フリーウェイ・キッド -Freeway Kid-

二条千河

1日目

●イワミザワSA(下り) 16:40


 閉店間際の茶屋SAで、遠くから来たのかいと女将に訊かれる。曰く、こんな時間にここらで一服しようなどと思うのは、これから通る道の怖さを知らないか、よほどの物好きか、どちらかだ――というわけだ。


「盗賊団が出るんだってな」


 狭上さがみの問いかけに、女将は首をすくめて、真っ黒な液体を紙の容器に注いで寄越した。


「おにいさん、悪いことは言わない。次の出口ICで降りたほうがいいよ」


 店の外には十人ほどの人影が屯していた。男も女も交じっていて、大抵は安全服を着ている。ヘルメットをしている者もいる。体格はいいが、目つきはよくない。女将の言う、よほどの物好きといったところか。めいめい手に紙コップを持ち、狭上と同じく煮詰まったコーヒーを飲んでいた。


 彼らも言うことは同じだった。無事に旅を続けたいのなら、日が暮れる前にさっさとこの高速道路ハイウェイを降りること。その後は一般道で目的地へ向かうか、あるいは明朝、日が昇ってから戻ってくるか。いずれにしてもこの先の道は、これからの時間、初心者が単独で通り抜けられるような生易しいところではない、と。


「親が危篤でも夜の高速ダーク・ハイには乗るなって、教習所で聞かされねかったかい」


 一団の中でも年長らしき男――と言っても狭上よりいくらか若い、せいぜい三十過ぎといったところだろう――が、少し怒っているような、あるいは嘲っているような、きつい北国訛りのある口調で言った。


「聞かされたよ。嫌と言うほど」

「だべ? 自分が死んだら元も子もねえ。まして、おめえ、あの車じゃなぁ」


 品のない笑い声が立つ。彼らの視線の先には、駐車場の隅にぽつりと停まっている、黒のコンバーチブルがあった。狭上の乗ってきた車だ。


 遠目に見ても傷みの目立つ車体に、みすぼらしく古びた幌。賊はおろか、強風から乗員を守ることすら覚束なく見える。


 ちなみに乗員のほうの出で立ちは着馴れたブラックジーンズにレザーのジャケットと、車よりはいくらかマシだが、物々しい安全服に比べれば、やはり少々心許ない。


 荒くれ者たちの車は、大型車用のスペースを占領するように停められていた。西日を浴びている貨物トラックは大小合わせて七台ばかり。コンテナに記された会社名はばらばらだが、互いの積荷を守るために組まれた運送隊キャラバンに相違なかった。


 都市部なら列車や飛行機輸送の便があるし、港町なら水路が使える。しかし地方の内陸部となれば、物流は未だに自動車に頼らざるをえなかった。


 となればもちろん、一般道による輸送だけではどうにもならない。ただでさえ長距離だというのに、大雨や雪が降れば通れなくなる峠道など、当てにならないからだ。


 とは言え、数十年前に無料化されて以来著しく荒廃したハイウェイの利用を、もはや大手の運送業者は引き受けようとしない。それで彼らのような命知らずが、高い代金と引き換えに、商品の運送を請け負うようになった。依頼する企業にしてみれば、平和な有料道路のころのほうが、かえって安上がりだったかもしれない。盗難に備えて商品にかけておく保険料も、馬鹿にはならないだろう。


 キャラバンの運転手たちは見た目こそ無頼だが、やはり専門業者らしく、それなりに考えて走っているらしかった。彼らも日が暮れ切るまでには、一般道へ降りるつもりでいるという。ただ、刻限までに積荷をそれぞれ指定の町へ届けるために、せめてフカガワまではこのままハイウェイを走る必要がある。ここから最大の難所を越えるための、最後の休憩場所がこのSAなのだ。


「しかし、スナガワにも茶屋があるだろう?」

「へっ、あるにはあるさ。けど、あすこはもう、行きがけに一服するような場所じゃねえ」

高速賊ハイエナの溜まり場にでもなってるのか」

「まあ、そんなところさ」

「噂の〝赤烏あかがらす〟か?」


 その名を聞くと、男はわずかに眼の色を変えた。狭上の顔をじろじろと無遠慮に眺めまわしてから、急に口元を卑猥に歪め、

「はん。お目当てはオアシス・・・・か。そんなら、一般道シャバへ出ろと言っても聞かねえやな。まあ、せいぜい烏どもに目を付けられねえようにすれや。何があっても、高速道路ここじゃ誰も助けちゃくれねえからよ」


