第8話 裏切られて裏切られて、そして裏切る
ヤシロがトイレから戻ると、席にハギノの姿は無くなっていた。何処に行ったのだろうか。疑問に思いつつ席に着いたところで、店員が釣り銭だと言ってテーブルに小銭を置いた。なんのことだ。意味がわからずに問う。すると先ほど支払いを済まされたという返答。店員は帰っていく。ヤシロは眉間に皺を寄せて思案する。支払いを済ませたのは、間違いなくハギノだろう。では、彼女はどこに行ってしまったのか。そんな疑問に頭を捻らせていた時だった。テーブルに折り畳まれたメモ用紙が一枚。顧客リストだろうか。それを手に取って開いた。どうやら違うようだ。文面を読む。
『約束どおり食事は奢ってあげる。でも約束はそれだけだったよね。それじゃあ、今日はご苦労さま』
初めは理解できなかった。しかしはたと大麻の入ったバッグが無くなっていることに気付き、事態を把握。瞬間、くらりと。目まいと同時に全身から力が抜け落ち、代わりに吐き気が胃袋から込み上げてくる。
「うそ、だろ」
彼女は大麻を持ち逃げしたのだ。
一体いつから企んでいた。初めからか、それとも途中で心変わりしたのか。
分からない。
なんで持ち逃げした。
仲間だと思っていたのに、なんで裏切った。
「……ふざけるな」
困惑や失望感は、時間と共に怒りへと変貌する。
ヤシロはメモを握り潰し、即座に店外へと飛び出した。目の前には道が横たわっている。右か、左か。どちらに行くかを考えている時間はない。直感で走り出す。ハギノを追って大通りへ。しかし姿は見当たらない。すれ違った人、追い抜いた人、その全てを確認したが、見つからない。焦りが苛立ちを増大させていく。
そして。
「くそったれ!」
突然の怒声は周囲の注目を集める。が、そんなことはどうでも良かった。ただ、今は感情のままに声を張り上げたくて仕方がなかった。
このまま逃がして堪るか。
絶対に捕まえてやる。
その気持ちに水を差すように社用の携帯電話が鳴る。今は仕事などしている場合ではないと思いつつも、電話の相手を確認していた。勤務時間外だからと無視できない辺りが社畜なのだろう。相手は知らない番号。だから無視という選択も脳裏をよぎったが、一応に通話に出てみた。
『あの、もしもし。ヤシロさんの携帯電話で間違いないでしょうか』
遠慮気味に聞こえてきた声は、若い女性のもの。誰だろうか。
「そうですけど、どちら様でしょうか」
『私、トキワと言います』
「トキワ……。ああ、あのときの!」
ゲームセンターで足を挫いた女子高生だ。
「足、大丈夫だった?」
『え、あ、はい。えっと、そうじゃなくて』
電話口ながらもトキワが緊張しているのが窺えた。
『あの、これから会えますか?』
「会うって、なんで? やっぱり足が?」
『そうじゃないんですけど、会いたいんです』
「……」
どうも歯切れが悪い。
そのせいか、嫌な予感がする。直感が会うべきではないと言っている。
しかし加害者である後ろめたさが断る選択を禁じた。
「わかった。どうしたらいい?」
『今、どこに居ますか? 私の方から行きます』
現在位置を聞かれ、素直に答える。するとトキワは今から行くので待っていてほしいと念を押して通話を切った。
いったい何だろうか。
せめて要件だけでも折り返して聞くか。
そんなことを考えるも、相手の強引さを思い返し、おそらくは答えてくれないだろうと察してやめておくことに。そうしてしばらく経った頃、目の前に一台の車が停まった。何気なく眺める。すると運転手が車内から出てきた。瞬間、ヤシロは驚愕する。現れたのはナガセだったのだ。そして二人の目が合う。
「やっと見つけたぞ、てめえ」
「っ」
ナガセが敵意を露わにしてきた。瞬間、ヤシロは逃げ出す。意識を向けてきたと言うことは、つまりは空き巣の犯人だとバレていなかったとしても、強盗犯くらいには思われていると言うことだ。ならば逃げて然るべき。ヤシロはすぐに側の雑居ビルに挟まれた路地へと駆け込んだ。背後からは「待てやコラ!」と怒声。無論、従うはずもない。
が。
今夜だけでも何度も全速力で走った。ましてや先ほどまでハギノを探して走っていたのだ。じきに息切れを起こしても致し方ないことであった。
結果、ついに追いつかれてしまい、ヤシロは胸ぐらを捕まれた状態で側のビル壁に叩き付けられる。ナガセの表情からは怒りの感情がひしひしと伝わってくる。
「てめえがヤシロだな!」
「ッ」
何故、名前を知っているのか。
疑問に思うも、ヤシロは怒鳴られた拍子に認めてしまう。
