第27話 願いの叶う場所
見慣れない、見慣れた廊下が続いていた。壁の染みも傷の位置も全て憶えがある。にも拘わらず、初めてここへ来た気がする。仲村は異様なまでの居心地悪さが体にまとわりつき落ち着かない。あと数十歩で羽間の部屋へ到着する。陽射しが目に痛い。数分前まで夜だった。違う。どの位彷徨っていたのかまるで時間の感覚が無い。いつの間にか昼時になっている。何時、夜が明けたのだろう。記憶が曖昧で現実感に乏しく酩酊状態に近い。時間酔いとでも言うのか。羽間の部屋へ続く共用廊下では色々なモノで賑わいを見せていた。廊下の片隅には黒いワンピース姿で髪を振り乱した女が踞り携帯電話を見つめている。足下を黒い煙の固
まりがすり抜けて行き、視線の外では何かが蠢く気配をピリピリと感じる。肝を冷やしたのは下半身丸出しで性器を握りしめ「ばぁ~ちゃん!」と向かってきた男だった。身構える仲村の手前で儚く消滅した。
三人は廊下の賑わいを他所に羽間の部屋へと行き着いた。先頭にいたミズホは戸口の脇に立ちドアノブを指し示し、開けろと合図している。古林は動かず、目配せし仲村がドアを開けるのを待っている。仲村は渋い表情を浮かべ、取り敢えずインターホンを押してみる。返事は帰ってこない。仲村は古林、ミズホの顔を交互に見つめるとズボンの尻で手を拭い、恐る恐るドアノブに手を伸ばした。口に溜まった唾液を飲み込み、ドアノブにそっと指先で触れてみる。異常も嫌な感触も無い。深呼吸し意を決しドアノブを捻る。ドアノブは何の抵抗もなく回った。施錠はされてない。仲村はゆるゆるとドアを開けた。
色が無い。開け放たれたドアの中は色が失われた無彩色の世界が展開していた。目を凝らし辺りを見回す。よくよく見れば僅かに色を感じられる。壁や調度品にびっしりと霜が降りたようにまとわりつく物質が見て取れた。半透明の空気の膜に覆われているようにも見える。触れて見るが手応えは無く壁や玄関の調度品の手触りだけが感じられる。辺りを覆っている物質の雰囲気に覚えがある。
古林もミズホも一言も声を出さない。二人とも静かに辺りを見渡していた。
「羽間ぁぁぁ」呼んでみるが返事はない。
仲村を先頭におぼつかない足取りで廊下を進みリビングへと向かう。ドアを開けると二十畳ほどの空間が広がる。リビングも部屋全体が霊塵に埋め尽くされ灰色とも銀色とつかない空気に染まっていた。霊塵に覆われているせいか物の輪郭が曖昧で滲みぼやけ、見る物全てブレて見える。目に異常をきたしているのかと目を擦るがブレは収まらなかった。
「羽間いるのか!どこだ!」再び呼んでみる。突然、後ろで動く気配が感じる。後ろにいた古林、ミズホの方を振り帰ると同時に二人が後ろへ飛び退く。
「どうし・・っ!」ドスンと背中に異様な重みを感じ仲村は膝から崩れ落ち、そのまま床に手を付き四つん這いの姿勢になる。項にバサバサと冷たく濡れた何かが降りかかってきた。糸を引くヌルリとした感触と共に強烈な腐敗臭が鼻を刺激する。肩口を見るとじっとりと湿った長い髪の毛が垂れ下がり、腐乱し汚臭を放ち、真っ黒に汚れた爪を持つ指に肩をがっちりと掴まれていた。背中から項に向かい何か這い上がってくる感触に悪寒が走り背筋に冷たい吐息を感じる。背骨が冷たい。まるで背骨が氷に変わったかと思う程体の芯から凍て付き総毛立ち、体が動かせない。仲村は何が背中で蠢いているのかはっきりとイメージできた。ズ
ルズルと背中を這い上がって来るものは顎だ。人の顎の感触だ。間違いない。人の顎が背中を這い上がってくる。顎の進路は肩胛骨付近から肩口へと進路を進めた。顎の主は自分の顔の隣に自分の顔を並べたいらしい。
顎の主は「だぁ~れだ!」とでも言うつもりなのか。体は動かず口の中はカラカラに乾ききっている。それでもゴクリと喉が鳴った。ついに顎が肩口に到着した。小刻みに震える瞳を肩口へ動かす。
「うぁっ・・・!」悲鳴を上げようとしたが声が出ない。見たくないと目を閉じようとするが視線がどうしても肩口へ引きつけられる。しかし何も見えない。確かに自分の体に全身ずぶ濡れの何かが覆い被さっている。自分の身の丈程もある蛙に抱きつかれている感触だ。