 何しろみんな、自分の身を守るので精一杯なんだ――そう言って、男は毛深い手で紙コップを握りつぶし、壁際へ放り投げた。形ばかり置かれた屑籠の周りに、即席麺の器や空き瓶が散乱している。傍らには白と赤の自動販売機が二台並んでいたが、どちらにも故障中の紙が貼られていた。




●スナガワSA(下り) 17:20


 警告を受けていなければ、そこは他のどこよりも平穏な茶屋に見えたかもしれない。食堂にも明かりが点り、カレーの匂いが漏れていた。いくらか客も入っている。その数人の一瞥を受けながら、狭上は食券を店の親仁に差し出した。


 脂の染みたカウンターに着いて、ぬるい水に口を付ける。新聞を開いたり、煙草をふかしたりしている面々を見渡せば、壮年以上の男ばかりだ。


 お待ちどぉ、とくぐもった声がして、蜆の載ったラーメンがテーブルに置かれた。同じ程度に陰気な調子で、どうも、と答える。


 湯気の向こう、壁の上の棚にはテレビが備え付けてあった。時折ノイズの走る質の悪い画面は、ニュース番組を映している。事件も事故も交通情報も、テレビ局が伝えるのは一般人の通る一般道の話題だけだ。この土地でも、ハイウェイで起こる諸々の事件は別世界の出来事として切り離されているらしい。


 共有できる話と言えば、天気ぐらいのものか。週間予報は下り坂、しかしひとまず明後日まで降ることはなさそうだった。


「面白ぇかい、天気予報?」


 不意に揶揄するような声が飛んできた。横に目をやると、カウンター席の端で壁に肩を預けるようにして座っている男が、深く被った帽子の鍔の下からこちらを見ていた。口の周りに薄く髭を生やして、耳にいくつもピアスをして、趣味の悪い刺繍の入ったスタジャンを着ている。二十歳前後の若者だ。


 麺に箸先を差したまま手を止めて、相手の顔を見返した。いかにもヤンキーを気取ったような風体だが、容貌はどこか幼さを感じさせる。


「面白くないか?」


 訊き返すと、若者は少し面食らったように半端な笑いを浮かべて、鼻を鳴らした。


「ねえよ。面白くなんか」

「だろうな。俺もそうだ」

「じゃ、何でそんな、マジな顔して見てんだよ」

「面白けりゃ、笑って見てるだろう」

「はぁ」


 話のつながりが追えなかったらしく、帽子の若者は気の抜けた声を出し、テレビ画面に目を向けた。既に天気予報は終わって、人気の女優と子役が共演する食器用洗剤のコマーシャルが流れている。


