第1話 採取レポート

仲村は眉間に深い皺を寄せると受話器を置いた。羽間の携帯電話、混線しているのか。なんだってあんなに雑音が交じるのだ。まるで雑踏の中で電話しているようだった。人のうめき声やざわめきにも似た音がしていたようだが・・・とても電気的なノイズだとは思えなかった。プリンターの作動音に仲村は我にかえった。

 羽間からのメールに添付されたレポートがプリントアウトされてきた。

「印刷した文字に敵うものなし」と呟くとプリンターから出力されたプリントをむしり取ると、むさぼるように読み始める。羽間のレポートはモニターでざっと流し読んでいたが、印字した文字の方がモニターでも読むより頭に入るし、把握出来た。リアルは強い。仲村はプリンターから吐き出されたレポートを凄まじい早さで目を通していった。一通り目を通すと、レポートをデスクへ放り投げ煙草に火を点す。目の前のモニターにため息とともに思い切り煙を吹きかけ、缶コーヒーの空き缶に煙草の灰を落とした。オフィスの壁には控えめに貼られた禁煙のプレートが仲村を見下ろしていた。それを横目に天井に向かい再び大きく紫煙を吐き出すと再びレポートに目を戻した。

 今回の番組ネタは異界か。悪くは無いが地味だ。番組自体はもっと派手に恐怖を押し出したい。不思議な出来事は必要ない。これでは失踪人捜索の番組と変わらない。足りない。

インパクトが足りない。もっともっと胡散臭いネタがほしい。残っている他のレポートも全て異界とか神隠しに関係したものだった。この一本は使うとして後はボツだな。レポートにあったダママの三文字が妙に目に付いた。

 都市伝説のテレビシリーズも三本目になるとマンネリ化してくる。新しい都市伝説を作りたいのだ。口裂け女や人面犬のようなアイドルがほしい。異世界をベースに何か意外な物を絡ませるか。だが何故、羽間は異世界を選んだ。この前の打ち合わせでは新種の都市型妖怪かネットに絡んだ呪いのサイトとかをメインに持ってこようと取り決めたはずなのに。羽間の送信してきたレポートは何処か違う世界へ迷い込んだ話しだ。羽間のレポートの中で気になる単語がダママ・・・初めて聞く言葉ではない。「何だったかな?思い出せない」記憶の奥底で何か引っかかるものを感じる。

 検索エンジンにダママと入力してみた。千件ほどヒットした。小さく鼻から息を漏らす。更に絞り込みダママ、都市伝説、心霊と入力。それらしき物は何もヒットしない。羽間ならダママについて今回のレポート以上の情報を見つけるかも知れない。

 羽間には主にネットや自局のホームページの投稿から採取してきた都市伝説を集め整理させていた。それは膨大な量に登ったが、殆どが聞いたことあるものばかりで有名な都市伝説や古典的怪談を現代風に焼き直したものが大半を占めていた。だが中には恐ろしいほど真実味を漂わせる話が見つかる事がある。それらの話には似た傾向が見受けられた。外連味が無いのだ。素人の文章なので構成や演出が上手いわけではない。ただ、淡々と怪奇体験を文にしているだけなのだが文章からは染み出してくるような異様な迫力がある。正直な所、真偽はどうでもよかった。耳新しく、もしかしたら本当にあった事かもしれないと視聴者に思わせ

ればよかった。俺の番組で一番大事なことは本当にあった事かもしれないと思わせる事だ。嘘でも事実でも羽間の採取する情報はかなり役に立つ。

 羽間は事故後、三年近くにも及ぶ入院生活とリハビリを経て退院。退院後はそれまで築き上げた新進気鋭のルポライターとしての地位は無かった。関係方面の人々からは忘れ去られ、事故後の羽間の状態からは仕事に復帰することは不可能だと思われていた。しかし、驚くべき回復力を見せ、最近では仲村の口利きでテレビの特番や深夜番組などの構成やライターなどで仕事を始め、社会復帰を果たしていた。

 頭部外傷を負った為の深刻な記憶障害です。部分的な健忘が見受けられます。症状は解離性障害に似ていますが少し違う様な気がします。それらの症状によって苦痛を感じることはないでしょう。羽間さんは肉体的にも精神的にも苦痛を感じられなくなっています。感情も失っています。無痛覚症に似ていますがそれとは違います。痛みや刺激は感じていますが、自分の事だとは思えないようです。と医師は仲村に告げた。損傷した場所が場所だけにこれからどんな後遺症が残るのかまだ解りません。障害が複合的に交じる稀なケースだと思われます。医師は仲村に質問させず話を続けた。ある特定の記憶だけが欠落しています。今の段階

でどの部分の記憶というのは、はっきりしませんが、解っているのはご家族の記憶そして仲村さんの記憶がまったく抜け落ちています。それ以外の事は殆ど記憶しています。

 羽間さんの症状の特徴的な、いや不可解な所なのですが・・・。医師は言葉を濁し、一旦間を置く。記憶が部分的に欠落していると言いましたが。欠落した記憶を補うように全く別な記憶があるのです。仲村は医師の言うことが理解できず聞き返した。今の羽間さんに残っている事故以前の記憶にはご家族や仲村さんに関する事だけが欠落しています。精神的外傷で新しい人格を創造し、それに伴う記憶を創り上げるような症例はあるのですが。

 羽間さんとは二十年以上のお付き合いがあるそうですが。大学の頃からの付き合いだと仲村は言った。羽間さんには学生時代の記憶も社会人になってからの記憶も思い出も残っています。しかしその記憶の中にはご家族と仲村さん達だけが存在してない。そこには仲村さんから伺った羽間さんのプロフィールとは別の記憶がある。その記憶には何一つの矛盾も見受けられない。羽間さんとの共通体験で何か印象深い事か、忘れられないイベントは有りますか?