ミズホが「欠片!あの欠片を出して!」と叫ぶ。一瞬戸惑うが直ぐにミズホに渡された日本刀の欠片を思い出し、背中に巨大な蛙の重量が掛る不自由な体勢から何とか尻のポケットの中の欠片の入った緋色の巾着袋を取り出し、震える手の中に握り締めた。その途端、体が軽くなる。重圧から解放される瞬間、朧気に髪の長い女が一瞬見えたかと思うと陽炎のように揺らめき消え失せた。安堵と開放感から仲村はその場に崩れ込んだ。拳を開き緋色の巾着袋を見ながら大きな溜息を一つ吐く。
「愉快な遊園地だよ。ここは。クソッタレ。何故教えないんだよ」寝そべったまま仲村は悪態を吐き古林達を非難する。
「突然現れたの。何も感じなかったわ。今までこんな事は無かった。こんな事って有り得ない。私が何も感じないって・・・」ミズホの表情には驚愕が見て取れた。彼女にとってアレの気配を感じられない事がとても重大な問題らしい。
古林はと言えば仲村やミズホの事など何処吹く風で先程から沈黙を守り通し、眉間にしわを寄せ部屋中を注視していた。急ぎ足でダイニイグテーブルへ向かい禍機であるノートパソコンをバッグから取り出すと起動させた。
「仲村、来てくれ」古林が口を開いた。古林がノートパソコンを置いたテーブルの上には頭髪の固まりが投げ捨ててあった。一瞬ギョッとするがよく見直せば羽間の鬘だった。
「羽間はどこだ。見つかったのか」
「これを見てどう思う?」古林は仲村の問いを無視しテーブルの上を指さした。
「羽間のヅラだろ・・・!」と言いかけた仲村はテーブルの上が他とは違うことに気が付いた。滲みぼやけた視界の中、唯一テーブルの上のノートパソコンと鬘だけが無彩の世界に色を持ち、像を結びクッキリと見えていた。
「これは・・・」と呟く仲村に古林が目線で合図する。目線の先にはソファーに横なっている人形が見える。無彩色の周囲と同化し色は無く輪郭は滲み、ぼんやりとして実体を感じられないが辛うじて人の形が見て取れる。羽間だ。禿頭の恐ろしい程大きな傷跡が微かに見て取れる。間違いなく羽間だ。
「羽間!」と叫びソファーに駆け寄ろうとする仲村を古林は制止する。
「なんだ。どうした。あれ、羽間だろ。何とかしないと・・・」
「あの状態の羽間を仲村は何とか出来るのか?どうやって?」仲村に向かって古林は意地悪な質問を投げかける。
「それは・・・」確かに辛うじて羽間だと思える人型を見て仲村は言葉に詰まった。
「どうするんだよ。このままって訳にも出来ないだろう。まさか死んで・・・」
「死んではいない。それより見ろよ」
ノートパソコンは何らかのジョブが実行中らしくのモニターには文字列が猛烈な勢いでスクロールを開始していた。傍らのソファーの人型の変化に気が付く。羽間の人型が淡い水彩画の色調程に色が乗っていた。
仲村は古林の袖を引っ張り「古林!羽間に色が・・・何が起きている」と聞くが古林はノートパソコンの方が気になるらしく羽間の人型を見ようとしない。
「もう一度だ。もう一度、羽間の名前を呼んでみろ」モニターから目を離さずに古林は叫ぶ。
「えっ。ああ。羽間!」仲村は訳も解らず古林の勢いに釣られ思わず羽間の名前を叫んだ。仲村の呼び声に呼応するよう人型は徐々に色彩濃度上げ、像を結びハッキリと実体としての存在感を増してきた。部屋の空気が一変した。
一瞬の目眩。
気が付くと羽間がソファーに寝そべっていた。この状況に戸惑いを覚える。思い出せない。あやふやな記憶の中にイメージが残っている。ソファーに積もった塊。しかし、この部屋は何時もと変わらない見慣れた羽間の部屋だ。
突然、仲村の中に不安を伴う疑問が大きく膨れあがる。何時からだ。何時から羽間は此処にいる。部屋を訪れた時の事を思い出せない。何が思い出せないのか分からないが、思い出せない事への苛立ちが仲村の思考力を掻き乱す。所々記憶が欠落している。目の前で起きている出来事が時系列に沿って思い出せない。俺はいつから此処に居るのだろう。俺は何処から来たのだ。思い出そうとするが断片的な記憶がフラッシュバックするだけだ。もどかしい思いに囚われる。古林に声を掛けられるまで仲村は空白に思える記憶の中を漂っていた。
