第16話 今夜、少女は存在しなかった

 こうして逮捕という難をひとまず回避したヤシロは、一応の終わりを感じて何気なく時計を見た。気付けば長い時間を警察の問答に使っていたようで、普段ならば明日に備えてベッドに入っている時間帯になっていた。だが、このままでは安心して寝ることなど出来ない。状況はハギノ次第でいとも容易く変化してしまう。ゆえに出来るだけ早く彼女と会っておく必要があると考えていたのだ。

 今、ハギノはどこにいるのか。

 連絡を取ろうにも、電話番号は知らない。

 そんなところで、物陰に佇むハギノを見つけた。どうやら向こうも同じ考えだったようで、警官が去るのを待っていたらしい。ヤシロの接近に合わせ、ハギノも歩み寄ってきた。

「やあ、お兄さん。警察との話はどうだった?」

「見てなかったのか?」

「ちょっと急ぎの用事があってね」

「用事?」

 そう言えば、現場から姿を消していたな。

「お前、どこに行ってたんだよ」

「ま、そのことは後で。それよりもどうだったの?」

 ハギノに問われ、ヤシロはひとまず警察とのやり取りを伝える。そして改めて内容を口にすることで、色々と浮かび上がってきた疑問。それらをそのままぶつけることにした。

彼女トキワをあの場に寄越したのはお前だよな」

「そうだよ」

「どうして彼女をあの場に――いや、そもそもどうして俺が警察に通報していたことや、俺がバッグの件で窮地に立つことが分かったんだ? その上で、どうして自分を犠牲にするようなことを?」

「あはは、質問がいっぱいだね。まあ、いいけど。――さて、どこから話そうか」

 ハギノは話し始める。

「まず、お兄さんが警察に通報していたことに気付いたのは、お兄さんがナガセと取っ組み合いをしているところを見たときだよ。あのとき、お兄さんの目的に気付いた」

 ゲームセンターのトイレで、ハギノはヤシロに作戦を伝えた。に及ぶ際、ナガセはズボンを下げる。それが足枷となるために逃げるのは容易である、と。

 今回の車内でも同じだ。ナガセはズボンを下げていた。だから逃げるだけならば簡単だったはず。なのにヤシロは取っ組み合いを始め、結果として現場に残った。

 この様子を見たとき、ハギノはその狙いを察した。目には目を、悪人ナガセには痛い目を、と。そのために最も簡単な一手が警察を呼ぶことだろう。

 しかし同時にその作戦の弱点にも気付いた。

 バッグの件だ。

 だからハギノはトキワに電話を掛け、事情を説明して現場へと向かってもらったのである。

「それは分かった。けど、どうやって説得したんだ?」

 これまで誰にも相談せずにきたトキワに、どうやって警察沙汰にすることを了承させたのか。

「説得もなにも、私は日常を変えたがってたトキワの背中を押しただけだよ」

 ナガセに弄ばれる日常は、きっと地獄の日々だっただろう。しかし一個人で解決できるような話ではない。どうしても警察に頼る必要があった。

「どの道、解決するには警察沙汰にする必要があったわけだし、なら早い内に終わらせた方が良いに決まってるでしょ」

「まあ、確かに……」

 決断を先延ばしにすればするほど、ただただ苦しむ時間が延びるだけ。ならば、勇気を出して決断する方がいいという考えは尤もだ。

「なるほどな。じゃあ、俺に決断を迫ったのはなんでだ?」

 警察は青髪の少女とナガセの間には確かな関係があると考えているに違いない。ゆえに『青髪=ハギノ』という事実にハギノ自身も近付けたくなかったはずなのだ。

 なのに、どうしてバッグが盗まれた話をするように決断させたのか。

 ヤシロが問うとハギノは軽い口調で答えた。

「青髪とか、そんなのは私が髪を黒に染め直せばいいだけじゃん。それで私と青髪を繋げる物はなくなる」

「そんなことで解決するか?」

「あのさ、私が髪を青色に染めたのはいつだったか覚えてる? 今日だよ、電車の中で話したでしょ」

「そう言えば……」

 ナガセの住居に向かう車内で、身の上話をする際に聞いたか。

「私は今回の計画の犯人が自分だとバレないために髪を青く染めて、格好も目に付くような派手な物にしたわけ。言わば今夜限定の変装だね」

「でも、それはナガセも知ってるだろ。青髪とお前が同一人物だってバラされたらどうするんだよ」

「お兄さんは私が『青髪』だって知ってるから過剰になってるだけだよ。何も知らない警察の立場になってみなよ。ナガセの言葉にどれだけの信憑性があるのさ」

「けど警察も怪しいと思うだろ、面識もなさそうな一女子高生の名前が出てくれば」

「べつに。だって、私とナガセはすでに顔を合わせてるんだよ、トキワの件で」

 男に貢いでいるという噂を確認しようと、ナガセとトキワの間に割って入った時の話のことだろう。

「だからナガセが私の名前を知ってても不自然じゃないんだよ。それに、ナガセとの繋がりを警察に知られた方が私にとってはむしろ好都合だしね」

「なんで?」

「学校の問題だよ」

 ハギノは複数の生徒を巻き込んだ大麻事件だと主張したが、問題を大きくしたくなかった学校側は一人の生徒による喫煙事件としてハギノを停学処分にした。

「だけど、この一件が明るみになれば私の無実が証明されるわけ」

「お前、そこまで……」

 ヤシロはつくづく思い知らされた、ハギノという少女について。

 トキワの抱えていた問題を解決し、その上で自分の問題も片付ける。あの状況で、ここまで計算尽くの結果を出すとは、本当にこいつは抜け目がない。

「お兄さん、計画を立てるってそういうことだよ。だから今回のお兄さんの計画は、じつに穴だらけ。フォローする私の身にもなってほしいくらいだね」

「確かにトキワを寄越してくれたことには感謝してるけど、お前も充分に利用してるじゃないか」

「まあね。だけど、やっぱり感謝してほしいかな。だってお兄さんの計画ってさ、ナガセを大麻所持で逮捕させるってものでしょ? なのに詰めが甘いんだもん」

「まあ、それは自覚してるけど……」

「いいや、してないね。だって未だに気付いてないもん」

「気付いてないって、何にだよ」

 するとハギノはにやりと笑った。

「じゃあ、私が現場を離れてどこに行ってたか、分かる?」

「え?」

 そうだ。ハギノはこちらが警官に事情聴取を受けている間に何処かへ行っていた。その質問に答えてもらっていない。

「お兄さんはさ、将棋で言えば王手をして満足してる状態だったんだよね。だから私が詰めておいてあげたんだ」

「だから、そのことについて詳しく話せよ。どこに行ってたんだ?」

「ナガセの家」

「はあ?」

「ほら、ナガセの家には計量器とかの大麻に関わる物はあっても、大麻自体は私達が持ち出しちゃったでしょ。だから、あのままだと警察が家宅捜索をしても証拠が見つからないかも知れない。そこで――」

 ハギノはを持ち主の家へ届けに行っていたと言う。

「こうしておけば警察も有無を言わさずにナガセを捕まえられるでしょ」

「お前……」

 どうやら、まだまだハギノという少女に対する認識が甘かったらしい。

 こいつは本当の本当に抜け目がない。疑問を解消しようと質問した側が、あまりの事実に混乱してしまいそうになるほどに。

 だからヤシロはこの辺りを話の終着とし、大きく気の抜けた吐息を漏らした。

 これで長い夜はようやく終わりを迎えたのであった。

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