 狭上は再びラーメンをすすり始めた。麺は煮え過ぎで、汁の味も濃いが、蜆の旨味だけは悪くない。


「オッサン、見ねえ顔だな」


 しばらく黙っていた若者が、また話しかけてきた。今度は手を止めずに応じる。


「この辺りに詳しいようだな」

「ここらはオレの庭みてぇなもんさ」

「じゃあ、知ってるか」

「何をだよ?」

「半年ほど前から、この先の道でハバをきかせてるっていう、ハイエナのことだ」


 店内の空気が張り詰めるのを、肌に感じる。新聞を読む客も、煙草をふかす客も、素知らぬ顔を装いながら、確かに瞬時、息を飲んだ。店主も厨房からこちらのほうを盗み見た。


 若さゆえの強がりか、若者はそんな緊迫の中でもにやにや笑っていた。後頭を壁に付けて、狭上の顔を下目遣いに見る。右手の指先でカウンターの天板を弾く音が、鈍く響く。


「〝赤烏〟のことかい? オッサン、それ訊いてどうしようってんだ」

「自分がこれから走る道のことだ。知りたいと思っちゃおかしいか?」

「これから走るって? あんた、オアシス目当てに来たんじゃ――」


 ねぇのかよ、という語尾に、携帯電話の着信音が重なった。紐状のストラップが一本きりの、意外に装飾の少ない電話機を取り出した若者は、画面を見ると眉をひそめた。


 彼は電話を耳に当てて喋りだした。他の卓の客たちが新聞を畳み、吸殻を灰皿に押しつけて、一人また一人と席を立ち始める。


 狭上もラーメンを食べ終え、コップの水を飲み干して立ち上がった。ピアスの若者は、新たな話し相手に気を取られて、狭上のことなど忘れてしまったようだ。


「ああ? どこにいたってオレの勝手だべや。ンなこと知るかよ。関係ねぇ話だろ……ふん、それで、どうしろってんだよ」


 狭上のほうも若者にはかまわずに食堂を出た。西の空にはまだ赤みが残っていたが、辺りは薄闇に包まれていた。



 道路を挟んでそびえる山々は黒い影になっている。対岸にある上り車線側のSAにも同じような店明かりが点っているが、今にも山影に吸い込まれそうに見えた。向かいから見れば、狭上が立つこの場所も、背後の闇に呑まれかかっているのだろう。


 飯屋に便所にロータリー、白線の消えた駐車場、その隅の寂れた給油所スタンド。高速バス待合所の跡とおぼしき小屋の残骸を背にして、ミニスカートから肉付きのよい脚をのぞかせた女が一人、突っ立って煙草を吸っている。辺りを照らす外灯の色はいかにも儚げに白く、ろうそくの火のように明滅していた。


 その外灯の下、店から出た男たちが、駐車場にある各々の車に戻っていく。エンジン音が方々で唸って、ライトが点き、徐行を始める。


 いずれも駐車場の出口のほうではなく、逆の方角へ向かっている。道路側に向かって右手の片隅に、どこかへ続く暗い通路が口を開けて、男たちの車を一台ずつ飲み込んでいくのだった。


 ひと際大きなエンジン音が沸き上がった。店に一番近い駐車スペースに、単車にまたがる人影が見える。


 薄暗い中でも見分けられるスタジャン姿は、先刻の若者に違いない。電話を終えて、店を出てきたようだ。帽子の鍔を後ろに回しただけで、ヘルメットもかぶらないまま発進し、彼もまた、連絡通路の奥へ走り去っていった。


 狭上はその方角へ足を向けた。駐車場に置いたコンバーチブルには乗らず、徒歩のまま、連絡通路の入口の近くまで寄る。案内板もなく、照明も点っていない通路の奥はカーブになっていて、滑り込んでいった車の後尾灯はすぐに視界から消えてしまう。


 どうやらあの闇の先に、オアシスがある。


 その手の歓楽場は、どこの地方のハイウェイにもあるものだ。かつては運転手の休憩所であったり、健全な観光施設であったりした建物は、高速道路が無法地帯と化すに従って廃屋となっていった。そこへ浮浪者が寝つき、賊が隠れ、生計に窮した女たちが身を寄せる。そうして商売が始まる。一般道であれば取り締まりを受ける類の営業も、高速警察ハイポリは見て見ぬふりをするから都合がよいのだ。


 スナガワに最北の大規模オアシスがあることは知られていた。もっとも日向の商売ではないから、表立って宣伝されているわけではないが、噂で聞くところでは、もともと観光案内所であったビルに多くの娼妓が集まって出来たものであるらしい。地方にしては客の数も多く、めっきり通行量の減った道央道ドウオウで唯一の盛り場となっているという。



 もっとも今、連絡通路の奥の闇に、噂の不夜城の姿は見えない。代わりに、通路の脇に沿う遊歩道のほうに、小さな明かりが点っているのが見えた。


 細かい砂利の敷かれた上り坂を歩いていく。道の両側には、ベンチや電球の切れた外灯、塗装の剥がれかけたオブジェなどが無造作に置かれていた。小さな公園のようだが、いずれこのSAが家族連れで賑わった過去の遺物だ。駆けまわる子どもや憩う夫婦の姿などあるはずもない。


 坂を上り切ったところに屋根の尖った四阿あずまやがあり、明かりはその中に点っている。行灯というのか、カンテラというのか、四角い照明器具がベンチに置かれ、近づくと「卜」という影文字が浮かんで見えた。明かりの横には、足元まで届く暗色の外套を着込んだ人影が、うずくまるように座っていた。