「・・・どうした。仲村」
「いや、何でもない。ただ・・・アレだ、
「
「ミズホ頼む!」古林はさらに一言付け足した。
「絶対壊すなよ」ミズホは舌打ちすると何処から持ち出してきたのかノートパソコンに向かい振り上げていた掃除機を降ろしノートパソコンへ近づいて行った。
ミズホはノートパソコンの前に立つと今までに聞いたこともない言葉で何事か
唱え、舞い始めた。祷りのようでもあり、懐かしい童歌のようでもあった。綺麗な澄んだ声が部屋に響き渡る。ミズホの舞の所作からは清々しい凛とした気が伝わってきた。その澄んだ歌声は記憶の混乱で沸騰した仲村の脳を冷ました。
「何が始まるんだ」目の前の光景に仲村は呆気にとられた。
「簡単に言えば、羽間の存在していた現実へ接続する為のコマンド入力だ」古林はノートパソコンのモニターを監視している。
「入力!童歌を唄っているようにしか見えないし、おまけに踊ってる」
「言葉の表現は何でも構わない。こちらの意志が伝わればいい」
「そのパソコンは唄で入力するのか。変わった音声認識機能だな」
「そんな音声認識機能などは搭載されていない。忘れたのか。ここはまだ望みの叶う場所だ。それより羽間を頼む」相変わらず仲村は古林の言うことを理解できずに只、渋々と従うだけだった。
羽間はすやすやと寝息を立てていた。死んではいない。一先ずホッとする。
「羽間」仲村は肩を揺する。羽間は薄目を開け仲村を見る。口を開きかけたが再び目を閉じ寝息を立て始めた。
「寝かせておけよ。俺達も一息つこう」古林はパソコンの前にドッカリと腰を下ろした。ミズホも入力作業が終わったらしく棚にあるクマのぬいぐるみを眺めている。仲村の様子を見た古林は「落ち着いたようだな、仲村。今までの事、憶えているか」
「ああ、お前達と一緒に連絡の取れなくなった羽間を探しに来たんだ。羽間が無事で良かった」
「此処まで来る道中のことはどうだ」
「お前がミズホをどうしても連れて来ると言って聞かないから仕方なく電車で駅まで来て。そう言えば電車の中でお前の講釈を聞いたな。そして此処まで歩いて来ただろう。そしたら部屋中は霊塵まみれで、気が付いたら羽間は寝ているし、部屋中の霊塵も消えていた。何故だ。何が聞きたいんだ」訝しそうに仲村は古林を見た。
「特に変わった変化は無かったか?駅での出来事は憶えているか?」
「別に何事もなくいつもの道のりを来ただろう。ただ此処へ着いてから何かあったような気もするが。どうしてかな。何か思い出せないんだ」
古林は一呼吸置き、更に考え込むような仕草で話す。
「俺達はこの部屋で
古林が携帯電話の取説を取り出そうとしている。それを見た仲村は慌てて「何も言うなよ。俺は聞かないぞ」
「聞きたくなくても聞けよ。今、いや此処では時間は意味を待たないか。新たな現実が上書きされたようだ。変化は極僅かのようだが」
「上書き?現実をか?そのパソコンが?」仲村はテーブルのノートパソコンを見る。
「パソコンに現実の書き換えなんて出来ない。モニタリングしているだけだ。あのノートパソコンに表示されていたのは他の現実に存在する同じパソコンとのアクセスログだ。理由は分からないがネットでは他の現実とリンクが出来る事があるようだ。あの時、IP電話だけは使えただろう。インターネットもIP電話もどちらも同じ通信規約を使っている」
仲村はひろみとの通話を思い出す。あの時はひろみの存在する現実へ繋がっていたのか。
「何故・・・そのパソコンが他の現実とリンクが出来たんだろう」独り言のように仲村は呟いた。
「さあな。しかしそのパソコンもこの世界で生まれた人が造り、この世界で生まれた物だ。人と似たような現実がパソコンにもあるのだろう。人間とは違う現実だと思うがこの世界の理は適用される。パソコンの現実も変化し何処かの現実に影響をあたえる事もあるのかも」
「パソコンの現実だと。おかしな事言うなよ」仲村は力なく呟く。人もパソコンもこの世界で生まれた物だからパソコンの現実も人間の現実も同じ尺度で考えているのか、古林は。もっとも本当にパソコンの現実と言う物があればだが。
