第11話

授業が始まっても育ちゃんは戻って来なかった。私は授業中何度も斜め後ろの席を振り返ったが、彼は座っていなかった。エイジは一向に気にした風がない。

 そうして一時間終わった後、私は友人に早引きすると伝え、エイジに見つからないようにこっそり教室を出た。


 廊下を走り、学校の外へと飛び出す。

 育ちゃんは、きっとあそこにいる。

 学校の後ろに小さな山がある。三百メーターほどの、山と言うより丘のような存在なのだが、上からの景色は中々いい。育ちゃんはその眺めと静寂を気に入っていた。

 果たして頂上に着くと、そこに、

 育ちゃんはいた。


 こちらに背を向け、ぽつんと立っている。

 彼の前方には、遠くに赤や黄色の秋色めいた山々が見えた。

 いつも姿勢がまっすぐで、綺麗な彼の背中が、今は痛々しかった。

 瞬間、私には分かった。

 育ちゃんは泣いている。

 彼は滅多に涙を見せない。

 でも。

 彼の背中が、全身が悲鳴を上げているのが、秋の透明な空気を通じて痛いほど伝わってきた。

 涙を流さなくても、

 泣く事はあるから。

「育ちゃん」

 秋の空気をかきわけて進む。

 張り詰めた空気が息苦しい。

 彼の白いセーターを、そっと掴んだ。

 細い背中が、ぴくりと動く。

 エイジの言葉が蘇る。

 自分に。

 厳しすぎるよ、育ちゃん。

 目の端が熱くなってきた。

 鼻の奥がつんとする。

「もういい」

 言った瞬間、目から涙が溢れた。

育ちゃんが振り返る。

もう一度言う。はっきりと、

育ちゃんへ、届くように。


「もういいよ」

 育ちゃんが驚いた顔で私を見つめている。


 涙が止まらない。

止める事ができない。

 私は繰り返しつぶやいた。

 もういいよ。

 いいから。

 育ちゃん。

 今度は、

 自由に。


 瞬間、育ちゃんに抱き締められた。

 腕や、背中が痛いほどに締め付けられる。

 私の右肩に育ちゃんが顔をうずめた。

 彼のくぐもった声が聞こえる。

「ごめん」


 何て悲痛な響きだろう。私は悲しくなって瞳を閉じる。

 育ちゃんはもう一度、ごめん、と言った。

 彼の肩が震えている。

 育ちゃんが、

 泣いている。


 私は思わず彼の背中に両手をまわし、胸に顔を押し当てて、泣いた。

沈めようと思っても、嗚咽を止める事ができなかった。髪が涙でべたべたの頬にまとわりついていく。

 太陽の匂いのする胸。

 しなやかで強い背中。

 いつも近くにいながら、これほど強く育ちゃんを感じた事はなかった。

 どうする事もできない。

 育ちゃんを自由にしてあげられない。

 どうする事もできない。

 だって、

 必然なんかじゃない。

 私は、

 私は__


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