第2話 ハロウィン

 ひろみはドロー系アプリのイラストレーターに図形を展開させべジェ曲線をマウスで操っていた。仕事に身が入らない。ペンタブレットを使えばもっと効率的に仕事を進められる思いながらも描画には不向きなマウスをあえて使っている。

 タブレットを使う位なら初めから直接紙に描き、スキャナーで取り込んだ方が良いのかもしれないと思う。しかしそれはひろみの制作手法ではない。マウスが良いのだ。ひろみのイラストは何層ものレイヤー上にべジェ曲線で描いた地紋や図形、文字を展開させ重ね統合する。多いときには数十層近くに及ぶ。レイヤーを何層も重ねる事によってイラストに奥行きや不思議な効果が出てくる。今、モニターにはパッチワークのように色鮮やかなな図形や文字が表示されていた。どことなく日本伝統の和柄を思わせる。ポスターの背景にあたる部分だ。

 何か苦行でもするように、複雑な曲線をマウスでモニターに落としてゆく。忙しさと煩わしさで頭をいっぱいにしておきたかった。

思い出すから・・・。

 出来た図形や幾何模様に不透明度三十パーセントに設定した藍色を乗せてみる。何かしっくりこない。カラーパレットから作っておいた色やパターン選び繰り返し試してみる。ピンとこない。気分が乗らない。「ここは中紫のグラデーションの方がいいかな?」側で絵を描いている娘の真衣に話しかけた。真衣はクレヨンをにぎりしめ、転た寝をしていた。半開き口からは涎が光っている。クスリと微笑み、真衣の描いた絵を見た。眉間に皺が寄る。胸に氷の刃を突き立てられたような冷たく鈍い痛みが走る。不安、悲しみ、恐怖、悔しさ、負の感情が体の奥底から津波のように一気に押し寄せ、ひろみの胸が張り裂けそうになる。真衣は父親の絵を描いていた。子供らしい鮮やかな色使いと元気一杯な線で画用紙

いっぱいに描かれている。真衣の絵を見る限り父親が何年も不在になっている事など微塵も感じさせない年相応な健康的な絵だ。

 真衣には本当の事は話していない。父親は長い出張へ出掛けているとだけ話していた。

真衣もその事を納得していた。父親が行方不明になってからひろみと真衣の親子の間には不思議と父親の話題が少ない。ひろみが父親の事故の事を隠しているせいもあるのだが、真衣も父親の事をあまり聞いてこなかったし、何時帰るのかとかとしつこく尋ねる事も無かった。お父さんが帰ってきたら何して遊ぼうかなと時々、父親の事を楽しそうに話すくらいだった。それがひろみの心を痛めた。彼女は父親が必ず帰って来ると信じている。ただ不自然なほど真衣とひろみの間に父親の話題が出ない事にひろみは気付いていなかった。

 どうして?どうして居ないの。本当に死んだの・・・?。何処かで生きているの?私はどうしたらいいの・・・会いたい・・・。ひろみの夫、真衣の父親が行方不明になって三年近くが過ぎようとしていた。幸いにも蓄えはあった。贅沢さえしなければ、今すぐに仕事をしなくても真衣と二人、十分に食べていける。大学だって出してあげられる。あの人が残してくれた。遺産と言う程ではないが・・・。

 何故、過去形で言うの。あの人は死んではいない!仕事や家事に没頭してないと気が狂いそうになる。最近、テレビのワイドショーなどで使うイラストやホームページのデザインなどの新しい仕事も増えてきている。ひろみはオーバーワークを承知で来る仕事は全て受注し、断るような事はしなかった。今度、真衣にワンピースを買って上げよう。色は何色がいいかな。彼女は黄色系の色が似合うわ。なんたって希望の色だもの。ひまわりの黄がいいかな。それとも山吹色、銀杏の黄色も悪くないわね。オレンジ色・・・オレンジ・・・。

ひろみは眉間に皺をよせ思い出したようにブラウザーを起動させる。一瞬、躊躇いながらもブックマークメニューからお気に入りのサイトのURLを選択する。

死体閲覧サイト表示される。夥しい数の死体画像が表示されていた。

 ひろみが五歳の頃だった。居間のテーブルの上に一冊の週刊誌が広げられていた。広げられたページを見たひろみはそれに魅入られ、目が離せなくなった。そのページに掲載されていたものはモノクロの死体写真だった。何処かの国で戦渦に巻き込まれ無惨に射殺された男の写真だった。顎の下から入った銃弾は頭頂へ向かい頭蓋骨の中で跳ね回り後頭部から飛び出していった。頭の上、額から上が殆ど無くなっていた。路地裏に倒れている男の頭を中心に大きな黒い水たまりが広がり、その水たまりには白っぽい物や灰色の何かが混じっていた。頭の中で暴れ回った銃弾は男の脳やらその他周辺の物を全て道連れに飛び出して行ったらし

