第17話 禍機

 銀のロードスターを止めたサービスエリアは正午も間近だと言うのに駐車している車は少なく、食堂も人が疎らだ。太陽はアスファルトを炙りジリジリと気温を上げ始めていた。

仲村はロードスターから降りもせず室内で腕時計を耳に当てていた。顔は天気とは裏腹に曇っていた。助手席には羽間から預かったノートパソコンが置いてある。置いてあると言うよりシートに投げ捨てられていると言った方がよかった。先日の九十九屋からの帰り、羽間から受け取ったノートパソコンを仲村は助手席へ向かって放り捨てた。包んでいたはずのタオルもいつの間にか何処かへいってしまい本体が剥きだしになっていた。アルミ製の筐体から齧られたリンゴのマークが目玉のように睨んでいる。

 仲村は耳に当てた腕時計をスマホに変え発信する。呼び出し音が続く。

「お掛けになった電話は電波の届かない・・・」携帯電話からは先程と同じ調子で同じ声で同じ台詞が流れてくる。今日六回目の羽間へのコールだった。繋がらない。携帯に向かい悪態をつく。宙を見つめ思い出したように羽間の主治医へ電話をしてみる。電話に出た看護師の返答は先生とは連絡が取れないとの事だった。連絡も取れず自宅にも不在、何か良くない事に巻き込まれたのでは無いのか、とても困っていると仲村相手に愚痴をこぼすだけこぼして看護師は電話を切った。不吉な予感が沸き上がる。これは不吉な予感などでは無い。と自分の予感を打ち消す。確信そのものだ。このノートパソコンは不吉だ。このリンゴのノートパソコンを預かってからずっと憂鬱だったと改めて思った。

 九十九屋から羽間を自宅へ送り、ついでに部屋へ寄った。このノートパソコンを借りるためだ。仲村は時間の許す限り羽間のマンションへ寄るようにしていた。部屋はいつものように寒々としていて生活感に乏しかった。羽間が話したような異変が有ったとは感じられなかった。リビングにある家族写真を見る度に我が事の様に胸が痛んだ。家族を失っている羽間の境遇を自分と重ね合わせている自分に気付く。いや少し違う。羽間の心は痛まない。痛める心もない。だから俺が変わりに心を痛めているのだ。それも違う。俺の場合、自ら別れたのだからその想いは間違っている。それとも家族と別れた事を後悔しているのか。同じ家族の無い仲間同士だと思い、安心したいのか。羽間の家族写真を見つめながら仲村は果てしのない自問自答を繰り返していた。

 目の前にノートパソコンが置かれた。仲村は悔恨の想いの底から現実に呼び戻された。

「これか・・・」と仲村の問いに羽間は何も言わず頷いた。仲村は置かれたノートパソコンを観察した。何の変哲もない、銀色の美しいノートパソコンだ。見つめていても埒があかない。この後の事は古林に任せればいい。

「俺、社に戻るわ。ちゃんと飯、食えよ」仲村は途中買い求めたまだ温かい唐揚げ弁当の包みを羽間に向かい押し出すとパソコンに手を掛けたその瞬間、押し殺した悲鳴が上がった。

「うえっ!」いきなり仲村は体を折り曲げ呻いた。内蔵が振動し、心臓が凍えた。何だぁ。今の感覚は。百ダース程の胸騒ぎと悪寒と虫の知らせに一気に襲われたような感覚だ。動悸が激しく高まる。

「どうした・・・?」仲村の異常な反応に羽間は表情も変えず尋ねる。

「このパソコン変だぞ」吐き気を堪えながら仲村はノートパソコンを睨み付けた。

「何処が・・・?」二人の間を沈黙が流れる。仲村は羽間の目を見る。羽間も黙って仲村を見返していた。仲村の苦しそうな顔を見ても羽間の表情に変化はない。仲村は覚悟を決めもう一度恐る恐る指先をそっと伸ばしパソコンに触れてみた。何も感じない。先程の異常な感覚は襲ってこない。

「気のせいか・・・気のせいだったみたいだ。後で連絡する」そう言い残すと仲村はパソコンを羽間から借りたタオルに包み慎重に抱え上げると部屋から出た。あの時の異常な感覚が恐ろしく素手で触りたく無かった。タオル越しに感じるノートパソコンの筐体が刺すように冷たく、抱えた腕からは体温が逃げていった。

