第9話 少女のつまらない過去
時はすこし遡る。
大麻を手にヤシロから逃げたハギノは、ひと気のない路地で計画を進めていた。携帯電話を取り出し、発信履歴から大麻の取引相手に連絡を入れる。取引場所の変更である。ヤシロに取引場所を知られているからだ。それが済むと、側の壁に体を預けた。
ひとまずは良し。
顧客リストはこちらの手元にあるし、取引相手に電話を掛けたのは自分だけ。ヤシロの携帯電話に発信履歴はない。だからヤシロが取引相手と連絡を取ることは出来ない。ゆえに計画を妨害されることもない。
「あとすこし」
あとすこしで計画は完遂される。
こちらが取引初心者であることを考慮すると、相場どおりに五〇〇万を手に入れることは難しいだろうが、相応の金額にはなるはず。
それだけあれば『日常』から脱することが出来る。
ハギノは夜空を仰ぎ見て、此度の計画を立てた経緯を振り返った。
かつて、ハギノはいわゆる地味な生徒だった。勉強は出来ても社交性に欠けた生徒。しかし見方を変えれば、問題とは無縁の優等生とも言えた。実際、教師からは模範的な生徒と見られており、有名大学への進学を期待されていた。
しかしハギノ自身はその生き方に疑問を持っていた。自分が勉強をしている時間も遊び回っている同級生を見ると、ひどく退屈を感じたからだ。
ある日、両親に尋ねた。
『ねえ、お父さん、お母さん。なんで勉強しないと行けないの?』
そんな娘に両親は言った。
『お前は良い大学に行かなければならない。そのために進学私立校に通わせ、また良い予備校にも行かせているんだ』
『なんで良い大学に行かないといけないの?』
『良い会社に就職しなければならないからだ』
『なんで良い会社に就職しないといけないの?』
『良い人生を送るためだ』
『じゃあ良い人生ってなに?』
『後悔のない人生のことだ』
『そうなんだ。わかった』
ハギノは表面上で納得を示しながらも、心の内では納得していなかった。
そんな折、放課後にクラスメイトのトキワから誘われる。
『これから皆で遊びに行くけど、ハギノさんも来る?』
普段ならば断って予備校へ直行していた。しかし両親の答えに疑問を拭えなかったハギノは、自分も一緒に行っていいのかとトキワに聞き返していた。
『当然じゃん』
それが返答だった。
こうして放課後に遊びへと出向いたハギノは、今まで経験してこなかった楽しい時間を過ごし、その日を境に変わることを決意した。
眼鏡をコンタクトに換え、スッピンだった顔にメイクを施し、遠慮がちな猫背を伸ばし、勉強だけでなく遊びにも励んだ。
環境はガラッと変わり、日常に退屈を感じることはなくなった。
しかし変化は必ずしも良いことばかりをもたらすものではなかった。
人と関われれば様々な話が聞こえてくるもので、ある日、トキワが男に貢いでいるという噂を耳にする。
まさか、そんなことがあるはず……。
確かにトキワは生真面目な性格とまでは言えないが、人付き合いには分別がある。そんな彼女が、女性に貢がせるような男性と付き合いを持つだろうか。
だからハギノには信じられなかった。しかし周囲にとっては真偽などどうでも良いようで、陰口を囁いてトキワと距離を開け出した。そんな中、ハギノだけは本人に確認することにした、どうか否定してくれと願いながら。
しかし。
『仮に本当だとして、ハギノには関係ないでしょ』
トキワはぶっきらぼうに答えた。
『あるよ。私達、友達でしょ』
『友達ねえ~……。そうは言うけど、私から離れていった子らも友達って呼ばれてたよね? つまり友達ってその程度の価値ってことでしょ。ねえ、友達のハギノさん』
トキワの皮肉に心が抉られるようであった。それでもハギノは言葉を投げ掛ける。
『私は心配なんだよ』
『心配? 言葉だけなら幾らでも口に出来るよね』
『言葉だけなんかじゃ……』
『ハギノ、言葉に価値はないんだよ。価値がないからお金は掛からない。幾らでも言うことが出来る』
『トキワ、そういう問題じゃない。そういうことじゃない』
『そういう問題だよ。責任を負わなくていいから、好き勝手なことが言えるんだよ』
『ちがう!』
トキワは呆れたように吐息を漏らす。
『つまりハギノの心配は言葉だけじゃないってこと?』
『そうだよ!』
『じゃあ、それを形にしてみてよ』
『……どうやって?』
