世界に二人だけ

奉公先の主人のお供でついって行った先での道中、俺は小さな店の二階の窓枠に腰を掛け三味線を弾く女を見た。それが最初。小僧の耳でも上手いと思わせる音色に、着崩しているせいで広がる白のうなじに、小さく零れている黒い髪が何とも蠱惑的で俺には刺激の強い女だった。

その道中は何年にも渡って通うことになる。

毎日毎日、雨の日も雪の日も風が強い日も遠くの火事で騒いでいる最中だって女は窓枠に腰をかけて三味線を弾いていた。

ようやって、それが生きた人間ではないということに気づいた俺は、だからといってやることもなく。毎日、音色を背負って一生懸命に働く。

故郷の実家へ仕送りに出す金の為、己の為、なかなか息抜きができない中で化生の側を通り過ぎることだけが俺の憩いになっていた。

多分、声をかければ消えてしまうのでは? とも思ったし御伽草子にあるような祟られるとか怖い思いをする可能性もある訳で。いや、俺は目まぐるしく変わるけれど、変わらない女は無常に生きる俺にとって生を感じるすべでもあったし、ああ、いなくなるのだけは嫌だった。

それこそ奉公先から暇を出された時にでも声をかけようと思うくらい俺は女に惚れている、と自覚する。


ある日、仕事の道中を一人で任せられた日。それは女のいる通りではなかったけれども。帰りはその道を通った。

相も変わらず女は三味線を弾いていたし、道行く人は誰一人見上げない。二人だけになったようで音色がこの世界に静かな波紋を広げるように鳴り響く。

いつもは、ただのお供だったからか、仕事終わりだったからか、夕焼けが空を焦がす中、俺はその日、初めて長く女を見ていた気がする。

音色を脳内に焼き付けようと、目には女の後ろ姿を。

しばしして女は振り返った。

もちろん目が合う。

女は微笑んだ。

そして口元に指を、ああ、誰にも内緒。そういう仕草をして、ふんわりと女は消えた。


やってしまった、と俺は激しく後悔し、その日から仕事でヘマをしてばかりで番頭に拳骨まで食らってしまうことになる。

目が合ってしまった日から俺は女の通りを避けるように日々を過ごし、仕事終わりには長い溜息をするようになった。

布団に入り眠るとき、瞼の裏には必ず女がいた。

振り向き様に見た大きな瞳に、滑らかな鼻、紅をひいた小さい唇。想像通りと言ったらあれだが綺麗な人であった。

俺はあの人の通りにいって何か言うべきなのだろうか、だが確認して居なくなっていたらどうしようと無い頭を捻る。

ひねてひねて捻る内に俺はやっぱり二度と通りに行かないと決めた。

どちらにせよ、俺の損は決まっている。ならば、との心だった。


しかしその女に、枕元に立たれては意味はない。

互いを認識した日以来、まともに女の顔を見た。

記憶の中と一致する。それはそれは綺麗な顔の女だった。そうあの店で三味線を弾いて着崩し大きくうなじを見せ、零れ髪を垂らす綺麗な女で、今現在の状況で言うが、その女の姿はちゃんと仕立ててあり髪は整えてあるし、化粧も……しているのだろか。俺は身体が動かなくて色々見せられているけれども冷静な中に呪い殺されるか、と感情が入り混じっていた。何か言おうとしても声がでない。

「なんで、おまえさん通わないんだい」

通ってくれないと女は笑わないよ、と言い始めた。そこから先は自分が何となく死んでいること、でも三味線を弾けて悠久を楽しんでいたこと、たまに視える者がいる度に微笑んでみたが怖がられること、だから振り向くのをやめようと決めていたこと、でもあの日は夕焼け色が綺麗だったから外を見ようとして俺と目が合ったこと、そういえば毎日視線を感じていた、その主は俺だと分かったこと、途端に道を通らなくなったことに、

「あたしは怒っているんだよ」

そうですか、と目で訴えるが女は何とも饒舌で、あれから毎日弾いてやっているのに視線を感じないし、外を見ながら弾いていても通りゃあしない、あれだけ長くあたしのことを見ながら急に通わなくなるなんて胆の小さい男だこと、と馬鹿にしていたが怒りが沸々と湧いてきて、観音様と交渉して枕元に立たせてもらったこと、そしてニタリと

「おまえさんを連れてくか悩んでいる最中さ」

女を惚れさせたんだ、最期まで責任を取りな、と俺には出来すぎた姐さん女房であることが分かった俺は声を出した。

「ああ、夫婦めおとになるか」

すんなりと心で思ったことが口にでて、俺も女もびっくりした顔になる。

阿呆みたいにあんぐりと口を開けて、ちょっとした間に女は何回も瞬きをし「……なにいってるんだい」と小さく声を出した。

「俺も、惚れてた、から、としか」

連れてってもらっても構わない、みたいなことを言ったと思う。思うっていうのは、この先の記憶が曖昧だからだ。

でも最後に「……あんたが死んだら迎えに来てやるよ」と言い残していったのは覚えている。


起きたらもちろん朝だった。

布団から起きて日課を過ごし仕事をして、ふらりと女の通りに行けば女はいなかった。

そうかあ、と思い帰って布団に入れば枕元に立たないものかと待ったりもした。

まるで三文劇を見せられているような結末で、俺は次第に人生の波に乗っかるだけ乗っかり始めることにした。

女房が残した言葉が本当ならば俺が天寿を全うした時に迎えにきてくれるのだろうし、と妥協すると、あれよあれよと時間は過ぎて、お前が生まれてきて俺はそれを見届けて、俺も見送られているのさ。

ああ、つまんない話だったろう。三文小説のようだったろう。悪かったな、どうしても言いたかったんだ。

俺は死ぬのが怖くないってな。だからお前が悲しむ必要はねぇって俺は満足だって……

多分よぉ、そういう体験したからか幻が見えるんだよ。そうそう俺の一番最初の女房がさ、傍で笑ってくれてんだよ。

ありがとよ、看取ってくれて……約束守ってくれてありがとな、俺は生きたよ、だから約束を守る。

待たせたな、迎えに来てくれてありがとう。xxxx

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