜もある。
俺がなぜ死神をやっているかというと、「死んですっきりした」という部類の人間だからだ。
――生きている間は、本当につらかった。死ぬことも怖かった。死んでもっと苦しい思いをすることになったらどうすればいい? けれどそれ以上に、生きていく気力も生に留めるものもなかった。
そして、死んでみたらこの有様である。ラッキーと言えばラッキーなのだろう。
本当に、死んでよかったと心から思った。あんな生き方、二度とごめんだ。
先代の死神から教えてもらったのは、たったひとつの約束事だけだった。
「一分間、話を聞いてやること」
それは、覚悟を決めて死の先へ行こうとする人の最後の一言。
ただそれを聞くのが死神の仕事だ。
このルールは、なぜかすべての人が知っていて、俺はいつもそんなひとたちの言葉を聞いている。
「――最後まで友達でいてくれてありがとう! 大好きでした」
「お前らはまだこっちに来るなよ」
「ああ、あの時違う道を歩いていたら……」
「最低、最低よ、殺されるくらいならあんなことしなかった」
死は理不尽でもある。
人間もまた理不尽だ。
「わたしたち、やっと会えました。ずいぶん待ったけれど、信じて待っていてよかった」
「ここに来て、君に会えるなんて。一緒に向こう側へ行けるのも、とてもうれしい」
「この人と一緒に行くことにします。ここで知り合ったんですけどね。気が合うっていうか……死んでから会える人もいるんですね」
恋愛話は出会いと別れが一番盛り上がると、生前聞いたことがある。
やはり最高のエンタテインメントだな。俺はそう思う。
――さあ、次は誰だ?
オレンジジュースを持ったまま、ブレザーの制服を着た少女が、こちらへやってきた。
飲み物が持ち込めないわけではないので、俺は特に何も言わない。地べたに座ったまま、彼女を見上げる。お、割とかわいい。
「わたしも、死ぬことですっきりしたタイプの人間です。次の死神は私なんだそうです。ええと、いろいろ教えて下さい」
「教える? 何を?」
俺は意地悪く聞いてみた。
「……うーん?」
彼女は小首を傾げ、くすっと笑った。お、笑うと更にかわいい。
「確かにそうですね、ここでお話を聞いているようだったので、それに何かルールがあるのかなって思って」
「ルールならある。『一分間、話を聞いてやること』だ」
「たった一分なんですね」
「結構長いぜ。告白するなら一言ですむしな」
俺も笑って見せた。
「告白する人って多いんですか?」
「そうだな、好きですというやつは少ないけど、後悔とか罪とか、そういう告白ばっかりだ」
「そんな話聞いて、大変じゃないんですか?」
「基本的に他人だからな。その一瞬しか会わないから、なんにも感想が出ない。ていうか、感想なんて出したくない。何も考えずにいつもここにいる」
「そうですか」
彼女は一度俯き、ジュースを両手で持ちながら、俺に言った。
「――――あなたも、”生きるなんて二度とごめんだ”と思っているんですね」
「ああ、そうだ。お前もそうか。俺より若いのにな」
「年齢は関係ありません、何を重視し、何を求め、何を重要とするか、それが大事ではないでしょうか」
「そこまでわかってて?」
「ええ、わかってて、私は二度と生きたくない。ここでただ時に似たものを浪費し、他人の人生の終焉を見ていたい」
「偽物でも?」
「私の偽りだらけの人生はもう捨て去ってしまったので、ここにあるのは真実だけです」
「そうか……」
俺は頬杖をついて、笑った。
「死神が二人いても、いいとおもわないか?」
「ええ、私もそう思っていたところです」
彼女はジュースを飲み、続けた。
「人生なんてもう要らないのに、誰かと話すこと、どうしようもない孤独、そういうものにまだ惑わされてる。
――だからここにいられる。だから私たちは死神なんですね」
「きっとそうなんだろうな」
俺は、もう少し彼女と喋りたいと思っている。
生きることを放棄したというのに、この理不尽だ。
毎日毎時間、誰かの人生をただ聞き流して、一人きりの俺は消化できず、片付けていた。
だが、これからは二人で話し合うことが、出来るかもしれない。
渡し賃も要らない、冥府の川もない、花畑もない、この行く先は無。
戻ることは永遠に許されない。
そんな黄泉路の果てに、俺は、「話したい人」と出会った。
黄泉路でマリアージュ 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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