第10話 友人が示していた友情

 現在、ハギノは取引相手との待ち合わせ場所にいた。街灯の少ない高架下。人通りも少なく、ときおり自転車が通り過ぎていくだけ。時刻を確認。約束の時間はもうすぐ。今一度、バッグの中身を確認。大麻はちゃんとある。これを売り払えば、ようやく終わる。ゆえに最後まで警戒心を解かずに取引相手の到着を待つ。

 そのときだった。

 遠くから一台の車が走ってくるのを見つける。それは近付くにつれて速度を落とし始めたので、ハギノは取引相手だと考えた。車が近くで停車。ハギノはバッグを手に近付いていく。車から誰かが降りてくる気配はない。そこに若干の違和感を覚えながらも、ハギノは車の側に立ち、ノックをしようとした。

 途端。

 後部座席のドアが勢いよく開き、次いで車内から男の腕が伸びてきた。それはハギノをがっちりと掴むや車内へと引き込み、そのままドアが閉められた。ハギノは状況が理解できずに呆然。今、何が起こったのか。大麻の取引をするつもりで車に近付いたら、なぜか車内へと引き込まれた。もしやこれは誘拐か。しかし車が走り出す気配はない。つまり車内に引き込むことが目的ということ。大麻の取引は出来うる限り人目を避ける必要があるからか。だとしても、黙って車内へと引き入れるのは強引だ。ようやく思考が正常に働き出したところで、誰に誘拐されたかを確認しようと車内を見回し、隣に座る人物がナガセであることに気付いて驚愕する。

「な、なんであんたが……」

 しかしナガセが現れたことから、すぐにおおよそを察した。

 すでに自分が犯人であると知られていることも、取引相手に待ち合わせ場所などの情報を売られてしまったことも、そして此度の計画が失敗に終わったことも。

「よう、気分はどうだ?」

 ナガセは強引にバッグを奪い取ると、中に大麻が入っていることを確認。それから改めてハギノへと向いた。

「まったく、とんでもねえ女だな。こんなことを企むんだからよ」

「……」

「ん、なんだ? なにか言いたげな目じゃねえか。言えよ」

「どうして私の取引相手はあんたに情報を売ったの?」

「それだけ信頼関係が築かれてたってことだろ」

「あり得ない」

「ずいぶんと言い切るじゃねえか」

「当然でしょ」

 ナガセと顧客の間にあるのは損得勘定だけ。だからハギノはナガセの販売価格よりも安値で売ることを提案し、相手はそれを受け入れた。

 なのに、なぜ裏切ったのか。

「まあ、お前の考えは正しい。俺がなにも知らない状態だったなら、取引相手そいつも白を切り通したはすだ。だがな、俺がすでに把握している状態なら話は違ってくるだろ」

「……どういうこと?」

 すでに把握している状態と言うことは、ナガセは取引相手が誰なのかを知っていることだろう。

 しかしどうやって知り得たのか。

「それについて答えるのは簡単だが、俺よりも適任者がいるからそいつに聞け。なあ、兄ちゃんよ」

 ハギノはナガセの視線を追って運転手を見る。その後ろ姿、そしてバックミラーを介して見えた目元は、間違いなくヤシロだった。

「なんで……。ううん、そうか」

 ハギノは理解する。

「なるほど、そういうことか。なんでナガセが色々と把握できたのか、よく分かったよ。――っで、私を差し出すことでお兄さんはどういう見返りを得るの? まさか騙されたことへの仕返しのためだけにナガセと組んだわけじゃないでしょ」

「……」

「だんまり? まあ、予想は付くけどね。どうせ、自分を見逃すことでも条件にしたんでしょ?」

「……よく分かったな」

「日常を変えることに怯えてる人の考えくらいは分かるよ」

 ハギノの侮蔑を込めた言葉に対し、しかしヤシロは感情を示さなかった。代わりにナガセが口を開く。

「さて、それじゃあ本題に移ろうか。こんな話をするために、わざわざ出向いてやったわけじゃねえんだよ」

「そうだよね、大麻のために来たんだよね。なら、私はもう用済みってことで帰ってもいいよね」

「ははは、面白いこと言うじゃねえか」

「ありがとう。あんたは笑えることをまったく言わないけどね」

「……本当に笑えるな、てめえ」

「だったらどうする? 殴ってみる? それでもいいよ」

「ちっ」

 ナガセにはやるべき事がふたつあった。

 一つ目が大麻の回収。

 二つ目が此度の件に対してのけじめ。

 大麻の回収を終えた今、残るは誰にどのようなけじめを取ってもらうかだった。

 実行犯は二人、ヤシロとハギノ。

 しかしヤシロには見逃すと約束をした。無論、反故にすることも出来たが、ハギノの今の態度を見るに、その必要もない。

 後はどのようにけじめを取ってもらうか。

 最も簡単なのは、二度と刃向かう気が失せるほどの暴力を見舞うことだが、どうやらハギノはその覚悟が出来ている様子。そんな相手に望むとおりの拳を振るったところでけじめにはならない。やはり相手の心をへし折ってこそだろう。