「これだけは言えるよ。仲村、お前の現実も俺の現実も変わったよ。いや変わりかけているのか。この場ではそれが観察できる」何時になく真剣な表情で古林は言った。
仲村にはその自覚がまったく無い。何処が、何が変わったと言うのだ。古林を睨み返す。
「お前の記憶と俺達の記憶に相違が見られる。それぞれの現実に合わせ記憶も上書きされたようだ。この場にいるとそれが観測可能だ」古林は横目でミズホを見た。ミズホは羽間の頭に丁寧に鬘を装着していた。
仲村は古林の長広舌に話しを挟むことができなかった。確かに記憶の欠落は自覚できる。所々記憶が曖昧だ。いや、空っぽだ。空白感とでも言うのだろうか。俺が見た物を古林達は見ていないと言う。それにいつものことだが古林の話が理解できない。だから肯定も否定もしようがない。ただ、今、現在自分が置かれている異常な状況は信じざるおえない。現実が変化するだと。記憶も変化する現実にあわせ上書きされるだと。今までの記憶はどうなる。どんな風に変化するのだ?無くな
るのか?すでに大事な記憶の一部が変わっているのか?反射的に腕時計を見た。父親の事や別れた家族の顔が胸に浮かび上がる。まだ大丈夫だ。思い出せる。
腕時計の音が叫ぶように聞こえる。無くしたくない。俺の記憶は俺の物だと。思い出を奪わないでくれと。つらい記憶も忌まわしい記憶さえ今はとても愛しく感じられた。どうしても古林の言うことは受け入れられない。
「そんな簡単に現実が変わってたまるか!」と噛みつくように仲村は言った。
「信じようが、信じまいが構わない。仲村の自由だ。いつだって状況説明を求めるのは仲村だよ」諭すように古林は言った。
そう。信じる、信じないは俺の自由だ。しかし今までの古林の言うことが当たっているとすれば・・・、現に古林とミズホによって此処へ、羽間の所へ導かれではないか。流れが古林の話す通りに進んでいる。もしかすると此処は古林の現実ではないのか。だから古林の言ったとおりに状況が進んでいるのでは・・・。古林の此処は「願いの叶う場所」だと言った言葉が思い出される。だが納得できない。やっぱり・・・ここは・・・自分の考えを必死で否定する。反論しようとする仲村の態度を察してか仲村が口を開く前に古林は「この場で羽間の現実を観測した事により現実が世界によって書き換えられた。俺の現実も、お前に現実も。ミズホの現実もだ」
「そんなに現実は容易く変化する物なのか何が現実を書き換えるんだ。大体現実を書き換えるってどう言う事だ」仲村は語気を強め古林に質問する。
「さっきから言っているだろう。この世界さ。水が高い所から低い所へと流れる事と変わりない。この世界の理に従って変化していく。この世界の自然な現象、摂理、法則だよ。それに此処は観測点、願いの叶う場所だ。お前は何を望んだ。羽間に会うことだろう。俺やミズホは事の成り行きを見定めたいと願った。それだけでも観察出来るあらゆる現実に、事象に影響を与えている、と思う」
「願うだけ・・・で。お前の言うことが本当なら俺達は神様だな」と茶化す仲村。
「この場では俺達が我欲を持った主観で観察することがこの世界の現実にどんな影響を及ぼすか解明できていない。この世界の神に成るには我欲や想いを持たない真に中立で無心の観察眼を持たなければ何でもかんでも完璧な創造する事は出来ない」仲村が茶化した事を知ってか知らずか、古林は真面目に答え、更に話しを続けた。
「現実への書き換えは瞬時だ。その現実の中に存在する俺達には現実の変化は認識できない・・・。が例外もあるこの場にいる事と、それと」
「それと、それと何だ?」
仲村の問いかけに古林はソファーで寝そべっている羽間を見た。
「羽間か・・・羽間が例外なのか・・・」仲村の表情が更に曇る。何となく感じてはいたがはっきりと古林に言われると反論したくなる。が今の自分には言い返すことが出来ない。
静まり返った部屋に冷蔵庫の作動音が響き耳に付く。うるさい冷蔵庫だ。
「多分な。俺達の存在するこの世では羽間自体が特異な存在ではないのかと思われる」
