第16話 ひろみと由子

今日は朝から酷く気分が悪かった。そして何かに腹を立てていた。体調が悪いわけでも無いし、仕事や生活が行き詰まっている訳でもなかった。何故か気持ちが落ち着かずイライラが募っていた。天気の所為だろうか。窓の外を見る。朝から雨が降ったり止んだりを繰り返していた。真衣が学校から帰ってくるまで大分時間がある。気晴らしでもしようと、お気に入りのブックマークから掲示板を選ぶ。ハンドルネームはパコンと言う名で出入りしていた。友達が運営しているサイトだった。ひろみはその彼女と自分はソウルメイトだと信じていた。

 彼女がサイトを立ち上げた時に、偶然、ひろみが掲示板に出入りをしていた。書き込みを交わす内に気が合い、意気投合するようになった。さらに驚いたことはオフ会で会った彼女とは高校の同級生だった。高校生当時はお互いに話をした事も無かったが顔だけは憶えていた。そんな事もあって二人の関係は瞬く間に親友関係に進展した。

 オフ会で顔を合わせた当時、彼女は荒らしや煽り、スパムに悩みサイトの閉鎖を考えていた。そんな時、ひろみとの出会いで彼女はサイトのリニューアルを選んだ。このサイトのデザインはひろみの手によるものだった。トップページのハナコさんのモデルはもちろん愛娘の真衣だった。

 彼女の掲示板を覗くのは一週間ぶりだった。最初の頃は毎晩入室し悩みや、雑感など書き込んでいた。まだ昼間だし誰も来ていないだろうなと思いながらモニターに映し出されたレスを読み始めた。あれ、私がこの前来た日から更新されてない。あの日から誰も来てないの?最新の書き込みを読んでドキリとした。しかも書き込んでいるのは由子だ。


943 名前:お魂 投稿日:20XX/06/30(火)01:44 ID:wM6/9y0u 

damama>あなたは、この世の者ではないここから出て行きなさい


急いで画面をスクロールさせる。書き込みを見た瞬間、ドクンと胸が破裂するかと思うほどに心臓が脈打つ。「damama・・・ダママ・・・まさか・・・」ひろみは叫んだ。何故、どうして、この掲示板にダママが載っているの?喜びと希望が胸の底から湧き上がる。ひろみは無意味にリロードする。当然、何も更新されない。今この掲示板に来ているのはひろみだけだった。ひろみは息せき切って電話をかける。受話器の奧で呼び出し音が響く。早く出て!何やっているのよぉ!

 

 由子は微睡んでいた。何処か遠くで着信音がしている。何処で鳴っているのだろう。普段よく聞いている。聞き覚えのある着信音だわ。意識が深い底から徐々に浮かび上がってくる。鳴っているのは私のスマホだ。あの一件以来、体がだるい。体が冷える。腰が痛む。お腹が痛い。生理でもないのに酷い生理痛の症状だわ。体調を崩し会社も休みがちだった。今日も起き上がる気力もなくベッドから抜け出せないでいた。誰か出てよ。着信音が止まった。安堵から意識が体中の苦痛や不安から解放され、心地良く暖かな場所へと戻っていく。再び着信音が鳴り始める。うっさいなぁ。そっとしおいて。お願い・・・。沈んだ意識の奥底でそ

の着信音が只ならぬ用件だと予感が告げている。予感を無視し続けることは出来ず、やっとの思いで三回目の呼び出し音で酷く重く感じるスマホをハンドルネームお魂こと由子は取り上げた。

「ユッコ!何してしていたのよ。早く出てよ。掲示板!掲示板にダママってあったでしょう!・・・」

受話口から大音量で飛び出して来た声は名前も名乗らず騒がしく捲し立てた。声の主はひろみだ。由子には直ぐ分かった。聞こえてくる声の調子や話し方はいつものひろみらしくなかった。しかし朦朧と意識を一瞬で覚醒させたのはダママの一言だった。何故、ひろみが・・・由子は言葉を発せず受話口で押し黙っていた。

 

ひろみはベッタリと手に汗を滲ませスマホを握りしめ耳に押し付けていた。

「はい・・・もしもし・・柳野です・・」ようやく電話に出た由子の声は生気が感じられずドンヨリとしていた。眠っていたの?それも怠そうな声で。何だか無性に腹が立つ。

「ねぇ。掲示板の書き込みでダママってあったでしょ。あれどう言うこと!何故貴方の掲示板にダママが書き込まれているの?書き込んだ人は誰?ねぇ教えて。何故・・・」言葉が止まらない。電話の向こうは押し黙ったきりだ。話しても反応が無いことが許せなかった。何故黙っているの?早く、早く何か言って!私は知りたいのよ。知らなければいけないの!

 

「ダママがどうしたの・・・あれは、あれは・・・」由子は精一杯声を振り絞る。由子にとって言葉にする事も話題にする事も憚られる事だった。ひろみの様子がいつもと違う。いつもなら今の私の声の調子を聞いてまず心配してくれるのに。電話からは怒りを帯びた焦りの感情が溢れてくる。どうしちゃったんだろう。


「ダメよ!あれはダメよ。関わっちゃだめ・・・」やっとの思いで由子の声が聞けたかと思ったらいきなり否定的な台詞だ。ひろみは一瞬言葉につまる。何を言っているの。忘れたの。その言葉。もう焦れったい。言葉より気持ちの方が先走る。あの言葉は私達家族の合い言葉みたいなもの。あの人の手がかりなの。お願いよ、教えて。

 

 受話口から怒鳴り声が聞こえビクリと由子は震えた。何故あんな危険な書き込みに必死になっているか解らなかった。ひろみの霊能力は小さい。人より幾らか勘が良いレベルだ。だが関わり合いになればひろみだってただでは済まない。レベルの問題ではない、霊能力の有る、無しに関わらずとても危険だ。ひろみがダママと連呼する度に肝が冷える。ビクビクと辺りを見渡す。

「ユッコ忘れたの!ダママよ、ダママ。それとパコン、ブボン!」耳に受話器を当てなくても異常とも言える剣幕での声がスマホから部屋中に響き渡る。ひろみは何を言っているの。気でも違ったの?


「忘れたの!真衣の・・・」ひろみはスマホを握り締め叫び続けていた。

 

あっ。思い出した。真衣ちゃんの話し始めの・・・言葉だ。と言うこと

は・・・行方不明の旦那さん関係か・・・。夫の無事を頑なに信じているひろみには伝えられないでいたが、彼女の夫がすでにこの世にいない事を由子は感じ取っていた。由子はひろみが慌てふためく理由を一瞬で理解した。たとえひろみの頼みでもダママに関わることは真っ平だ。ダママに近づく位なら死んだ方がましだと思っていた。

「ダメ。それなら・・・なおさら、この世のモノじゃない。本当にダメよ」由子は毅然とした声で言い放った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る