 仲村がノートパソコンを預かってから三日が過ぎようとしていた。自分の部屋に持ち込む事は絶対に嫌だった。車の助手席にノートパソコンを放り投げそのまま放置していた。そのノートパソコンが側にあることがたまらなく嫌だった。このノートパソコンに本能的な嫌悪感を発していた。直ぐにでも古林の元へ届けようと思っていたが仕事の忙しさから行けないでいた。

 何時までも放置して置く訳にも行かず意を決しノートパソコンとのドライブを決め込んだ。羽間には言わなかったがこのノートパソコンはただのノートパソコンじゃない。触れた時のあの感触を思い出す度に体中の体毛が逆立つような不快感に襲われた。古林の元へ持ち込めば何か事態が動くと仲村の直感は告げていた。仲村はその直感を信じたくなかった。ノートパソコンを預かって以来、気分は最低だった。やたらと落ち込み悲観的、消極的になっている自分がいた。俺をこんな気分にさせるのは絶対にこの不吉な気を放つノートパソコンの影響だと確信していた。今回の事には心底、関わり合いになりたくなかった。いつもの俺なら真っ先に首を突っ込んで行くのに。普段悩みもしないことを悩んでいる。こん

な気持ちは生まれて初めてだった。

 今、仲村の心を埋め尽くす痛みは家族の事だった。何故、今更、今になってこんな思いが湧いてくると自分自信に腹が立つ。別れた妻や息子の消息など逐一解っているのに。時々、息子にも会っているのに。別れた妻も息災なのに。憎しみあって別れた訳ではないのに。お互い納得し円満に別れたつもりだったのに。今も別れた妻とはいい関係だ。と思う、多分。会えば軽い冗談を言い合ったり、ふざけ合ったり、息子の教育問題も真剣に討議もする。夫婦と云う関係じゃ無いだけだ。本当に俺は心の底からそう思っているのだろうか。今は・・・不思議なほど後悔や慚愧の念が心の奥底から湧き出してくる。そんな自分に何度も腹を立てる。ひたすら恋しかった。息子を思いっきり抱きしめたかった。ノートパソコンから出る得体の知れない気に引っ張られ後悔と言う奈落の底へ引きずり込まれている。その事は頭では理解出来ているのにどうすることも出来なかった。

 腕時計を耳に当て時を刻む音を感じる。こんな気分の時、親父ならどうしただろう。親父の顔が目に浮かぶ。多分、なすがままだろうなぁ。・・・・きゅうりがパパ。その子供の俺はトマトかじゃがいもか・・・。思わず苦笑いを浮かべる。自分のダジャレのセンスの無さにだ。最近の若い部下から敬遠される訳だ。落ち込んでいても自分を茶化してしまうのは張り詰めた気分から解放されたいが為だった。

 缶コーヒーを一口に含む。信じられないと云った表情で缶を見つめた。缶コーヒーは味がしなかった。缶を見つめていると突然何の脈絡もなく疑問が沸き上がった。それは今の落ち込んだ気分と全く関係ない思いだった。俺は何故、今度の番組のネタを異界にしたのだろう?没にしようと決めていたはずだが。呪いのネット占いやネットゲームに出現する電脳妖怪とか色々候補は有ったはずだ。何故、あの羽間の資料を古林に渡したのだろう。古林に資料を渡した時の記憶が曖昧だった。歳の所為を疑うが直ぐその気持ちを打ち消した。何か得体の知れない大きな流れに乗せられている気がしてならない。今までは俺が番組と言う道具で視聴者を乗せてきた。今度は俺の番か。

「何を馬鹿な考えを・・・」そう呟くと前方に広がる青空を睨んだ。一筋の飛行機雲が白い航跡を空に描いていた。一呼吸おくとイグニッションキーを捻った。イグニッションキーもクラッチもとても重く感じる。火の入ったロードスターのエンジンは仲村の気分とは裏腹に軽快に吹き上がりうっとりするようなエキゾウストノートを奏で本線への合流地点へ向かった。

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