「どう言うことだ」古林と行動を共にしてから何回目の台詞だろう。数え切れないほど口にした気がする。その度に疲労感が増す。
「羽間は本当に俺達の友達だったのか、羽間は本当に俺達の現実に存在していたのか?」
「何を言っている。羽間は・・・、どう言うことだ」まただと自分の言葉に仲村は溜息をつく。
「俺にも確かに羽間に関するする記憶や思い出がある。本当にそれは自分の思い出か。間違いなく今までの自分の思い出だと言い切れるのかな。もしかしたら仲村、お前との思い出だって怪しい。世界が他の現実から寄せ集めてきた、この世界にとって都合のいい記憶に再構築された思い出かもしれない」
古林の言葉に沈黙する仲村。先程からの古林の世界観、現実観が胸に沸き上がり、真っ向から否定出来ない。自分自身も羽間の記憶に対して自信が持てない。が、羽間に関する記憶も思い出も鮮明に胸の中にある。色々な出来事だって気持ち悪いくらい明瞭に胸の奥底から沸き上がってくる。記憶がハッキリしすぎて気持ちの悪い位だ。昨日の記憶のようにハッキリしている・・・。新しい記憶か?
「なっ、何故そう思う」
「さっきミズホが預けた刀の欠片を出してくれ」
仲村は臙脂色の小袋の中から欠片を取り出した。
「これは今し方、羽間の机のアッシュトレーの中で見つけた物だ」
仲村は小袋から取り出した欠片と全く同じ欠片が古林の手の中で光っていた。見比べると切っ先の形から刃文の形、破断面まで寸分違わず同じだった。更に驚いたのはその欠片が放つ気のような物だ。清浄で冷たい光を放つ地金から底知れない力の波動が感じられる。紛れもなく両方とも同じ物だとしか思えない。更にはこの欠片が持つ同じ雰囲気を知っている。ミズホから渡された時も感じた。羽間だ。羽間が放つ独特の雰囲気がこの日本刀の欠片からも感じられた。
「これを見てどう思う?」
「全く同じ物に見える」
「有り得なと思わないか。一つの現実上に全く同じ物が存在するなんて事は。羽間は俺達のいる現実に存在していた人間では無いと思う。物理的に他のページから来たんだよ。この欠片と共に」
「物理的にって・・・。俺たちはどうやって此処へ来たんだ」
「前にも説明したが俺たちは自分の現実から体ごと移動している訳ではない。意識、いや魂と言ってもいい。それが他の現実の自分という存在にシフトしているのだ。良い例がここへ来る前に俺の主観現実を見ただろう。お前は俺の主観現実の仲村という存在にシフトした。一つの現実に同じもが二つあるなんてことは世界の理が許さない。法則の整合性が保てない。物理的に他ページからの移動は不可能だ。不可能なはず、なんだが。だが、羽間は・・・」
仲村は古林の言い分を認めたく無かった。しかし事故を境に羽間から受ける印象は儚さや存在感の無さだった。
そう、この世のものとは思えない。羽間は余所のページから、視点の違う世界から、生身でやって来た。今までの古林の理屈を認めれば自分の記憶は世界の法則によって都合の良いように改変された記憶を受け入れる事になる。だからなんだ!と言う思いと、どうすればいいのかと言う思いが葛藤し、途方に暮れどうすることも出来ないでいた。それに羽間に会ってはみたがこの状況をどうすることも出来ず持てあましている。
「どうなるんだ。これからどうすれば・・・」そんな無力感しか頭に浮かんでこなかった。悔しいがここでは頼みの綱は古林とミズホだ。俺にはどうすることも出来ない。それにしても冷蔵庫の音がうるさい。古林が話の続きをしているが頭に入らない。それでなくても古林が何を言っているのか解らないのに。
「うるさい冷蔵庫・・・だ。クソッタレ」と古林と冷蔵庫にまとめて八つ当たりをする。
「違う。冷蔵庫じゃないわ!」ミズホが叫ぶ。突然の叫びに驚き部屋中を見渡した。
人がいる。誰だ。ソファーで寝そべっている羽間の前に真っ赤な顔の男が立っていた。男の姿は立ち上る陽炎のようにゆらゆらと揺らめき羽間の前に立ち尽くしていた。
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