『無責任な言葉じゃない。価値のある心配をしている。そう言うなら、それを形にしてみてよって言ってるの?』
『そんなこと急に言われても……』
『悩むようなことじゃない。簡単だよ。私達って友達なんでしょ。それを値段にすればいい』
『なにを言ってるの?』
『友達料をちょうだいって言ってるの』
『え?』
『これからも仲良くしたいんでしょ。だから、お金』
『それは……』
『払えないなら放っておいて。上辺だけの言葉なんて苛立つだけなんだよ』
『……』
言葉が出てこなかった。
今まで仲良くしていたのは、すべて金のためだったというのか。
あのとき、私を遊びに誘ってくれたのも、そのためだったのか。
すべては金を得るために利用しただけなのか。
頭の中をぐるぐると周回する疑念。
それでもハギノは友情を信じ、貢ぐことをやめさせようと決意した。そのためにも相手の男と会う必要があると考え、放課後にトキワの後を尾行。そして行き着いたのは、地元のゲームセンター。そこに柄の悪い男が待っていた。
のちにナガセという名前だと知る。
トキワとナガセはしばらく会話をした後、店の奥へと移動を始めた。ハギノはその後をこっそりと追う。そしてナガセがトキワに煙草を勧めているところを目撃し、ハギノは割って入ってその煙草を奪い取った。
『誰だ?』
ナガセにじろりと睨まれる。それに瞬間的に怯むもハギノは友人に言う、喫煙などしては行けないと。トキワは何故ここにと驚いていたが、ナガセの不愉快な表情に気付き、慌てて弁解。この子はただのクラスメイトだから関係ないと。ナガセは問う。だったら、なんでここにいるのかと。トキワは答える。それは知らないけど、さっき『喫煙』と言ってたことが何も知らない証拠だと。これにナガセは納得。そんな二人の会話内容は部外者のハギノには理解できなかった。だから何を話しているのかと口を挟む。するとトキワは黙っていろとすぐに制したが、ナガセは『それ、吸ってみな』とハギノの手元にある煙草を指差した。
『遠慮します。煙草は吸いません』
『煙草じゃねえよ』
『なら、何だって言うんですか』
『それよりもいい物』
『?』
どういう意味だ。疑問に思いつつ手元を見やり、何気なく嗅いでみた。それは独特な匂いを放っていた。すこし甘めで、すこし鼻につく。
『何なんですか、これ?』
『大麻』
『え?』
『やるよ。もしも気に入ったら俺の所に来な、売ってやるから』
それだけ告げてナガセは去っていく。ハギノはトキワと二人となったところで言った。
『なるほどね。大麻を買うために私からお金を取ろうとしてたわけか。なら、お金が必要なるに決まってるよね。……笑えないよ、トキワ』
貢いでいるという噂は嘘だった。
しかし真実はもっと酷かった。
もはや彼女を友人とは思うまい。とんと失望した。
ハギノはトキワの呼び止める声も無視してその場を後にする。そして出入り口へと向かう途中で見つけた喫煙所で、手元に握り込んでいた大麻を灰皿に放った。
トキワとの友情を捨てるように。
いや、初めから友情など無かったのだ。事実、トキワも言っていた、この子はただのクラスメイトだから関係ないと。ただのクラスメイトと、そう言っていた。
つまりは大麻を買う金を得るために利用されただけなのだ。
それが悔しかった。
こうしてトキワとの一件に決着はついたが、現場は教師が見回り週間に立ち寄る場所である。そしてハギノは喫煙所で大麻を捨てた。幸か不幸か、それは煙草に見えるようにカモフラージュが施されていた。
翌日、職員室に呼び出されたハギノは、喫煙の嫌疑で詰問を受けた。無論、それは事実ではない。だからハギノは嫌疑を否定。しかしその時に手に持っていた物は何なのかと指摘され、口ごもる。大麻のことを言ってしまって良いのだろうか。しばらく迷ったハギノは、それでも意を決して真実を訴えた。
しかし教師は取り合わなかった。
学校からすれば、ただの一生徒による喫煙事件と、複数の生徒を巻き込んだ大麻事件のどちらが責任は軽いかの話だったのだろう。
ゆえに学校は喫煙を理由にハギノを停学処分にした。
そして狂い出した歯車は、他の部分に影響を及ぼす。
停学処分を知った両親は娘に大いに失望したのだ。