するとナガセはやっぱりかと納得した様子を見せ、胸ぐらから手を放した。
どうしたのだろうか。まさか解放してくれるのか。
そんな一抹の期待を抱いた瞬間、ナガセが言った。
「なあ兄ちゃんよ、聞いてくれや。俺は部屋に商品を保管してんだが、今日その部屋に空き巣が入ったんだわ」
曰く、部屋に戻ってみると空き巣に荒らされており、商品は無くなっていたとのこと。
いったい誰が盗みやがったのか。
「俺の考えだと、犯人は男だな。それもスーツを着た社会人だ。そいつはゲーセンで俺を襲って鍵を盗み出し、そして俺の家に空き巣を働いた」
「いや、それはちょっと強引な考えかと」
「そう思うか? なら、すこし社会と算数のお勉強でもしようか」
「え?」
「有り難いことに、日本ってのは世界有数の安全な国と言われてる。犯罪発生率も極めて低い。そんな国でだ、強盗に遭った同じ夜に空き巣にも遭う。それはもう奇跡的な確率と言ってもいい。だが同一犯による犯行だとしたら、まだ納得できる確率になると思わねえか? あのとき、トイレで俺を襲ってくれた兄ちゃんよ」
「うっ……」
「ちなみに俺は奇跡なんざ信じねえ
以上の理由から強盗犯と空き巣は同一人物と考えたナガセは、知人であるゲームセンターの店長に監視カメラの録画を観させてもらい、強盗犯の顔を確認。そこでトキワが名刺を受け取っているところも目撃し、彼女に電話を掛けるように脅迫して現在位置を聞き出させた。そして今に至るわけである。
「まあ、俺から話し出しておきながらなんだが、もう誰が犯人とかだらだら話すのはやめようか。聞きてえことは他にもあるわけだしな。例えば、こんなアホみたいな計画はいつから企んでたのか、とか」
「いや、企んでたわけじゃ……」
「まさか突発的な思いつきだとは言わねえよな?」
「でも実際に思いつきで……」
「へえ~。つまり兄ちゃんは――」
偶然に足を運んだゲームセンターで、偶然にも強姦事件に遭遇し、被害者を助けるために犯人を襲ったら偶然にもそれが大麻の密売人で、偶然にも盗み出していた鍵を使って家に侵入をしたと。
「こう言いたいわけだな」
「いや……」
「しかし、そうなると一番理解できない点として『鍵を盗み出したこと』があるんだがよ、これをどう説明してくれるわけだ?」
「それは……」
何も言い返せずに口ごもるヤシロだったが、ふと違和感に気付き、眉を顰めて黙考。
ナガセの言うとおりかも知れない。
確かに鍵を盗み出すのはおかしい。
トキワを救い出すためにトイレへと押し入り、ナガセを襲う。これはいい。
昏倒させたナガセから財布を盗み出すのも、まあ理解は出来る。
だが鍵を盗み出すのは、どう考えても不自然だ。
ハギノは財布の中身から大麻を発見したことで、ナガセが大麻の密売人であると見抜き、その住処から商品を盗み出す計画を発案したはずだ。
しかしそれでは鍵を盗み出していたことに違和感が生まれる。
順序が逆になるのだ。
ここから導き出される真相は『ハギノは事前に此度の計画を立てていた』ということ。
ふとハギノの言葉を思い出す。
――今日はちょっとした用事があってさ――
普段は行かないというゲームセンターにいた理由を彼女はそのように答えた。これは計画が事前に練られたものであることを裏付ける証言なのではないだろうか。
そんな時に出会ってしまったためにヤシロは利用されたのではないか。
――あはは、気にしなくていいよ。感謝されるようなことはしてないしね――
トイレで助けた後にハギノのがヤシロに発した言葉。
あれは、利用するつもりだったからこそ出てきた言葉だったのではないか。
詰まるところ、大麻密売計画は突発的な思いつきではなく、事前に練られた周到な計画だったということであり、初めから裏切ることは決まっていたということなのではないか。
「あいつ……」
ヤシロが悔しさに奥歯を噛んでいると、ナガセが問うてきた。
「さてと、兄ちゃんよ。色々と話はしたが、本題について話そうか。盗んだ
大麻を持ち歩いていないのは見れば分かる。となると、何処かに隠しているはず。
どうやらそのように思い違いをしているようだ。
ならば言ってやる。このままでは腹の虫が治まらない。
「ナガセさん、俺は大麻を持ってないし、隠してもない」
「ああん?」
てめえが盗んだことは分かっているんだよと凄むナガセに、ありのまま事実を伝えてやることにした。結果、ハギノがどうなるのかなど、もはや知ったことではないと思ったのである。
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