第3話 蒼い悲鳴
俺たちは飛ばされた。随分と昔の出来事に感じる。オフィスの窓に写る自分の顔に仲村は話しかけた。窓に写る自分の顔は疲れ、何時になく感傷的な表情を浮かべている。今日も真夜中までオフィスいた。此処が自分に残された、たった一つの居場所のように感じる。自宅に帰りたくないと言う訳でもないが、帰った所でも何もない無い。此処が自分の居場所だと言う思いが強かった。
羽間と組んで仕事をしていた頃の記憶が昨日のように溢れてくる。今日の自分はおかしい。自分は過去を懐かしみ、あの頃は良かったなどと言うタイプの人間ではない。これは誰にでも自信を持って言える。だが今日はあの頃の記憶が胸の奥底から噴火する火山の如く沸き上がり記憶に溺れていた。
当時、仲村と羽間は局で報道番組の制作していた。あるニュースでの羽間と仲村が扱った取材記事が思わぬ混乱を引き起こし、子会社の制作会社へ移動させられた。彼らのしたことは真実をありのまま伝えただけ。それが大問題に発展した。羽間と仲村で無ければ免職させられていた。馘首にするには仲村と羽間は優秀すぎる実績と人望を得ていた。局内にも二人の処分に納得できない人間が多数いたし、上層部にとっても逸材ではあったがそれと同時に目の上のこぶでもあった。上層部は二人を眼の届く所に置いてほとぼりを冷まそうと考えた。優秀な人材の流失は今回の問題より不利益の方が大きいと判断したのだ。いずれ時期を見て復帰させるつもりでいた。事実、二人にはヘッドハンティングの人間が数人接
触していた。左遷先の局資本の制作会社でも二人は革新的な教育番組を創り上げる。仲村も羽間も局の花形である報道から追放されたことを恨みもしなければ苦にもしなかった。いたずらを咎められた子供の気分だった。彼らの行動原理は「面白ければいい」それだけだ。面白ければ報道だろうと子供向け番組だろうと何でもよかった。二人はどんな状況下でもその状況を楽しみ、新しい物を創る才に長けていた。そんな性分の羽間はそこでも問題を引き起こす。子供向け番組の取材から大企業と国会議員の環境問題に絡む汚職問題のネタを拾ってきた。幸か不幸かその大企業のグループに自局が名を連ねていた。
羽間はその事件の詳細を事もあろうか自局の古巣である報道局へ持ち込んだのだ。当然その事件は上層部によってもみ消される事となる。どうしたら大根の発芽観察や育成の取材から大企業と国会議員の汚職が見つかるのだろう。羽間自身、社会正義に燃えて告発するなどとは思わず、その事件の構造が面白い。が、動機だった。羽間は理不尽な理由で退職を言い渡される前に自ら去った。局に未練はなかったようだ。当時、新しい番組の立ち上げで東奔西走していた仲村には一言「やってみたい事がある」とだけ言い残して。
何か新しい興味を引くことを見つけたのだと仲村は思った。羽間を特に引き留めようとは思わなかった。その後、羽間はルポライターの道へ進み数々の記事で話題を集めることになる。
羽間が局を去ったあと仲村はワイドショーの心霊現象再現ドラマコーナーを任される事になった。このドラマが評判となり独立して深夜枠へと移動する。羽間と組んでいた仲村を局が表立って処分できなかった理由には局内で仲村は視聴率職人と言われていたからだ。仲村制作の番組は記録的な視聴率を上げるわけでは無いのだが、安定した数字を常に上げていたし、とにかく人脈が広く、何よりスポンサー受けがいいのだ。仲村の制作する番組は何であれ、当たるか、外れるかのギャンブル的要素が少なくそれが仲村を視聴率職人と言わしめた所以だ。
深夜枠に移った仲村の番組はその時間帯では異例な高視聴率をマークした。番組自体これと言って目新しい物では無く、都市伝説をベースとしたドラマだった。質の高い再現ドラマと検証レポートからの構成でなるこの番組の特色は情報量の多さにあった。あらゆるメディアや口伝、噂話、から民話まで考えつく全ての情報を網羅し都市伝説の元ネタを探る事が基本テーマだった。オンエアー当初はマニア層に指示を受けていたのだがそれが口コミやネットで広がり話題となっていった。再現ドラマは低予算ながら練りに練った脚本とクオリティー高さがホラーファン、ドラマファンから支持を集めた。この番組で話題になった再現ドラ
マはスピンオフしてハリウッドでの映画化が決まった。監督もそのドラマを演出した本人が起用され、当時無名のテレビショッピング専門だった役者も一緒にハリウッドへ行っている。希有な人材発掘も仲村の才能の一つと言えた。だだ一つ誤算があったとすれば仲村自身、この番組がこれほど話題になるとは思っていな
かった。そしてこの番組は局の番組改編期の特番として年二回ゴールデンタイムに登場することなる。
仲村は生まれて初めて強烈なプレッシャーを感じていた。それが何故なのか解らない。
番組制作時のプレッシャーは何時も当たり前に感じているのだがこれほど強烈なプレッシャーは初めての経験だ。自分の番組がゴールデンタイムに放映され早三回目になろうとしていた。それなりの数字を出さなければならないプレッシャーからなのかと仲村は思う。
それは違うと仲村は自答する。本当のところ視聴率などたいして気にしていなかった。
俺が面白ければいいのだと言うのが仲村の偽らない気持ちだ。もしかしたらこの番組に飽きてきたのだろうか。そうかも知れないなと呟く。何となく仕事に身が入らない。行き詰まり、息の詰まりそうな閉塞感で思わず窓の外を眺める。深夜とはいえここは都心。ビル群には沢山の光がともっている。殆ど星見えない都会の濁った夜空を背景に滲むように光るビルの灯火が眩しい。
仲村はぼんやりと窓の外を見つめ耳を澄ませる。聞こえる。女の泣き叫ぶ声を思わせる音が。何十年振りだろう。魔女の金切り声、悲鳴、怪鳥の鳴き声。どう表現していいのか解らない。俺にはこの声が子供頃よく聞こえていた。それは、いつの頃から聞こえなくなった。最近、また聞こえる。何かの・・・前触れだろうか?