 占い師は外套のフードの陰から狭上の顔を一瞥したが、すぐにまた下を向いた。客には不向きと見たのか、薄闇の中に息を潜めてやり過ごすつもりらしい。


 歩み寄って見下ろすと、けだるそうな、それでいて警戒するような眼が再びのぞいた。弛んだ頬と窪んだ眼窩。老いた女の顔だった。


「営業中か?」


 占い女は表情を変えずに、客の顔を仰ぎ見る。狭上がポケットに手を入れて、皺の入った紙幣を取り出してみせると、長い爪をした指が伸びてきた。


 金を外套の懐に押し込んだ占い師は、不似合いなひどく甲高い声で、「お座ンなさい」と言った。かぶっていたフードが外され、白髪交じりの頭部が露わになる。最初に思っていたよりも若そうだった。五十歳そこそこといったところか。


 ベンチの隣に腰かけると、占い師は手帳を開いて安っぽい鉛筆を握り、姓名を訊いてきた。


新堂しんどう尭生あきお


 狭上は答えた。


「――だが、知りたいのは俺のことじゃない」

「したら、何を訊きたいの?」

「人を探している」

「女ね」

「そうだ」

「恋人?」

「婚約者だ」


 占い師は血色の悪い頬をわずかに持ち上げた。同情を示したのか、あざ笑ったのか、よくわからない。


「半年ほど前にいなくなった。たぶん、このハイウェイのどこかで」

「いくつくらいの人?」

「二十歳前だが、もっと幼く見えるかもしれない。小っこくて、髪が短くて、人形みたいな顔をしてた。名前はうちゆい。赤いクーペに乗って、サッポロのほうからこっちに下ってきたはずだ」


 またも探るような眼を狭上に向け、占い師は顔をしかめた。


「その人、本当に婚約者?」

「なぜだ」

「話しぶりを聞くと、そんな感じがしないわね。年も離れているようだし……まあ、でも、いいわ。占ってみましょう」

「いや。占いは、いい」


 占い師が鉛筆を持ち直したところへ、狭上は手をかざす。カンテラの明かりが斜めに差して、手帳の上に曖昧な影を作った。


「訊きたいのは、未唯を知ってるかどうかだ。あんたがこれまで世話した女の中に、いたか、いなかったか」



 ただでさえ色気の悪い女の顔が蒼白になった。かざした手でそのまま占い師の腕を押さえつけ、立ち上がろうとするのを制止する。


 中年女は怯えを含んだ膨れっ面をして、狭上の顔を睨みつけた。


「何のつもり?」

「あんたはここで、行き場のない若い女を何人も見てきたはずだ」

「そりゃそうよ。わたしは占い師なんだから。途方に暮れている人を導くのが仕事だもの」

「その占いで、導く先には何がある?」

「何が言いたいの」

「身寄りのない女が高速道路ここで生きていこうとすれば、選択肢は限られてる。オアシスに転がり込むか、駐車場に立って客を取るか、どっちにしたって、商売を始めるには世話人が要る。どこの地方のハイウェイだって変わらない」

「その世話人がわたしだって言うの」

「俺はハイポリの手先じゃない。あんたの稼ぎに口を出す気はないし、興味もない。ただ、俺の探している女について心当たりがあるかどうか、それを訊いているだけだ」


 狭上が間近に顔をのぞき込むと、中年女は目をそらし、鼻を鳴らした。しばらくの間は意地を張っているかのように黙っていたが、やがて観念したのか、

「あなたの言ってる人かどうかはわからない」

 と、吐息交じりに言った。


「二十歳くらいの女なんて、珍しくもないからね。だけど、まだ雪が残っていたころに、それらしい娘を一度見かけたことがある。初めは家出した女子高生かと思ったけど、子どもの眼じゃなかった」

「何て言ってた」

「わたしは喋ってない。見かけただけよ。どこへ行ったかも知らない」

「誰か一緒だったか」


 女は下を向いて、小刻みに頭を振った。



 狭上は押さえつけていた手を緩め、立ち上がった。占い師が俯いたまま、秘かに安堵の息を吐いた。その頭頂部に向かって、「もう一つ」と狭上は言った。


「〝赤烏〟ってハイエナの首領について、何か知ってるか。若い女だって噂を聞いたが」


 中年女が顔を上げる。苛立ちの中に、動揺が見え隠れした。握り締めた手帳のページに、皺が寄る。


「それが何か関係あるの? まさかアカ・・が、あんたの探し人だとでも?」

「アカ? その女首領の呼び名か」

「ここらで商売をしていれば、嫌でもその名を聞くわ。だけどわたしは何も知らない。知ってることはもう話したでしょ。もういい加減にしてちょうだい」


 耳障りな声で訴える女を、狭上は冷ややかに見下ろした。明かりに惹かれてやってきた羽虫が、二人の間をうようよ舞う。女も黙ってしまうと、夕闇と虫の声が足元から湧き上がってきた。