い。男の目はぽっかりと黒い穴があるだけだった。銃弾は何故か瞼さえも連れて行ってしまったようだ。半開き口からは何かがはみ出している。

 ひろみは男の写真を見つめ「あら、ら。この人、中身が出ちゃったんだ。からっぽだぁ、かわいそ。まるでジャック・オー・ランみたい」ひろみは先週家族で行った遊園地の事を思い出していた。その遊園地は当時では珍しいハロウィンのパレードをやっていた。色鮮やかな灯りで満たされた、それは愉快で楽しい行進だった。ジャック・オー・ランタン、魔女、悪魔、骸骨、見た事もない怪物のメイクをした大人や子供たちが「トリック・オア~・トリートォ~」と叫びながら練り歩いていた。

 ひろみは大きな鷲鼻の魔女からキャンディーを一掴みもらった。それはありふれたキャンディーで、以前にも食べたことのある物だったがとても嬉しかった。母親に「トリック・オア・トリート」と唱えるのよと言われ、母親に意味を尋ねると「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」って意味よ。そうなの!とひろみは目を輝かせた。で

もハロウィーンの時だけよ。と母親はひろみが年がら年中「トリック・オア・トリート」と唱えないように予防線を張った。

 男のぽっかりと空いた真っ黒な目の穴、空っぽになった頭がひろみにそう連想させたのかもしれない。

「あっ!お目々だ」男の頭の上に眼球が一つころがっていた。「もう一個は何処へ行ったのかな?」ひろみはモノクロ写真の中を一生懸命探した。夢中になっているひろみの背後で大きな声がした。

「ひろみ!何を見ているの。子供がそんな物見るのじゃありません!」

母親がひろみの背後で怖い顔して立っていた。いきなり週刊誌を取り上げられひろみはベソをかき始める。写真を見ていた事を咎められた事より、母親の声に驚いたのだ。母親はそれを持って父親の居る二階へと上がっていった。階段の方から父親へ向けられ

た母親の小言が聞こえてきた。小さな子供が居るのだから不用意にあんな週刊誌をその辺に置いておくなと言うようなことだ。父親の不注意を他所にひろみは咎められた事など忘れ、お気

に入りの絵本を読み始めていた。

 そんな出来事から数日後の黄昏時、ひろみは家で毎週楽しみにしている大好きなアニメを観ていた。ふと、感じるものがあり窓の外を見つめた。窓の外は夕焼けも終わり薄暗い紺色に空気が染まり始めていた。

「あっ!」と小さく叫ぶと玄関へ向かって走り出した。ひろみにとっては大きくて重い玄関の扉をヨイショ、ヨイショと押し開き、家の外へ飛び出た。ひろみは一瞬とまどった。外の風景が何時もと違って見える。何時もと同じ風景が玄関の外に広がっているのだが何だか違う。思わず空や周辺をキョロキョロと見渡した。

 頭の上には漆黒に近い濃紺の空が広がり、信じられないほどの大きな月がギラギラと瞬く夥しい数の星を従えていた。浮かぶ星の数がいつもの倍はある。辺りの家々の背景には夕日の名残が消え入りそうにボンヤリと濁った橙色の帯が残っている。不思議な事に近所の家には灯り一つ灯っている家は無く、街灯や電柱、電線が夜空に影絵を浮かび上がらせている。路地を照らしている物は開け放たれたひろみの家の玄関から漏れた灯りと月明かりだけだ。

 ひろみは周りの異変など気にかけず耳を澄ませた。聞こえる。目を凝らし声のする方向を見つめる。ぽつんとオレンジの光が点る。オレンジの光はふらふらとしたかと思うとぶれたり、出鱈目な動きをしながら此方へ近づいてくる。遠くで聞こえていた声が徐々に大きく聞こえて来た。暗闇の中、オレンジの光がはっきり見えてきた。ハロウィンで使うカボチャの提灯だった。

「ああっ!」と驚きの声を上げるひろみ。「あれはぁ・・・えっとぉ・・・

じゃっく、じゃっく・・。じゃっくおーらんたん・・・だ!」目を凝らして見るとカボチャ提灯の下に体がある。「あの人だ」ひろみは週刊誌のモノクロ写真を思い出した。写真と同じ服を

着ている。足を引き摺り、左右の肩を交互に激しく上下させながらひろみの方へ向かってくる。胴体にただカボチャ提灯が乗っかっているだけみたいで、歩くたびにカックンカックン、プルプルと体の上でカボチャ提灯が不思議な動きを見せている。目や口をくり抜いたカボチャの中で灯りがユラユラと揺らぎ、柔らかで暖かい光が周囲を照らし出している。

「トリック・オア~・トリートォ~」「トリック・オア~・トリートォ~」「トリック・オア~・トリートォ~」

 カボチャ頭が近づくにつれて聞こえていた声も大きくなる。カボチャ頭のオレンジの光に気をとられ気づかなかったのだが後ろには長い行列が何処までも続いていた。行列を作っているのは背格好から子供達らしく、ひろみと同じくらいの年頃に見える。魔女や骸骨、吸血鬼など思い思いの仮装をしていた。

