第7話 逆さま即興曲(アンプロンプチュ)

「おーし、席着けー。ウォーミングアップのパズルやるぞ――」

チャイムとともに教室に入ってきた、数学の“はねせん”こと羽根田先生が大きな声を上げ、1人2個ずつ、紙でできた立方体を配り始める。

わあ、と歓声が上がり、いそいそと席に着く生徒達は、不思議とみんな嬉しそうだ。


はねせんの数学は分かりやすいし、何より生徒を乗せるのが上手い。

いきなり教科書に入るのではなく、いつも授業の初めにちょっとした数学のトリビアや小ネタを披露して数学に対する興味を引いてから授業を始めるのだ。

マッチやコイン、トランプやロープを使用した数学パズル。クイズ。そしてフェルマーの最終定理やフラクタル理論、パラドックスなどの難しくて理解しきれなくても、なんとなくワクワクしてしまうようなスケールの大きい話を聞かされると、つい、はねせんの口癖「数学って面白いだろ!」に乗せられて、とかく苦手意識を持ってしまいがちな数学に対し、僕らもやる気になってしまう。


「全員渡ったかー?今日はあんま時間ないから、超初級なー。今配った立方体2個に数字を入れて、万年カレンダーを作ってみよう!どちらにどの数字を入れれば、上手く日付を表す事ができるか、考えてみろー。あ、2個で表すのは日付だけだぞー。数字は1面に1つ、それと2個の立方体は、左右を入れ替えて使ってもいいからな」

「せんせー、ヒント!ヒント!」

「お前ら~、ちっとは考えてから言えよな」

苦笑しながらも、はねせんはヒントをくれた。

「“日付を表す”って事は、1から31までを表す事ができればいいって事だ。ならまずは最低でも何がどちらになければいけないかを考えるのが最初のステップかな」


僕は2個の立方体を前に首を捻り、とりあえずカレンダーを眺める。

――そうか、11日や22日があるから、1と2は両方になきゃまずいんだな。

両方の立方体に、1と2を書き込んだ。

あと4面ずつを埋めるには。

すでに1と2はあるから2ケタの日付はいける。1ケタの数字を表すには0が必要だけど、片方に0を入れると……6日分しか表せないから、これも両方必要。

2個の立方体には0と1と2がそれぞれ書き込まれた。

あと3面ずつを埋めれば完成だが、残る数字は3,4,5,6,7,8,9の7つなのに、書き込める面は6面しかない。

ここまでは割と簡単に進んだけれど、ここからどうしたらいいのかで周りのみんなも悩んでいた。


「……あ」

なあんだ。

吹き出しそうになるのを堪えて、数字を書き入れる。

「せんせー、できました」

初めて、はねせんの数学パズルで1番に名乗りを上げられた。


「おー、見せてみろー」

教卓に持っていき、恐らく今回のパズルのキモであろう面を見せると、はねせんはニヤリと笑った。

「正解!あと4人正解出たら、答え言って授業始めるぞー」


席に戻ると、周りの席の奴らが相談するふりをしながら覗きこもうとする。

「西原、これ正解か?」

「いや、1面に2つ書いちゃダメだろ」

「じゃあ、これでどうよ?」

「お前……カドを潰して、勝手に面を増やすなよ」


「浩之、こうだろ?」

後ろの席の松添が背をつつき、振り返った僕に“6”を見せ、それをひっくり返して“9”にする。

そう、残りの6面には3から8を入れればいいのだ。そして9にしたい時には6の上下を変えて使えばいい。

気付いてしまえば簡単なトリックだ。

「なんだ、分かったんなら、はねせんに見せにいけばいいのに」

「いや、正解である事が分かればそれでいい」

ちょっと変わった奴なのだ。

「お前はなんでそんなすぐ、解けたんだよ?」

「ああ、うん。ジュエリーに入れる刻印ってさ、6と9は兼用なんだよね。それで分かったんだ」



刻印には金性刻やブランド刻の他に、定形以外の内容に対応する為の『数字刻』や『アルファベット刻』がある。

例えば、どれだけの石が留められているかを表す“石目刻”は、規格として多少の誤差があっても統一してしまう場合と、石によって異なる石目をそれぞれきちんと打刻する場合がある。


具体的に言うと、ここに5ピースの石があって、それぞれ石目が「0.20」「0.21」「0.22」「0.23」「0.24」だったとする。(石目の単位はキャラット)


『統一する』というのはこれを全て「0.2」と打刻するという事だ。

この場合、「0.19」といった、どんなに近くても0.2に届かない石は、使用されない。必ず0.20以上の石に対して行われる。


『それぞれ打つ』というのはもちろん、0.22の石を留めれば「0.22」を刻印し、0.23の石を留めたものには「0.23」と刻印する。

どちらにしても石目は毎回違うから、数字刻のように1つ1つバラバラの刻印を1文字ずつ手押しで打刻するのだ。


『数字刻』は0から8まで1本ずつあり、6と9は兼用――つまり同じものをひっくり返して使用する。

それが当たり前の感覚になっている僕は、今回のこのパズルも結構あっさりと分かってしまったのだった。

とはいえ、『刻印』なんて言ってしまうと特殊っぽいが、『ハンコ』だと思えば一般の人でも分かりやすいだろう。たぶん、数字のハンコにも”6と9は兼用”というセットがあるはずだ。


ちなみに、刻印には『直』と呼ばれる真っ直ぐな刻印と、『曲がり』と呼ばれる、持つ部分がコの字に曲がっているものがある。

なぜ曲がっている必要があるかというと、リングの内側へは『直』では入れられないからだ。


また、刻印のサイズは文字の高さによる。

『K18の0.8刻印』と言えば、それは打刻された”K18”の文字の高さが0.8㎜だという事だ。

刻印を入れるスペースによって使い分け、できるだけ肉眼で読み取りやすいサイズを使用するには同じ内容でもサイズ違いを一揃い取り揃えている必要がある為、匠美鎖でも刻印のストックはかなりの数に上る―――


「――んだよ。あんまりたくさんあるから、どれを使えばいいのか最初すっげー迷う」

「あーはいはい」

せっかく熱く語ったのに、松添はあっさりと流して”前見ろ”のゼスチャーをする。

無事正解者が5人出て、はねせんの授業が始まるところだった。

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