 しかしすぐに、サイレンの響きがそれらを駆逐した。振り返ると、SAの前に設置された非常灯が弱々しく回転している。


 パトランプを光らせた車が数台、向かって右手から左手へと通り過ぎていった。


「出たみたいね。あなたの知りたがっているハイエナが」


 嘲笑を含んだ女の囁きを背後に聞きながら、狭上は既に駐車場のほうへ向かって走りだしていた。




●タキカワIC付近(下り) 18:00


 大小の貨物トラックが団子状に固まって道を塞いでいる。その手前で車を停め、運転席の扉を開くと、聞き覚えのある野太い声が耳に飛び込んできた。


「あンの馬鹿烏どもが!」


 パトカーのライトに照らし出されたコンテナにも見覚えがあった。イワミザワの茶屋で休憩していた、あのキャラバン。喚いているのは、あのとき話をした北国訛りの男だ。分離帯に突っ込んだトラックの運転席から、ちょうど助け出されている最中だった。


「いててて、痛ェなオイ! 大体、おめえらポリ公が奴らを野放しにしてんのが悪いんだべ。この税金泥棒どもッ」


 元気に罵詈雑言を飛ばす男のほか、仲間の運搬人たちを見ても軽傷者ばかりで、命に別条のある様子はなかった。が、積荷のほうは無事とは言えない。三台分のコンテナが荒らされ、うち一つは中身がほぼ空になっている。奪われた積荷は業務用食料品や衣類、煙草、医療品などだという。


 食料は文字通り胃袋に収めて、あとは転売するのだろう。盗賊が横行するところには、盗品を流通させる機構が付き物だ。


「あすこの崖の上から、いきなり車が降ってきた・・・・・のさ。二台続けてだよ、ものすごい音立ててさ。それでブレーキを踏んだら、あとはもう何が何だかわかんないうちに……」


 キャラバンの先頭を走っていたという女が、こめかみを押さえながら警察の質問に答えている。なるほど、山を切り開いて建設された道路は、両脇が急斜面になっていた。左手の斜面から「降ってきた」二台の車というのは、ナンバープレートもなくガラスもことごとく砕けたセダンだった。いずれ盗難車だろう。


 行く手を遮られて急停車しようとした先頭のトラックに後続車が追突し、またそれを避けようとして分離帯や路側帯へ衝突し、キャラバンはまんまと足留めされた。最後尾を走っていた二台は何とかブレーキが間に合ったものの、停車した途端に運転席の扉から賊が押し入ってきた。銃を突きつけられ、その後は記憶が途切れているという。


 賊は少人数だが、統率がとれていた。落ちてきたセダンの屋根の上に登り、他の者が積荷を奪うのを腕組みして監督する首領の姿も目撃されている。銃を斜めに背負ったその首領は、ごく小柄な体つきをしていた。鼻から下を布で覆っていたが、頭部は長い髪が露わになって、風になびいていたという。


「あの女だ、アカ・・だ。間違いねえ。暗かったけど、確かに見た。髪が真っ赤だった」


 最後尾の運搬人が、口から唾を飛ばして訴えていた。


 それ以上の情報を彼らから得ることはできなかった。警官たちにとっては事情を聴くことよりも、被害車両をさっさと片づけて、通行止めを解くことのほうが重要だったらしい。


 もっとも、つかえているのは狭上のコンバーチブルただ一台だった。トラックが路肩に寄せられ、道が開かれれば、促されるままにその場を去るしかない。




●場所不明 19:40


 薄い雲から月明かりが漏れて、どうにか自分の掌くらいは見分けることができる。しかし周囲は、闇に溶けて何も見えない。


 夜の暗さだけではない。壁か何かに囲まれているらしく、空の薄明は真上からに限られていた。身じろぎをすると、砂利の擦れる音が微かに反響する。


 目覚めたきっかけは匂いだ。排気ガスに慣れた鼻腔を衝いたのは、長く忘れていた土の匂いだった。身を起こすために手をつくと、草の根らしきものにも指が触れた。エンジンの低い唸りの代わりに、虫の鳴く声ばかりが聞こえてくる。