 行列の先頭の方はカボチャ提灯の灯りでオレンジ色に染まっている。カボチャ提灯はまるで変梃なダンスのステップを踏むみたいにひろみの方へ向かって来る。ひろみは奇妙に揺れるオレンジの光とそれに続く子供達のパレードを観ていて楽しくなってきた。わくわくどきどきとした予感に胸が躍り目も輝きだす。ついにカボチャ提灯はひろみの目の前にやって来た。胴体に乗っているカボチャがカックン、プルプルと震えている。カボチャ頭の中で灯りが揺らめき柔らかな光を放ち、ひろみの顔を明るいオレンジに染めた。カボチャ頭の男をよく見ると肩口から胸にかけて血やらぬめぬめした液体で汚れ、飛び散った肉片や骨片、脳の一部らしきものも付着している。

 カボチャ頭の男は左手を腰に構え、右手を耳に手を当てる仕草する。カックン、プルプルプルとカボチャ頭が震える。ボタボタと足下に血や肉片が落ちてくる。

「えっ!え~とぉ、こん、こにちわぁ・・・・」ひろみは恥ずかしそうに挨拶をした。

カボチャ頭の男はもう一度耳に手を当てる仕草をした。ベチャリとまた足下に何かが落ちた。ひろみははっと気がつき、もじもじと照れくさそうに「と、とりっくぉあとりーと・・・」

と唱えた。最後の方は消え入りそうな声だった。一瞬、カボチャ頭の中の輝きが増す。カボチャ頭の男は腕にぶら下げたバスケットの中を引っかき回し何か掴むとひろみの前に握った手を差し出した。カックン、プルプルと頭が揺れ、ボトボト、ベシャッと肉片を撒き散らし、ひろみの目の前で勿体ぶった仕草でゆっくりと握った手を広げた。カボチャ頭の手にあったものは目玉だった。

「ああ、あった!」ひろみはその目玉を引っ手繰るよう握ると玄関へ向かって走り出た。

「おかあ~さん!あったよ~ぉ!。お目々があったよ~」ひろみはあの写真の男の片方の目玉が見つかった事がうれしくて、早く母親に教えようと玄関へ飛び込んだ。

「まぶしい」玄関へ飛び込んだとたん目も眩むような真っ白な光につつまれた。ひろみの

意識はそこまでだった。

 玄関で寝込んでいたひろみを母親が見つけ揺り起こした。ひろみは「あったよ。ほらっお目々」起きがけにもかかわらずひろみは興奮した声でカボチャ頭にもらった目玉を握りしめた手を開いて見せた。手の中は空っぽだった。「あれぇ」空っぽの手を暫く見つめ、弾かれたように外へ飛び出した。娘の取り乱しぶりに驚き母親も後を追った。外はまだ辛うじて夕暮れの面影を残し、周りの家々はポツリ、ポツリと電灯つき始めていた。街灯にも灯がともり、夕食の支度を始める匂いが

漂っていた。何時もと変わらぬ黄昏時の風景だ。カボチャ頭も仮装をした子供達も何処にも居なかった。

 ひろみは今し方あった事を母親に話した。母親は「あら、そう。ひろみは寝ぼけたのね。

夢をみたのよ」とやさしくひろみに話しかけた。「夢じゃないよ。それにじゃっくおーらんたんにお目々もらったんだよぉ」

「お目々?」

「あの本に出ていた人のお目々だよ」ひろみのその言葉を聞いた母親は顔色を変えた。ひろみは目玉が何処かに落ちてはいないかと玄関や下駄箱の下を探し回っていた。

 その日、帰宅した父親は例の週刊誌の件で母親に責め立てられた。あなたの不注意でひろみにトラウマを作ってしまった。と、それは夫の日頃の生活態度や不満にまでおよんだ。その事は後の離婚原因の一因ともなった。

 気がつくとひろみは自分の手を見つめていた。今でもあのカボチャ頭の男から貰った目玉の感触は今でもハッキリ憶えている。生暖かく、ヌルリ、プルンとした感触を。目の前のモニターには色々な死体が映し出されている。 交通事故でグシャグシャに

なった死体。体の一部が切断されている他殺体。ひろみは死体の傷や損壊の状態を見ることで何が原因で死に至ったかをある程度は知ることが出来た。独学ではあるが法医学にも多少は通じていた。死体の写真を見たいが為に法医学の専門書を読み漁った。もちろん興味の対象はもっぱら死体の写真だが。モニターの写真に夫の顔が重なる。

 冷蔵庫が低い唸り声を上げている。横目で冷蔵庫を睨み付ける。事故の痕跡から夫が身体にどのようなダメージを受けたかは想像がつく。見たい。夫の死体が見たい。体の奥底から沸き上がってくる欲求を押さえきれない。

 夫のことが愛しいと思えば思うほど夫の死体を妄想してしまう。そんな妄想してはいけないと思えば思うほど鮮烈なイメージとなって夫の死体がひろみの胸裏に浮かび上がる。

その妄想を打ち消す為に夫以外の死体を思い浮かべる。傍らでうたた寝をする愛しい娘の寝顔に目を移した。

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