第5話
「唐沢君」
「エイジでいいよ。皆そう呼んでる」
「・・・今月のおすすめ何にする? 」
私は机の上に積まれた新刊本と、まだまっさらな“図書新聞五月号”の原稿を眺めながらエイジに尋ねた。同時に小さなため息が出る。
本当は育ちゃんと一緒にいる筈だったのに。
図書委員なんて誰もやりたがらないから、立候補してしまえばこちらのものなのだ。だから育ちゃんと一緒にやろうと思ったのに。
男子の委員を決める時、育ちゃんの他にエイジも手を挙げたのだ。全く予期しない事だった。
結局ジャンケンで負けた育ちゃんが悪いのだけれど。
私は本棚の間を楽しそうにぶらついているエイジを、ぎろりと睨んだ。
彼が挙手しなければこんな事にならなかったのに。
ふと彼から目を離し、静かな図書館を見回す。
放課後の図書館は生徒が滅多に訪れない、ただの沈黙の箱だ。皆部活かバイトで忙しいし、昼休み中でさえもあまり寄り付かない。高校生で図書館通いは格好悪いと思っているのだ。
せめて図書館での自習を許可すれば良いのに。静寂は好きだが、人がいなくては図書館ではない。
「はい、これ」
エイジがいきなり私の顔の前に、一冊の本をつきつけた。思わずのけぞる。
「何、びっくりするじゃない」
渡された本を見た。
小さな文庫本。綺麗なイラストもなければ凝った装丁でもない、ぬっぺりとした可愛げのない表紙に、難しそうなタイトルがついている。
「・・・何、これ」
私の問いにエイジが欠伸をしながら答える。
「だから“今月お勧めの新刊”。矢野先生がこういうのも紹介しておきなさいってさ」
「これ読んだ事あるの、あの先生!? 」
私は真新しいぴかぴかの本を裏、表と見返した。
誰も読んだ事のない本の書評を、どう書けと言うのか。
「だから皆読まなくなるのよ!! 」
憤慨する私に、エイジは別の本を手渡した。
「これも紹介しろよ」
見ると、最近人気の推理小説だった。いわゆる純文学作品や古典ではない。それに、
「これ新刊じゃないわね」
エイジはそこでにやりと笑った。
「矢野先生に話したんだよ。学校推薦の新刊の他に、自分達が推薦する物も一冊紹介させてもらえないかって。全て“今月の推薦本”としてね。いいアイデアだろ」
うん、と思わず言いかけてその言葉を飲み込んだ。
代わりにその本の表紙を見たり中をめくったりしてみる。ペーパーバックのような装丁がおしゃれな外国の作品だ。
「読んだ事あるの」
エイジに声をかける。
「うん」
彼は机に積まれた学校推薦図書の一冊を手に取り、ページをめくり始めた。
ぱらぱらとページを繰る音が館内に響き渡る。
私は彼の横顔をじっと見つめた。アーモンド形の瞳。
「で、」
私は言った。ずっと待っている。
「で、何? 」
本を見たままエイジが言った。
嫌な奴。
私の視線にも質問の意味にも気付いている癖に答えない。
結局私の方が折れた。
「で、面白かったの? この本は」
エイジはやっと顔を上げ、彼の癖である片方の口端だけを上げて笑った。
「うん、すっごく。じゃないと紹介しない」
嫌な奴。
私は憮然とした表情のまま、図書新聞の原稿を書き始めた。恐ろしくつまらなさそうな学校推薦図書を片手でめくり、どこか引用できそうな部分はないかと考えながら。
エイジはまだにやにやと笑っている。
上目遣いで彼を睨んだ。
「海外小説の分はそっちが書いてよ」
了解、とエイジは笑って言うと、向かい側の席に座った。
「他の分も書いてやるよ。こんなの解説写したら終わりだろ。それまで、それ読んでろよ」
抗議する間もなく原稿用紙を取られる。
エイジはもうこちらを気にせず早速原稿を書き始めた。私はやはり憮然とした表情のまま海外小説をめくった。
最初はエイジの様子を窺いながら小説を読んでいたが、そのうち気にならなくなり、しばらくして彼がペンを置いた時には、私はすっかり小説に没頭していた。
「終了。あ、こんな時間か。じゃ、十子、あと頼むな」
え。
私は、はじかれるようにして顔を上げ、エイジを見た。
彼が楽しそうに私を見返す。
「何? 皆そう呼んでるんだろ」
皆ではなく私の友人達だけだ。
「それとも“十子ちゃん”の方がいいか? 」
私は顔をしかめた。
「全然似合わないわね」
育ちゃんと違って。
「だろ? じゃあな、十子」
エイジは一旦図書館を出ようとし、ふと振り向いて私の手にある海外本を指差した。
「それ、面白いだろ」
そのまま風のように走り去ってしまう。
何なのよ。
私は仏頂面のまま、図書の貸し出しカウンターの方へ歩いて行った。
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