 後頭部に、鈍い痛みが湧いた。


「おい、気づいた」


 頭上から声が降ってきたかと思うと、闇の中で人の気配が寄り集まってきた。動けばいくらか輪郭をつかめる程度の人影は、いずれも位置が高く、一定の距離を置いてこちらを見下ろしている。一人が懐中電灯を点して、狭上の顔を照らした。


 どうやら、大きな穴の底に放り込まれているらしい。連中は、その穴の縁からのぞき込んでいるのだ。その角度からして、深さ約三メートルといったところか。立ち上がると、動きに合わせて光が顔を追ってきた。


「何か用か」


 光源のほうへ手をかざしながら問う。懐中電灯の光がうっすらと穴の縁を浮かび上がらせていた。底は地面だが、壁のほうはどうやら人工物らしい。煉瓦のような素材の継ぎ目から、雑草が生え出ているのが見て取れた。


「用があるから連れてきたんだろう」

「ふん、威勢のいいオヤジだぜ。埋めちまうか」


 懐中電灯とは違う方向から男の声がして、それに応じる嘲笑が八方に起こった。いずれも年若い声ばかりだ。



 フカガワICの手前で彼らが襲ってきたとき、狭上は抵抗する代わりに、賊の様子を観察した。対向車線を乗り越えてヘッドライトの中に飛び込んできた二輪車を駆っていたのも、背後につけてきたバンから降りてきたのも、顔は布で覆っていたが、機敏な動きに若さが漲る男ばかりだった。十代から、せいぜい二十歳過ぎ。今までに見た賊の中でも特に平均年齢の低い部類に入る。


 後頭を殴打されて気を失うまで、見た人数は四人。いずれも男で、噂の女首領の姿は拝めなかった。


 狭上は穴の上の闇に目を凝らす。笑い声の数からして、少なくとも七、八人以上はいると思われる連中の顔を一つ一つ確かめるには、月明かりも懐中電灯の光も不十分だ。


 と、その頼りない明るみの中に、小さな反射光が閃いた。何か白くて光沢のあるものが放り投げられ、回転しながら足元に落ちてくる。


「整形でもしたのかい、シンドウさん。随分顔が変わったみてえだけど」


 気絶している間に胸ポケットから抜かれた免許証を、狭上は拾い上げた。その顔写真は、確かに自分とは似ても似つかない。新堂尭生は二重瞼で顎の細い、どちらかと言えば童顔の男だった。年齢もひと回りは下だ。


「何か用かってよぉ、そいつはこっちの訊くことだ。オレらのことをコソコソ嗅ぎまわってやがったんだろ」

「コソコソしたつもりはない」

「偽名なんか使っておいて、何を……」

「俺はおまえたちに新堂と名乗ったか?」


 相手は舌打ちをしたようだ。代わって別の声が、本名を尋ねてきた。


「狭上とおるだ」


 闇を睨み返す。その名に対する特別な反応はなかった。


「サガミさんよぉ、あんたオレらが何者かわかってんだべ」

「〝赤烏〟だろう」

「それがわかってて、オレらの縄張りに入ってきたんだ。オアシス目当てでも、ハイポリでもねえあんたが。何か目的があんだべ? 言えや」

「人探しだ。木佐内未唯という女を、探している」

「へええ?」


 妙に間延びした返事と共に、とらえどころのない笑いが頭上に漏れた。女を探しに来たということ自体は、どうやら初耳ではなさそうだ。情報が流れたとすれば、あの占い師からだろう。


「人探しねぇ。それがオレらと何か関係あるかよ」

「あるかどうかを訊きに来た」

「何だそりゃ」

「ハイポリに訊くより確実だろう。このハイウェイで消えた女の消息なら」

「おい聞いたかよ。オレらはポリ公の代わりだってよ」


 今度ははっきりと、嘲りの笑い声が立った。犬の吠えるような作り笑いが、不自然に長く続く。


 かまわずに、狭上は探し人の特徴を説明し始めた。容貌、体格、服装その他、思い出せるかぎりの情報を列挙していくうちに、若者たちの嘲笑は萎んでいく。


「赤いクーペに、乗っていたはずだ」


 そう最後に付け加えたときには、穴の上は無人かと思われるほどに静まっていた。人気が消えたわけではない。どうやら狭上が話している間に、彼らが黙り込むような何かが起こったようだ。