 仲村は真っ先に学生時代に羽間ともう一人の友人、古林と三人で作った映画の事を思い出した。この質問をされるのは二回目だ。羽間が意識を取り戻してから間もなくこの医師に同じ質問をされた。映画サークルでのエピソードですか。と念を押すように医師は仲村を見つめた。仲村は反射的に頷く。

 貴方と羽間さんは学生時代に映画を作っていたそうですが、羽間さんの記憶の中には仲村さんと古林さんの事が何一つ無いのです。羽間さんの中では仲村さん達と映画など作った事など無いし映画サークルにも所属してない事になっています。仲村さん達の存在やそれに関係する記憶だけきれいに無くなっている。残っている記憶に対しても整合性もあり矛盾も見受けられない。記憶を改竄されたか、ご自身が無くなった記憶を創作したのか・・・。その特定の記憶だけと言うのが不可解なのです。

 更に言えば・・・。あくまでもこれは私の印象ですが・・・。と医師は付け加えると、ご家族や仲村さんのいない世界から来たような印象を私は受けます。と話したとたん、我に返ったように申し訳ありませんでした。今のは、失言でした。医者が口にすべき言葉ではない。忘れて下さい。と必死に弁解し始め、何度も謝罪した。仲村は羽間の状況が理解出来ず医師の言った事は気にはならなかったが心には残った。

 医師は気を取り直し言った。なにぶん外傷の場所が場所です。脳の働きはかなりの所が解明されてきたとは言え未知部分がまだまだ沢山あります。暫くは経過観察を必要です。それからと医師は言葉を付け足した。羽間さんの記憶は元に戻る可能性は極めて低いでしょう残念ですが。

 仲村には医師の言うことが理解出来なかった。特定の記憶だけが無く、それに変わる記憶がある。何故、俺や自分の家族の事だけなのだ。羽間は何の為に記憶を創り上げたと言うのだ。

 あの困った表情を浮かべながら説明した医者だってそう思っていたに違いない。考えれば考える程訳が分からない。考える事にほとほと疲れ残務に集中しようとするが羽間の事が頭から離れない。羽間に取り憑かれている気分だ。

 俺は羽間に取り憑かれている。羽間の不可解な事故状況を目の当たりにしてからだ。羽間が事故に遭ったという連絡は真っ先に仲村に入った。羽間の所持品から連絡の付く人間は仲村しか居なかったからだ。一報を受け、仲村は急ぎ病院へ駆けつけた。そこで担当の警官から事故の状況を聞いたのだが、言葉を濁しつつ谷底へ転落した。とだけ報告を受けた。担当警官の言葉に不振を抱いた仲村は事故現場へ向かった。報道局で培った勘が何か有ると警告を発していたからだ。

 事故現場へ行って担当警官が言葉を濁した訳が直ぐに判ると同時に仲村も愕然とした。

羽間の車は見通しの良い直線道路から谷へ転落していた。娘と妻は行方不明。羽間は即死といっても不思議はない程の深傷を負い河原に投げ出されていた。不可解な事には状況からガードレールを突き破り転落しているはずのガードレールには傷一つ無く、ガードレールの下を潜るようにタイヤのスリップ痕がついていた。羽間の車はガードレールをすり抜け崖下へ転落した事になる。

 この状況は、どう説明すればいいのか。事故の状況説明に当たった警官に思わず同情した。さらに不思議な事に転落したはずの車が僅かな部品を残し殆ど残っていな事だ。娘と妻は車に残されたまま川に流された、とされたが付近から下流まで隈無く捜索したのだが崖下に残された物は散乱するフロントガラスの欠片と事故の衝撃ではがれたと思われるボンネットがあっただけで未だに車本体や妻と娘は見つかってない。

 病院生活から戻った羽間に用意されていた物は空虚な生活だけだった。もっとも本人は幸か不幸か空虚な生活に絶望を抱くことすら出来ない心身になっているのだが。事故が家族と記憶と感情を奪い去っていた。だが神様は全てを羽間から取り上げた訳では無かった。物書きの才能と異常なまでの情報収集能力は残しておいてくれた。羽間の際だった才能の特徴は確度の高い情報収集能力にあった。

 羽間が事故にあう以前、仲村は事あるとごとに羽間に情報収集の依頼をしていた。羽間が拾ってくるネタは新鮮で情報確度が非常に高く、裏取りも完璧だった。ただし、情報の収集に関しては羽間の興味対象の度合いにより情報量の多い、少ないがあったが。仲村は幾度となく羽間にそのネタのソースは何処から拾って来るのだと聞いた。「好奇心と本屋」かな、それと一寸した連想ゲームだよと羽間は笑みを浮かべなが答えた。

 今、再び羽間と組んで仕事が出来る事はうれしい。正直な気持ちだ。たとえ羽間がどんな状態であれだ。

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