第14話 彼女からのメッセージ

 振り返ると、そこにトキワが立っていた。

 警官はきみだ誰なのかと問う。

 するとトキワはナガセの方を見やってから答えた。

ナガセに襲われていた被害者です」

「え?」

 警官が眉根を寄せる。想定外の登場者だったのだろう。

 しかしこのとき、ヤシロも同様に怪訝に思っていた。

 車内で襲われていたのはハギノだ。それはナガセも分かっている。だからトキワが「自分が被害者だ」と嘘をついても、ナガセの自供によってバレてしまう。

 なのに、どうしてトキワはそんな嘘をつくのだろうか。

 ヤシロが疑問に思っている側で警官がトキワに問う。

「証拠とかある?」

 するとトキワは内ポケットから生徒手帳を取り出し、中を見せる。そこには写真やクラスなどの情報が載っている。しかしそれは被害者という証拠にはなり得ない。警官にそのことを指摘されたトキワだが、どうやら想定内だったらしい。

「だから確認してください、ナガセに。今夜、この学校の生徒に手を出したか。きっと認めるはずです。ただし私がここに居ることや、私の名前は伏せてください。さすがに怖いので」

 強姦未遂事件の被害者ならば、加害者に側にいると知られたくないのは当然。

 警官は分かったと頷き、ナガセに事情聴取していた仲間に確認するようにと伝える。

 このとき、ヤシロは小さく「あ」と声を漏らす。

 今し方のトキワの言葉。それをそのままナガセに投げ掛けた場合、どのような返答があるだろうか。おそらくは肯定。何故なら、トキワとハギノは同じ学校の生徒で、ナガセはそんなトキワを強姦しようとしていたからだ。

 しかし問題はその先。

 今、ナガセや警官に強姦未遂事件の被害者を勘違いさせることに、どのような意味があるのか。そんなものは一時凌ぎでしかない。

 意図が分からず、ヤシロは沈黙して様子を窺う。

 トキワは警官に尋ねた。

「それで、どうなるんですか? ナガセは逮捕されるんですか?」

「さあ、どうだろうね。強姦未遂に関しては裏取りが取れてからになるけど。被害届を出してくれれば、こちらとしても本格的に――」

「いいえ、出すつもりはありません」

 トキワの返事に警官は目を丸くする。

「どうして? こういうことはちゃんとしておかないと、また被害者が出るかも知れないんだよ」

「でも強姦未遂の被害者なんて話が両親や学校の耳に入ったら、それこそ心配を掛けるでしょうし、困るんです」

 被害届を出せば、強姦未遂事件としてナガセに対する取り調べが本格的に始まる。そうなればトキワの嘘がバレてしまう。反面、被害届を出さなければ、真相は闇の中。

 そういうつもりなのだろうが、ヤシロにはトキワの意図が尚更に理解できなかった。強姦未遂事件を闇に葬りたかったのならば、どうしてこの場に現れたのか。

 ヤシロが見詰める中、トキワは警官に言う。

「それに、強姦未遂事件では捕まえられないかも知れませんけど、どうせ大麻所持で捕まりますよね」

「うん?」

 警官が首を傾げる。強姦未遂の被害者だとしても、突然に車に引きずり込まれた状況で車内の大麻の存在に気付けるはずがないのに、どうして大麻の件まで知っているのか。警官のこの問いにトキワは「ナガセに大麻を買うよう脅されていた」と返答。これを受けて警官の表情が険しくなる。

「その話、詳しく聞いてもいいかな?」

 トキワは応じて話し出す。ナガセとの出会いから始まった、地獄の日常を。

 警官は神妙な顔つきで一通り聞いた後、トキワを安心させるように「もう大丈夫だよ」と肩に手を添えた。やはり警官になるだけあり、人一倍に正義感が強いのだろう。その目には魔の手から救い出そうと決意した力強いものが宿っていた。

「それにしても、どうしてこんな時間に人気のない道を歩いていたの?」

 被害を受けた状況を確認したいらしい。

 トキワは答える。繁華街で遊んだ後に帰ろうとこの道を歩いてた。そうしたらいきなり車の中へと引きずり込まれてしまったと。

「それは怖かったね。ちなみに、ここは普段から通ってる道だったの?」

「いいえ」

「なら、どうして今日に限ってこの道を?」

「普段の道は飽きてたので。そういう時ってありませんか?」

「まあ、気持ちは分からなくはないけど、ちょっと軽率だったね」

「でも分かりますよね。ねえ、お兄さんも」

「え?」

 不意に話を振られ、ヤシロは驚いて言葉に詰まる。しかしトキワは続ける。

「お兄さんも分かりますよね。ほら、飽きたゲームもバグらせて遊べば楽しめるじゃないですか。それと同じですよ」

「ん?」

 ヤシロは眉根を寄せる。

 ――飽きたゲームもバグらせて遊べば楽しめる――

 何故、トキワがその言葉を口にするのか。いや、そもそもどうして知っているのか。

「もしかして……」

 ヤシロはハッとする。

 もしかしてトキワはハギノの指示によって現れ、そして何かを伝えようとしているのではないか。だからこそ警官には気付かれず、それでいてこちらにだけ分かるような言葉を選んだのではないか。

 では、何を伝えようとしているのか。

 それを思案したとき、ふとトキワの先ほどの言葉が思い浮かんできた。

 ――残念ながら私は証拠を持ってません――

 どうしてトキワは「私」と言ったのか。

 あの言い草だと、証拠になり得るものは存在すると言っているようではないか。

「いや、ちがう」

 存在する、じゃない。

 トキワは持っていないと言ったんだ。

 つまり彼女が持っていないだけで、他の者が証拠を持っているということだ。

 では、だれが?

 決まっている。

 ヤシロは自分の所持品を見やる。

 財布、携帯電話、名刺入れ、煙草、メモ用紙。

「メモ……?」

 あれは何だろうか。丸めていたメモ用紙。ヤシロは目を細めて記憶を遡り、思い出す。ハギノが大麻を持ち逃げした際に残した文面が綴られたメモだと。

「――ッ」

 瞬間、閃く。バッグの件に対する活路を。

 もはや打つ手無し。犯罪者として捕まり、刑務所に入れられ、会社はクビとなり、周囲からは軽蔑される。そんな絶望的な未来が待っていると思われた。

 しかし光明はあった。

「だけど……」

 その道を行くには問題がある。

 ゆえにヤシロは懊悩する。懊悩して懊悩して懊悩して、そして。

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