 雲が流れたか、月明かりが白さを増して、狭上は足元に自分の影を見た。



 黒い円筒状の壁の上には、屈んだり立ったりした賊たちのシルエットが並んでいる。いつの間にか、懐中電灯の光は途絶えていた。


 虫の声に紛れて、草を踏む微かな気配を感じた。後部上方だ。振り返って見上げると、取り囲むシルエットの中でも際立って小柄な人影が、壁の上に立っていた。両脚を開いて、左手を腰に当てている、髪の長い女だ。顔は暗くて見えず、髪色も定かではない。しかし彼女がこの賊団の女首領、アカであることはまず間違いなかった。


 手下たちは皆、黙って彼女の動向を見守っている。


「オジサン」


 やや鼻にかかった高めの、しかし落ち着き払った、小さくてもよく通る声が、女の影から発せられた。


「そのミユイって人、オジサンの何さ?」

「知り合いの婚約者だ」

「知り合いの?」

こいつ・・・のだ」


 新堂の免許証を掲げて、狭上は言った。


「それって、ただの他人じゃん。どうしてオジサンが探してンのさ」

「こいつが来られなくなったから、その代わりだ。あいつは今――」


 女の影は微動だにせず、穴の上から見下ろしている。腰に当てていないほうの右手に、拳銃らしきものを握っているのがうかがえた。


「新堂尭生は、サッポロの病院で死にかけてる。俺はそれを未唯に知らせに来たんだ」


 その瞬間、アカの表情にわずかでも変化があったか否か、確かめるすべはなかった。




●車中 20時半ごろ


「オッサンさぁ、運がいいぜ。腕の一本も折られずに帰れるなんてよ」


 運転席で若者が大声を放つ。狭上を彼自身の車まで送り届けるようアカに命ぜられた、烏のうちの一羽だ。饒舌な男らしく、目隠しした狭上を自動車の後部座席に押し込んで発車すると、すぐに自分から話しかけてきた。


「だけどオッサン、大した度胸だな。女一人探すのに、オレらに近づいてくるんだもんなぁ」


 しかし結局、未唯の行方について、〝赤烏〟から手がかりを得ることはできなかった。アカは女の失踪に自分たちは関わっていない、オアシスに転がり込んだのでないなら他に思い当たることはないと断じた。狭上はそれで引き下がり、アカは彼を解放すると言った。


――けど、これ以上あたしらの周りをウロチョロするンなら、次は知らねぇよ。


 特にドスをきかすふうでもなく、それでいて小娘に似つかわしくない威圧感をもって、アカはそう釘を刺した。そして手下の一人を指名して――ダイジ、と呼んで――拉致現場近くに放置したコンバーチブルを狭上に返すよう言いつけたのだ。



 夜のハイウェイは他に走る車もない直線道路のはずだが、車はひどく揺れた。若者は無闇にハンドルを揺らし、蛇行運転を続ける。さらにステレオからは、大音量の洋楽が流れている。狙ってのことかどうか、視界を閉ざされた人間の距離感を失わせるには充分に効果的だ。


「ああん? 何か言ったかい、オッサン」


 運転手は大声で訊き返してきた。狭上は声を大きくすることなく、一言ずつ区切るようにして、質問を繰り返した。


「おまえはなぜ、置いていかれたんだ」


 次の瞬間、シートベルトをしていない狭上の身体は座面から浮いて、前の座席の背に押しつけられた。急ブレーキを踏んだようだ。


「よく聞こえねえよ、何て言った?」

「その音楽を消せば、聞こえるんじゃないか」

「置いていかれたって、何だよ」


 聞こえているじゃないか、とは言わなかった。代わりに、やはり声量は変えずに、


「スナガワの茶屋にいただろう。仲間がキャラバンを襲撃していたはずの時間に」


 わずかに間があって、ステレオのスイッチが乱暴に切られた。


「置いてかれたわけじゃねえ。行かなかったんだ」

「なぜ」

「てめえにゃ関係ねぇだろ。立場わかってんのか、オレがその気になれば、今ここでてめえなんか……」

「言いたくないなら、別にいい。勝手なことをしたら、また外されるぞ」

「また? またって何だよ。てめえ、何を知ってるんだ」


 狭上は答えなかった。


 ひととき、エンジン音だけが聴覚を支配する。


 だがすぐに、運転席のほうから鼻を鳴らすような音がした。スタジャンの袖が擦れる音。気に食わねぇ、とつぶやく声。だがそれは、鎌をかけた狭上に向けられているふうではなかった。