 そのためにもハギノことを知る必要があり、そのための糸口としてナガセは問うた。

「なんで俺を狙った?」

 するとハギノは目を丸くし、次には大口を開けて笑い出した。

「やっぱり私が誰なのか気付いてなかったんだ。と言うことは、私の計画もそれなりに想定どおりに進んでたわけだ」

「なに言ってんだ? 何処かで会ったことがあるってのか?」

「そうだよ。……うん、本当は最後まで隠し通すつもりだったけど、もういいや」

 投げやりに言った後、ハギノは此度の計画の全貌を話した。その中でナガセとの出会いにも触れたため、ナガセもようやく気付く。

「てめえ、あのときの女子高生ガキか!」

「やっと気付いたんだ」

 仮に計画を完遂できたとしても、犯人が自分であることがバレては意味がない。そのためにハギノは髪を青色に染め、目立つ格好をした。そうして目立つ容姿に変装することで、自分に繋がる目撃情報を攪乱できると考えたのだ。

 ナガセはその計画内容に驚くも、ふと思いつく。どうすればハギノの余裕を崩せるのか、そしてどのような報復けじめをつけるのかを。

「まさかそこまで考えてるとは思わなかった。が、一つだけ修正しとかねえとな」

「修正?」

「てめえの両親のことは知らねえが、トキワのことはすこし違う。てめえはトキワが好んで大麻を買ってたと思ってるみてえだが、あいつはそもそも買ってねえからな」

「……どういうこと?」

 ハギノの困惑を見て、ナガセは満足げに話し始めた。

 トキワは学校内外に幅広く交流を持っており、その繋がりでナガセと知り合って煙草を勧められた。交流を保つコツとして相手の勧めを否定しないことがある。私はあなたの仲間ですよとアピールするためだ。無論、喫煙は校則で禁止されているし、法的にも許されていない。しかし誰しも一度くらいは未成年の内に吸ったことがあるだろう。言い換えれば、ありふれた非行の一つ。それだけにトキワもその場しのぎくらいのつもりで口に咥えてしまった。しかし肺へと吸い込んだところで、ナガセがとんでもない真実を告げる。

『美味いだろ、大麻は』

 吸ったら最後、それは弱味となる。ナガセはこうして顧客を生み出し、販売ルートを広げてきたわけだが、トキワは大麻の購入を拒否。ここで言いなりになると、そのままズルズルと引きずり込まれてしまうと直感したからだ。無論、ナガセにとっては想定どおりの反応。これまでに同じ経験は何度もしてきただけに対処法も万全。しかしこのとき、ナガセは閃いてしまった、トキワを社会の裏側に引き込んでやろうと。

 正直なところ劣等感があった。

 ナガセ自身、荒んだ学生時代を送っていた。それだけに周囲からは見下されてきた。

 一方、トキワは進学校の生徒だ。それだけで周囲からは羨望される。頭が良いと褒められる。なのにトキワは勉強机に齧り付くのではなく、要領よく遊びと勉強を両立させている。充実した学生生活を送っている。

 それが妬ましく感じた。

 だから壊してやろうと思ったのだ。

 ナガセは大麻を吸引した事実を脅迫材料にトキワを追い込む。大麻を買わないならばと二つの案を示す。友人を紹介するか、体を売るか。どちらかを選ぶならば購入は見送ってやると。しかしそれはトキワにとって最悪の二択。前者は身代わりを寄越せと、後者は言葉のままの意味として。どちらも選ぶに選べない。

 そこでトキワは第三の選択肢を提案する。

 大麻は買わない。だけど金は払う。それで勘弁してほしいと。

 ナガセはこれを了承。どうせ長くは保たないことは経験から想像に容易かったし、その方がじわりじわりと精神を追い詰められると思ったからだ。

 事実、トキワはすぐに限界を迎えた、金銭的にも精神的にも。

「待って」

 ここでハギノが話を遮った。

「まさか、トキワが友達料なんて言ったのって……」

「金銭的にも精神的にも追い込まれてる時に、なにも知らない奴からウダウダと口を出されたら、感情的になって暴言の一つも出てくるだろ」

「じゃあ、トキワは……。でも、だったらなんであのとき」

 ――この子はただのクラスメイトだから関係ない――

 などと言ったのか。

 その疑問に眉を顰めたハギノだったが、本当のところは気付いていた。

 あの言葉は、トキワがどうにか示した友情だったのだ。

 ナガセの被害に遭っているトキワだからこそ理解していたのだ。もしもあの場面でハギノを友人と認めれば、確実にナガセの標的にされてしまうと。

 周りが離れていく中で心配してくれた友人を、友達料を要求しても助けてきてくれた友人を、せめてナガセの魔の手から遠ざけようとして言い放ったのだ。

 なのに、ハギノは自身の思い違いでトキワを突き放してしまった。

 いや、本当は分かっていた。友達料という言葉も、その場の勢いで言ってしまっただけだと。

 なのに感情が暴走させてしまった。突き放されたから、こっちも突き放してやるとトキワの声を無視してしまったのだ。

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