あの声を初めて聞いたのは確か、小学校へ上がる少し前だった。凍てつく夜。いつも決まってこの時間帯だった真夜中に目が覚めるといつも窓の外を見ていた。外は雪景色。月の光が野原に降り積もった一面の雪と空気を青く染めていた。清浄なる月の光。静寂と限りなく澄んだ青いガラスの中に閉じこめられ、時を止めた世界。仲村はこの透徹した青い雪明かりが好きだった。突然、「あいぃぃぃぃ~っ・・・・」「きゃあぁぁぁぁぁぁ~・・・・」と夜の静寂に悲鳴のような音が響き渡る。四方八方から仲村の家を包み込むように響いてくる。響
き具合から随分と遠くの方から聞こえている。実際は言葉や文字では表現できない。悲鳴のようでもあり、泣き声のようでもあったし、甲高く澄んだ女の声にも聞こえる。不思議と恐怖は感じなかった。ただ悲鳴に似た泣き声が聞こえると思うだけだった。何時しか仲村はその音を「蒼い悲鳴」と呼ぶようになっていた。
その事は誰にも話した事は無かった。幼い頃から聞いていた日常の音だった。真夜中に目が覚め、窓の外を眺めていると度々聞こえてくる。風の音や梢の葉擦れ音を一々他人に報告したり話題にしたりしない。
それと同じだ。その「蒼い悲鳴」は仲村が故郷を離れるまで時々聞こえていた。
いつの間にかその声は聞く事が無くなっていた。聞こえなくなった事さえ気づかなかっ
た。いつの頃だろう。仲村はその真夜中の悲鳴が普通では無いと気がついたのは。仲村が大学も終わりの頃だった。ふと気がついたのだ。あの遠音が聞こえない。いつも当たり前のように聴いていた音が聞こえない。自分の周りの人間はいつも真夜中に「蒼い悲鳴」のような遠音を聞いているのだろうか。結局その事は誰にも質問しなかった。真夜中に悲鳴が聞こえるかいと。聞かなくても答えは分かってい
た。世間一般常識に照らし合わせても毎晩、泣き叫ぶ悲鳴のような遠音を聞いている人間はいない。仲村にはいつも当たり前に生活の中にある音だったので気にしてはなかったが。何故、何年も気がつかなかったのだろう。今となっては疑問が残る。今ならあの「蒼い悲鳴」は何かの野鳥の鳴き声か獣の雄叫びだろうと結論づけただろう。「蒼い悲鳴」が聞こえなくなった事に気づいてから数十年、それ以来その遠音を聞く事も思い出すことも無かった。しかし、最近また聞こえ始めたのだ。故郷を遠く離れたこの地で「蒼い悲鳴」が。
ここは都会だ。あんな鳴き声の野鳥や獣など此処にはいない。世界中探しても多分いないだろう。防音処理が施してある高層ビルの中に外の音が入り込んではこない。仲村は「蒼い悲鳴」を数十年ぶりに再び聞き、気づいたことがあった。
「蒼い悲鳴」は自分の頭の中から聞こえていたことに。
仲村は目を瞑り、腕時計を耳に近づけた。チッチッチッと時を刻む音に聞き入る。父親の形見の古い自動巻の腕時計だった。子供の頃この音が好きでいつも父親の太く逞しい腕にしがみつきこの音を聞いていた。父親の腕の温もりを感じ腕時計の音を聞いていると妙に安心した。
父親はごく平凡な会社員だった。普通に子供達を育て、普通に家庭を守り、普通に死んでいった。家では所かまわず屁をひり、全裸に近い姿で歩き回っていた。どこにでもいる普通の父親だった。父親が亡くなった時、殆ど悲しみは感じなかった。悲しみより喪失感の方が大きかった。仲村もかつては男の子だった、年頃には父親と衝突する事も多かった。父親の生き方をつまらないと思った事もあった。しかし、自分は親父のように普通の家庭を作り、守ることが出来なかった。俺の親父はりっぱだ。普通の人生送ったのだ。別れた息子と妻の顔が目に浮かぶ。養育費や生活費を渡した所で父親の役目を果たしている訳ではない。家庭から家族から逃げたのだ。俺には親父みたいな普通の人生を送れそうもない。
違う。普通で当たり前な人生が送れないのだ。父親の死後、数年が経とうとするが、父親の死は歳を負うごとに仲村の中で大きくなっていた。仲村は再び腕時計を耳に押しつけ暫くの間動かなかった。
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