 苛立ちはアクセルに込められて、車は再び猛スピードで走りだした。



「オッサン。探してるって言ってた女だけど」


 意に反して、若者はまたすぐに喋りだした。


「いなくなったのは半年ちょっと前っつったよな」

「そうだ」

「赤いクーペに乗ってたって」

「何か心当たりでも?」

「んん、どうだべな」


 稚拙な手口だが、どうやらはぐらかしているつもりらしい。


「まあ、あるっちゃあるけどな。心当たりがよ」

「おまえらの首領アタマか?」

「へっ、やっぱりそうか。あんた、あいつが探してる女なんじゃねえかと思って、オレらに近づいてきたんだ」

「まあ、そんなところだ。で? おまえは俺の話を聞いて、アカと未唯が同じ女だと思ったのか?」

「聞くかぎりじゃ、外見は似てる。アカは髪長えけど、女の髪型なんてすぐに変わるだろ」


 そうだな、と狭上はつぶやきながら、月明かりの中で見たアカのシルエットを脳裏に思い起こした。


「他には」

「オレらはあいつの本当の名前を知らねえ。どこから来たのかも、何も知らねえ。ただ、半年ぐらい前にいきなり現れて、あっという間にここら一帯を征圧しちまったのさ。シャバに戻れねえでふらふらしてる連中を下につけてな」

「おまえもその一人か」

「ダチに誘われたんだよ。ま、そのダチはヘマやって死んじまったけど」


 少し間が空いたのは、死んだ友のことを思い出したためか、ただの息継ぎか、表情が見えないだけに判断しかねた。


「とにかく、あいつが現れたのはそのミユイってのが消えたのと同じ時期だし、年も同じくらいだし。それにあいつも赤い色が好きだ。だからアカってんだ」

「可能性はあるってわけだな」


 赤いクーペに乗っていたのは確かだが、未唯が赤色を好んでいたと言ったつもりはない。が、話の腰を折るのはやめておいた。


「オッサン、声でわかんなかったのか。あいつの声、特徴あんだろ」

「似ていなくはない。だが確証は持てなかった」

「写真か何か持ってねえのかよ、その女の」

「ない」

「使えねぇな」

「仮に写真があったとしたら、おまえはどうするつもりだったんだ?」

「決まってんだろ。アカと同じ顔かどうか、オレが見れば一発でわかるじゃねえか。大丈夫かよオッサン、頭悪ィな」

「つまり、俺に協力する気があるってわけか?」


 そこでまたアクセルが踏み込まれ、ハンドルが切られた。身体が横ざまにドアに押しつけられる。今回は蛇行ではなく、本当に左方向へ曲がったようだ。やがて速度が急激に落ちて、タイヤの摩擦音がする。


 車は完全に停まった。運転席のドアが開いて、ダイジが外へ出る。すぐに後部座席のドアが開かれ、新鮮な空気が車内に流れ込んだ。


 出ろ、と外から声がする。縛られた両手で宙を探りながら、アスファルトの上に足をついた。


 ダイジの手が狭上の腕を引き上げ、上着のポケットを探った。腹のポケットから奪ったのは、携帯電話だろう。


「ちっ、古臭えデンワ使ってやがるな」


 狭上の電話機を何やら操作しながら、ダイジは早口に言った。


「ありがたく思えよオッサン。オレはあんたにもあんたのダチにも興味ねぇけどよ、あいつの正体がわかるかもしんねぇなら、手伝ってやるよ」

「そんなに知りたいのか。自分たちのリーダーの素性を」

「オレはあいつをリーダーだなんて、思ってねぇ」


 吐き捨てるような口ぶりからすると、やはり何かアカの不興を買うようなことをして、今回のキャラバン襲撃から外されたのだろう。


 用が済んだのか、ダイジは電話を狭上のポケットに元通り押し込んだ。それから手枷も目隠しもそのままに、狭上を残し、車に乗って去っていった。


 歯で縄を解き、目を塞いでいた布を取っても、しばらくは闇しか見えなかった。やがて目が慣れてくると、外灯もない路肩の暗がりに、黒のコンバーチブルがひっそりと主人の帰りを待っていた。

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