『お前にそんなことをさせるために学校や予備校に通わせているわけじゃない。そもそも遊び暇があれば勉強しろと何度も言ってきただろ。それに逆らった結果がこれだ。わかってるのか? こんな所で躓いて将来に影響したらどうするんだ? お前が余計なことを考える必要はないんだ。言われたとおりにすればいい』
『そっか、だからか』
ハギノはようやく理解した。
いったい両親の言葉の何に納得できなかったのか。
結局のところ、両親は自分達にとって『理想の娘』であって欲しいだけなのだ。
だから両親の言葉に納得できなかったのだ。
そんな娘の反応に気付いていない両親は、続け様に言い放つ。
『まったく……。学費だけでいったいどれだけの金が掛かったと思ってるんだ? それがすべて無駄になった。わかってるのか?』
『わかった。そのお金はちゃんと返す』
『なに?』
そのように応じた娘に両親が続けて何かを言っていたが、耳を貸す気にはなれなかった。
ハギノは悟ったのだ。
友人も学校も両親も、自分のために生きている。思えば、そんな者達に利用される日常を送ってきたのだ。ならば、そんな日常とは決別しなければならない。誰にも頼ることなく、自由に。自分らしく生きるために、新たな日常を手に入れる。
そのためにも『トキワへの友達料』と『両親への借金』を精算しなければならない。たとえ納得できなくとも、後腐れなく決別するために。
だから大金が必要になった。
では、どうやって大金を用意するか。
コツコツ働いて稼ぐ?
ギャンブルをする?
前者は時間が掛かり、後者は確実性に欠ける。
そんな折、ナガセのことを思い出した。
彼は大麻の密売人である。あまりそちら方面の知識はないが、それでも大麻が法外な金額で取引されていることくらいはニュースなどで目にしてきた。おそらく彼も相応に儲けているはず。ならば、その財源たる大麻を頂いてしまおう。
無論、それは犯罪だ。
しかしハギノは学んでいた、友人も学校も両親も自分のために生きていることを。
だから罪を犯すことへの自己弁護は容易に出来た。
相手は違法者。これまでに多くの人を泣かせてきた悪人。ならば被害に遭うのは自業自得であり、私が罪悪感を抱く必要はない。
だからハギノ此度の計画を立てた。
しかし何故にナガセを襲う必要があるのか。
ナガセが家を空けている隙に空き巣を働けば良いだけなのではないのか。
当初、ハギノもそのように考えていた。が、計画を練る内に気付く。
最も重要なのは、大麻を手に入れることではなく売り手を見つけることだと。
そのためにはナガセの顧客を利用しなければならず、顧客リストは絶対に手に入れなければならなかった。
ゆえにナガセが取引する時に襲う必要があった。
後の問題は、実行日と場所。
それはトキワを見張れば良かった。顧客の一人である彼女を再び尾行すれば、その内にナガセと会うはずだからだ。
そして実行日の今夜、ハギノにとって想定外のことが起こった。
ナガセがゲームセンターに現れるのを喫煙所で待っていると、スーツを着た若い男性がやってきたのだ。そして不慣れな様子で煙草を吸おうとし始めた。そのあまりの不格好さにハギノは思わず笑ってしまう。
きっとこの
ハギノは『まるで以前の自分、あるいは将来の自分』のような気がした。
――お兄さん、そうじゃないよ――
気付けば男性に話し掛けており、ヤシロという名前だと知る。さらに会話を重ねる内に確信も抱く、この
しかしそこでナガセが現れたので移動することに。
――とは言え、私にそれを説明する義理はないか――
しかしヤシロは後を追ってきた。だからハギノは日常を変える方法を伝えた。
そんなところで、ナガセが想定どおりにトキワを伴ってトイレへと向かった。あとはタイミングを見計らってトイレへと突入する。
そう思った矢先、側のヤシロが椅子から立ち上がった。
瞬時にその意図を読み取ってハギノは止める。
――お兄さん、それはやめといた方がいいよ――
ここで想定外のことをやられては計画が破綻しかねない。
しかしヤシロは日常を打破すべく躍起になっていた、まるでかつての変わろうとしていた自分と同じように。
だから。
――うん、いいよ。お兄さんがそういうつもりなら、付き合ってあげる――
ヤシロを計画に巻き込むことにした。
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