第2話

休み時間中、私は有香達が戻ってくるのを自席で待っていた。廊下から聞こえてくる黄色い笑い声とは対照的な、がらんとした教室を見渡す。さっきまでいた育ちゃんも友達と出て行った。

私は大きな欠伸をした。

前方の少し離れた席に座っている男子を何となく眺めながら。

 ふと、後ろのドアから誰かが入ってきた気配がした。太い声が教室内に響く。

「エイジ! 」

席に座っていた男子が振り返る。

彼が立ち上がりかけた時、机の上のシャープペンシルが一本、音を立てて落ちた。

シャープペンシルがころころと私の方へ転がる。

それをじっと見つめながら、思った。

エイジ。

そんな人__いただろうか。


私はよく、名前と人を覚える能力が欠けていると言われる。

三年生にもなって学年生徒全員が分からないから、らしい。

私から言わせれば、友人でもなく、一度も同じクラスになった事がない人さえも覚えている、つまり同学年の生徒全員の名前と顔を知っている事の方が、記憶力を無駄に使っている気がする。

ふとエイジと呼ばれた男子の机を見る。脇にかけられたスポーツバッグに、「唐沢」と言う文字が見えた。


そう言えば有香達が騒いでいた。

唐沢君と一緒のクラスだとか何とか。

そうか。

この人が唐沢エイジか。


唐沢エイジは相手に

「ちょっと待って」

と言い、立ち上がった。

私は足元に転がってきたシャープペンシルを拾った。

唐沢エイジが近付いてくる。私の顔を正面から見据えるとにっこりと笑った。

「ありがとう」

 何となくかちんときた。


 普通の男子はふざけた感じで「悪い」だけでいい。それとも照れくさそうに「あ、ども」と言うか。

「ありがとう」を言っていいのは育ちゃんだけ。格好つけずに本当に嬉しそうに笑う、育ちゃんのような人だけ。


 私は彼の顔から目を離さないまま、シャープペンシルを手渡した。


 背が高く、少し日に焼けた肌。

短く清潔に切られた黒髪。 

 鋭い切れ長の目。

 サッカー部に入っていると聞いた。


 ふと。

 ざわざわと、

 記憶がざわざわと私の心をかき乱す。

 唐沢エイジも私をじっと見つめている。


 危ない。


 記憶がそう告げている。


 私は無意識のうちに彼をにらみつけていた。

唐沢エイジは再びにっこり笑うとシャープペンシルを受け取り、ゆっくりとクラスメイト達の所へ歩いて行った。

私は顔だけを少し後ろに向けて、その後姿を見送った。


どくん。

心臓の音が大きく感じられる。

やはり。

似ている。

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